逆転の発想

SFM

2019年04月21日 21:04

目には満開の桜。
瞼の裏には流れる渓水。



気持ちは溪に靡くけれど日中の陽気に惑わされてはならない。
これは騙しである。
水面下の活性はそう甘くない。
ここで焦ったら負けである。
ただ釣りに行けばいいってもんじゃない。
仕掛けるタイミングは入念に見極めなければならない。


芝生の上で出来ないことを釣り場でやろうとしても無理である。
実戦の前に必要なことは訓練である。




さて、釣果ばかりに振り回される釣り師の姿はお世辞にも品が良いとは思えないけれど、避けて通ることができないのも釣果である。

妬み嫉みが染みついて、口を開けば呪いを吐く。
仮に、そのように心が荒んだ釣り師がいたら速やかに適切な距離を置くことが肝心である。

ただし、愛すべき人格を備えていながら何故か釣果に恵まれない隣人がおられたら、ここは是非ともありがたくお付き合いをさせていただくべき大切な御仁であると僕は思う。


要するに。
穏やかなる人格者をよく観察し、にっこりと相槌などを打ちつつ、その実では逆のことをやれば人知れずいい釣果を得ることになる。
それが物事の理というものである。



余談であるが。
ついつい群集心理に流されて、目一杯の期待を込めて暖簾をくぐった蕎麦店。
運悪く、だらし無い蕎麦に出会ってしまった経験をお持ちの諸氏は少なくないと思うけれど、これは寧ろチャンスなのである。
不味いものにはそれなりの理由がある。
蕎麦に限ったことではないけれど、なぜ不味いのかを分析して、その逆方向に黙々と勤しむ方が賢い発想であると僕は思う。



酷評の拡散に精を出すことが近年の傾向のようではあるが、人生に失敗はつきものである。


失敗は小さく上手に収める。
そのあたり、釣り師の大切な技術であると僕は思いたい。



気温が上がると活性が上がり、どこからともなく湧いてくるのが花見客である。
やがて呑み喰いが始まると、貧富の差を歴然と見せつけられるに違いない。






加えて。
芝生の上のフライキャスターは何かにつけて不審者に思われがちである。

ここが引き際である。


師を訪ねて温泉に入ろうかね。

やれやれ。



関連記事