釣った岩魚の数をいちいち数えていると、そのうちにワケがわからなくなってきて、仕舞いにはバカらしくなってくる。
この溪で釣果などを気に掛けつつ釣りをするのは無意味である。
釣りたいだけ釣ればよろしい。
あまり大きな声では言えないけれど、青天井である。
正直なところ、写真を撮る暇も惜しいくらいにこの釣りは忙しい。
人生には、そんな時があってもいいのではないだろうか。
釣って釣って釣りまくるというのは、どこか下品な言い回しに思えるけれど、実際にやってみるとそう悪いものでもない。
けれど、人様の前で放言などをいたすのは、大人の嗜みとしてはいかがなものかとも思う。
キャスティングやプレゼンテーションに、ちょっとしたコツがあるけれど、そのあたり、言葉ではうまく説明出来ない。
現地に体を運び、場数を踏むしかないのであるが、常人がこの溪に辿り着けるかどうか。
問題はそこである。
この溪は平等であるけれど、極めて現実的でもある。
俗社会の比ではない。
天国と地獄は紙一重である。
老若を問わず、岩魚釣り師の進退は消去法に委ねられると思わなければならない。
一時の愉悦と引き換えに、失ってはならないものを失う実例には事欠かない。
森羅万象をひっくるめて、寡黙で揺るぎない等価交換の理に、この岩魚たちは守られている。
そこまでして岩魚を釣らなければいけないのかと言われると、どうにも肩身が狭いところであるが、今、物理的にこの溪に立つことができる釣り師は僕だけである。
海賊王になるのが誰であろうと口を挟む筋合いではないけれど、この溪の源流王になったのはこの僕である。
この溪の岩魚は背肉のつき方が違う。
釣りの手を暫し休めて、魚体を手に取ってみるとよくわかる。
溪師の現役寿命は総じて短い。
僕が師事している先達は、この溪を拓き、かつ君臨したのであるが、あるとき円満に引退して、持てるものを気前良く僕に伝授した。
英雄の引き際はこうでなきゃいけない。
いずれ僕が身を引けば、この溪への人知れぬ経路は程無く塞がる。
人跡はきれいに消える。
溪は閉じる。
ざわめく万物の声の聞き手はいなくなる。
若い諸君、チャンスがあったら挑戦したまえ。
全てをそこに置いておく。
相応の覚悟が必要であるがね。
僕もそう長くはもたないよ。
持てる覇気を尽くし、満身創痍で帰り着く。
どんな釣り師でも、釣りのおしまいは、「ただいま」でなければならない。
僕にとっては一向にうだつの上がらない我が家ではあるけれど。
さて、乾杯。
少しばかり、上目遣いに。