回らない寿司屋の店仕舞い
近所の寿司屋は、家から歩いて行けるから、帰りの足を気にしなくても構わない。
そんなわけで、年に数えるほどだったけれど、この店のカウンターでささやかにやるのを楽しみにしていたところ、この秋に閉店してしまった。
この店では僕の懐具合をわかっていたから、目玉が飛び出るようなことはまず無くて、お任せにして心安く過ごせていたのである。
年の暮れに、落ち着いたところで出掛けて行こうと思っていたのだけれど、メカジキの血合いの刺身や赤貝のヒモなどをつまむことは出来なくなってしまった。
はっきり言って、僕は回らない寿司屋の方が好きだ。
穏やかなることを学べと言うけれど、回る寿司屋では無理である。
寿司というものは、そうそう盥回しのように扱ってはいけないと僕は思う。
スィーツ類のようなつまらぬものと十把一絡げにするなど以ての外である。
寿司屋に限ったことではないけれど、このところ、僕が馴染んだ店が少しずつ消えていく。
年を追うごとに僕の居場所は減ってくる。
この世のどこにもいられなくなる日もそう遠くないに違いない。
さて。
未練がましく真似をしてみたところでプロはプロ、素人は素人である。
握りは僕の手に余る。
いつの日か自前の握りで、などという安直な思い付き。
素人が分不相応に欲を出した時から不幸が始まる。
そのあたり、敢えて多くは語るまい。
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