釣り師の釣り師による釣り師のための新蕎麦の集い

SFM

2018年12月16日 21:27

漸く先月末に出荷が始まった今年の新蕎麦。
信州産の信濃1号は品薄感があるけれど、出来はなかなかだと僕は思う。

そこで、この日は師の計らいである。
素直に恩恵を享受して、釣り師が相集い、新蕎麦の香りを愛でるのである。




釣り師が打つ蕎麦というものは、採算を考慮しつつ大勢の来店客を捌かなくてはならない蕎麦店と同じではいけないのである。

それはそれ、これはこれ。
要するにそういうことなのである。

とりわけ木鉢の手間を惜しんではならない。
蕎麦に心が表れるのはここである。

人様は気付かなくても、自分にウソはつけないのである。





もう一人の打ち手はKONちゃん。
着用した作務衣が彼をそれらしく見せる。



ふと、馬子にも衣装という諺がよぎるところであるが、時折彼は知人を集めて蕎麦打ちの手ほどきなどを執り行っているそうである。
ずいぶん偉くなったものだと思わなくもないけれど、この笑顔を慕い、奉る善男善女は根強く点在しており、要するに、それなりに人格者のようなのである。
けれど、蕎麦の麺線を均一にするために生地を延す時に肉分けという工程がある。
彼に限っては、そのあたりを寄せて上げる女性用下着に例えるあたり、一見したところ頗る健全そうに見えるこの笑顔の裏側を見抜けるのは、せいぜいごく限られた釣り師ぐらいなのである。
まあいい、敢えて多くは語るまい。
合掌。


さて。
打って打って打ちまくった後には蕎麦を手繰らなければならない。



有無を言わさず、一人あたり四枚のもり蕎麦を平等に胃袋に納めなければならない。

そうは言っても、どうにかこうにか喰っちまうあたり。
そこが一級品の蕎麦粉なのである。


けれど、この釣り師たちは大晦日まで蕎麦に箸が伸びないに違いない。



食後、表に出て腹ごなしにキャスティングをする釣り師たちである。





寒さにかまけてぬくぬくと炬燵で蹲っているようでは釣り師失格である。

身体が冷えたら源泉掛け流しに浸かればよろしい。


蕎麦に始まり蕎麦に終わる瀬戸際の釣り師たちの一日は短い。

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