疾きこと風の如し
溪の盛期にも拘らず、釣行を妨げる浮世のしがらみは世に数多存在する。
さらに、それらが重なる局面というものが人生には度々やって来る。
そんな日々。
どうにか捻出した僅かなチャンス。
昼下がりの入溪、しかも日没までには確実に脱溪していることが前提。
日が長くなったとは言え、沢筋は暗くなるのが早い。
安全第一。
釣果は二の次である。
人に逆らっても時計の針に逆らってはならない。
などと、そのように偉そうな台詞を言えた筋合いではないのが釣り師である。
さらに言うと、僕は残業が嫌いなのである。
一切の無駄を省き、溪を跳ぶ。
付き場を狙い撃ちつつ、疾風の如く釣り抜ける。
瞬歩、月歩、覇気、その他諸々の技が炸裂。
韋駄天でもこうはいかないと思いたい。
メロスなど論外である。
通常の半分の時間で同じ距離を釣り切ろうというのであるから、どこか雑な釣りである。
そこまでして釣らなければならない理由を明確に示すことが僕にはできないけれど、要するにそういうことなのである。
さて。
結果的にではあるが、これは幼児虐待である。
悪気があってやったわけではないけれど、深刻な社会問題である。
釣り師として不徳の致すところである。
時間切れ。強制終了。
ノーマン・マクリーンが描いたフライフィッシングの優雅な面影は幻想である。
現実から目を逸らしてはならない。
終えてみれば、このような急拵えの釣り。
年甲斐も無いのはわかっちゃいても、やはりそこは釣り師の業
良い子の皆さんは真似をしちゃ駄目だヨ。
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