冬眠明けの岩魚釣り師

SFM

2022年04月24日 20:25

昨年秋の禁漁以来、凡そ半年間にわたり動かざること山の如し。
しかも酒浸り。
こうなっちゃうと最初の一歩を踏み出すためには多大なエネルギーが必要になるのは毎年のことで、山国の釣り師が抱える慢性的な課題でもある。

釣行に先立ち、自身の遡行能力のチェックのため、雪の春山に出向いたわけであるが、大汗を掻き、息も絶え絶え。
山頂に辿り着くにも這う這うの体である。



年を重ねるごとに大切なものを失っていく実感。
これまでも自覚してはいたけれど、その場しのぎの覇気などで補いつつも、どうにかやり過ごしてきたわけであるが、いつまでもそのようなことが続けられるわけではなさそうである。
認めたくないけれど、認めざるを得ない時期にきているのではないだろうか。

今まで出来ていたことがある時を境に出来なくなっちゃう喪失感。

リハビリに係わる業界によると、一度失ってしまった身体機能を回復するには多大な時間と労力が必要になり、100パーセント元通りになるケースは稀であるそうである。


曲りなりにもこの山は深田百名山の一座ということになっているそうであるが、岩魚釣り師にとってそのようなことはどうでもよろしい。



山頂で快哉を叫ぶ登山客たちに話し掛けられるまま、適当に相槌などを打ち、さも健やかな登山者精神を備えた岳人の如く振る舞ってはみるものの、岩魚釣り師の心中は複雑なのである。

本来であればもう一本、花の百名山をやってしまいたいところであるが、ここは大事をとって見合わせた方が良さそうである。



いずれにせよ、今の季節に花など咲いているわけがない。

などと思いつつ、下山にかかるのであるが。
ふと、生ける屍の如き釣友たちの体たらくが目に浮かぶ。
彼等を思えば、僕に残された釣り師としての余生は多少なりとも自立したものであると思えてくる。
まあ、このような悪態がつけるのも親愛なる我が釣友であってこそなのである。
ただ、この類のことは素面で言うべきであって、酒の力を借りて毒を吐くようでは人間失格である。

まあいい。
いずれ渓谷に降り立った瞬間、釣り師の根性が入れ替わり、常人の概念を超える覚醒が起きればいいのだが。




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