生前贈与のタイイングボックス
先頃、ある名人からタイイングボックスを譲り受けることになった。
タイイングツールや、マテリアルの収納箱である。
家でも使えて、余所に出掛けて毛鉤を巻く時にも具合が良いそうである。
これは生前贈与であって、形見分けであってはならない。
名人におかれては、まだ元気で過ごしていていただかないと僕が困る。
この木製品が製造されたのは僕の少年時代のようである。
中身ごと頂いちゃったのだけれど、開けてみて少したまげた。
自前で加工したツール類。
今ではほとんど出回っていない天然素材。
懐かしいメッツのネックハックルが各色。
殊に、浮沈にかかわらず、夥しい種類のダビング材などは並の毛鉤釣り師が3人がかりで、一生かけても使い切れないのではないだろうか。
仕分けをして、まだ使えそうなマテリアルは、仲間内の現役たちで分け合おうかね。
この箱の中身は、見る人が見ればわかることなのだけれど。
そもそも、当時の釣り師たちは、一体全体フライフィッシングという分野に、どれ程の情熱と時間と費用を注ぎ込んだのだろうか。
家庭不和というものは起きなかったのだろうか。
いや、多くは語るまい。
何事にも抜かりの無い名人の事である。
毛鉤釣り師は詐欺師であってはならない。
埃を払い、虫干しなどをしながら、この箱に出入りをした多大な経験値と情報量に思いを馳せる。
指先で画面をこすってどうにかなれば、誰も苦労などしないのである。
こするだけならサルでもできる。
などと。
そんなことをしているせいだと思うのだけれど、いきなり台所の換気扇の掃除を仰せつかってしまった。
はっきり言って、気乗りはしないけれど、後々のことを考えるにつけ、これを断ることは得策ではない。
釣り師の立場は弱いものである。
小さなことの積み重ねが家庭不和の火種になり得る。
さて、僕は少しばかりタジタジになりながら、一撃必殺の毛鉤を巻くのである。
関連記事