キノコと命 どっちが大事
今年はキノコの出が良くて、したがってキノコ採り師の遭難が多く、不運なことに物言わぬ人になる件数も近年に無く多発しているようである。
TVのニュース番組ではその筋の専門家が、キノコとご自分の命とどちらが大切か考えてくださいと呼びかけているのである。
とりわけ高齢者が単独で、あるいはごく少人数で入山するケースが目立つそうである。
単独でというところがミソではないかと僕は思う。
僕はキノコに関しては素人に毛が生えた程度の岩魚釣り師であるけれど、分野を問わず、穴場に関わることは口の堅きこと蛤の如く、口が裂けても他言しない心情は良くわかる。
家族にも教えずに、墓の中まで何とやらという決意も少しぐらいはわかる気がする。
むしろ、嬉しくなっちゃって、ついペラペラと穴場を漏洩しちゃうような口が羽根より軽い手合いよりも、人としての信頼性は格段に上であると思うところである。
老後が明るいか暗いかは別としてであるが。
お裾分けのキノコを貰うときに、どこで採ったのと訊くのは無粋だと思うし、素人を引き連れたキノコ狩りや渓流釣りの案内人のような生業を快く思うことは僕には出来ない。
数年前であるが、こんな僕でも偶然に舞茸を一株見つけたことがある。
舞い上がりはしなかったけれど、舞いたくなる気持ちはよくわかる。
けれど、どれほどに腕利きであっても、キノコ採り師や渓流釣り師というものは、遭難したり死んだりしたときは、家族や捜索関係者にとって、人騒がせで困った人になっちゃうのである。
お気の毒ではあるけれど、そういう事なのである。
加えて、口の堅さが強欲の裏返しと思われるあたり、俗世間の風当たりというものは、殊のほかに冷ややかであるから浮かばれないのではないだろうか。
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