岩魚釣り師は貧果に耐える
溪筋はまだ薄暗いながら、山肌に差す朝日には秋晴れの予感。
入渓点で僕を出迎えてくれたのはヒキガエルである。
おはよう。
溪の状況を入念に分析。
砂地に残された足跡は生々しいけれど、石が濡れていないところから前日のものであると断定。
よせばいいのにとわかっちゃいても、期待が高まるのは毎度のことである。
ところが。
水量、水温、風向きなどには全く問題はないのだけれど、岩魚たちの機嫌だけが麗しくないから困っちゃうのである。
長い空白の時間が過ぎる。
忘れた頃に大場所から似つかわしくない木っ端岩魚。
釣れない時ほどペースが速くなり、集中力が削がれる。
釣りに見返りを求めるのもどうかと思うけれど、場所が場所だけに、遡行に伴う肉体的苦痛の代償として愉悦を得たいのが人情というものではないだろうか。
そんなことを思いながら脱渓前にささやかな釣果。
苦しまぎれに潜り込んだ枝沢。
手足を藪に絡められながらのキャストは肩が凝るけれど、本流から差した岩魚で心を慰める。
さて、禁漁になったら何をして過ごそうか。
などと、師の手製の肴で思いに耽る。
何年経っても同じ事の繰り返し。
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