食戟の釣り師 手打ち蕎麦の集い

SFM

2018年09月02日 20:52

月が変わって珍しく過ごしやすい休日ではあるが、この日は釣りに行かずに蕎麦を打つのである。

いつもは仲間内の釣り師たちだけなのだけれど、KONちゃんが声を掛けたところによると、釣り師以外にも僕たちの打つ微妙な蕎麦を手繰ってくれる奇特な人がおいでになるらしいのであるよ。




さて、僕の打つ蕎麦はマイナス思考の産物である。
物事をマイナス方向に考えることにおいては人後に落ちない自負が僕にはある。

少し具体的に言うと、特定の顔がいくつか思い浮かぶ。
某事業主など、数人がこれに該当する。
「拙い蕎麦ではあるけれど、こいつらに食わせるほどにお粗末な蕎麦を打つ心算は毛頭ない。」
要するにそういうことなのである。
いい年をして大人気無いとわかっちゃいるけれど、そのあたりが僕の素地なのである。

行き着くところ、蕎麦というものは人様の口に入るものである。
幽き香りを駄目にしていないだろうか。
コシとのど越しは生かされているか。
要するに、打ち手としての責任を果たせているのだろうか。

心配性の岩魚釣り師は、ソバソバの実の能力に覇気を纏い、心を込めて蕎麦を打つのである。





一方、対照的なのがカタチから入るKONちゃんである。
この笑顔が示すとおり、彼はプラス思考の塊である。



細かい事はさして気にも留めず、誰彼かまわず蕎麦を振舞いたくてウズウズしているようなのである。
「自ら打った蕎麦で、大勢の人たちに幸福を届けたい。」
健全な発想が人相にも表れている。
さあ、おあがりよ。
などと言い出しそうである。

先頃、彼にはかわいい孫ができたそうである。
いずれ、つい調子に乗って、蕎麦の無理強いをするのではないだろうか。
なんだか心配なのであるよ。
大人の勝手な都合で幼い子供を蕎麦嫌いにしてはならない。
くれぐれも軽率な行動は慎むべきである。
無二の釣友としてはここで釘を刺しておかなければならない。

そうは言っても、週刊少年ジャンプなどのフィクションでは、概ねこのタイプの登場人物が紆余曲折の末に支持を得ることになるようであるがね。

さて、現実はどうであろうか。



この日の集いはいつになく賑やかである。



釣り師だけではこうはいかない。
KONちゃんの人柄が表れる。







仕事を終えて湯舟に浸かるKONちゃんである。
必ず、アチィ!と叫ぶ。





今回に限らず、僕たちの蕎麦の集いの場はここである。



某大手旅行検索サイトのガイドブックの10月号であるが、とりわけ料理が高い評価を受けている温泉宿なのである。

URLはこちら
http://www.amagawaso.jp/


僕たちが蕎麦を打つのはプロの仕事場である。
何よりも蕎麦粉は一級品である。
物理的に足りないものは何一つ無い。



そうは言っても、ねえ。
多少のことは大目に見て頂けませんかね。

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