スタンダードドライはもう巻けない

SFM

2018年08月23日 21:26

若い頃に巻いたドライフライ。

しまっておいたのを忘れていたわけじゃないけれど、そうそう見る気になれなかったのが正直なところである。



こんな僕でも一生懸命にタイイングに勤しんでいた時期があったのである。


今でもタイイングは嫌いではなくて、むしろ、けっこう楽しい作業だと思う。

釣りを続けているうちに、魚の目のつもりになって半沈みに凝ったり、手返しや耐久性を追求するようになって、僕の場合はマテリアルの引き算が始まった。

今、僕が巻くパターンはこれ以上省くところがない。
色気もへったくれもあったもんじゃない。
とてもじゃないが、恥ずかしくて人様にお見せするわけにはいかない。


釣友たちは、一目覗きこんで開口一番。
「うわぁ、イヤらしいなぁ」とか、「マジかよ、おい」などと言う。
さしあたって返す言葉が僕には無い。

溪魚はそれなりにスレるけれど、僕もそれなりにスレたのである。
もっとも、ここまで僕がスレてしまった原因が釣り場だけにあるわけじゃないことはお察しのとおり。

僕の巻く毛鉤で人の心は釣れない。


そう言いつつ。
今更ながらスタンダードパターンを一つ巻いてみると、参ったね。
手つきも仕上がりも覚束なくて、なんだか自分でイヤになっちゃう。



おまけに、一匹掛けたら壊れちゃいそう。


せめて何か一つぐらいは、渓魚のみならず人の心も魅了して、それでいて丈夫で長持ちするパターンを考案してみたいなどと思う晩夏の夜。
ふと。

揺蕩うようなタイイングの境地。



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