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2021年05月24日

下手なニンフも数撃ちゃ・・・釣れるかもしれない

入渓に際してはけっこうな力技を炸裂させつつ、携える釣り具はこの上なく華奢な道具立て。




初夏の爽やかな風は、ほぼ例外なく渓魚たちの神経を逆撫でするらしい。

風向きがコロコロと変わり、掴みどころがない釣りではあるけれど、昨今の社会情勢ほどでもなさそうである。



焚き物を集め、黙々と火遊びなどに耽ってやり過ごす。
時間潰しは避けて通ることができない重要な仕事であるが、職場で培った技が僕にはある。



湿った木を焚くのは少しコツがいるけれど、点いた火はけっこう粘り強い燃え方をする。

湿った男女の関係に火が点くとどうであろうか。

そのような経験が僕には無い。



一瞬、水が緩む。

食いが立ったのはほんの小一時間。

あれ?釣れてる。













食ったのは全てニンフである。

軽快に気持ちよく掛けたわけではない。
キャスティングのカックンカックン、これの打ち消しに躍起になる釣り師がここにいる。

どこか他人事のような、確信に欠ける釣り。

要するに、渓魚たちにアゴで使われているような心境。




まあいい。
ここにいる限り、変異株の危険性はゼロである。




100パーセント安全安心と言い切っていいのはこのような環境を指すのではないだろうか。



岩魚釣り師からぼったくるものは無い。

無いったら無い。

無い袖は振れない。







  


2021年05月10日

ギョウジャニンニクは裏切らない

GW明けの高地の溪。
まだ残雪が点在している。

活性が低いにも拘わらず、顔を見せてくれた岩魚たちに感謝。





などと言ってしまえば話としてはきれいに収まるけれど、それは建前であって、釣り師には本音というものがあるから困っちゃうのである。


毛鉤が打てずに、致し方なくミミズを使って執念深く深みを探った結果である。

人生には背に腹は代えられない局面が度々やってくる。


この岩魚たちが成長した暁には、その気になって探してもそう見つからないような魚体に仕上がる予定である。
加えて、氏素性に関しては、日本中どこに出しても恥ずかしくないとは言え。

今、この時。
僕の手中にあるのは取るに足らない木っ端岩魚である。

まあいい。
せめて釣りぐらいは贅沢にいきたいところであるが、それも度が過ぎると、取り返しがつかないような罰が当たっちゃうのである。
そんな釣り師が何人も実在することを僕は知っているわけである。
敢えて多くは語るまい。






こんな時のためのギョウジャニンニク。



見計らったような摘み頃である。
実は秘かに見計らっていたのである。



サッポロ一番みそラーメン。




製造元はサンヨー食品株式会社である。

1968年の発売以来、半世紀以上にわたり、時代を乗り越えた庶民の味である。
そこに、たった今摘んだ一掴みのギョウジャニンニクが添えられるのである。
発売当時にこの商品を開発した作り手におかれては、そのようなことは知る由も無いに違いない。



男は黙ってサッポロ一番。



ツキノワグマは冬眠が明けると取りも直さず水芭蕉を齧ることになっているそうである。





岩魚釣り師の冬眠明けはいつになることやら。








  


Posted by SFM at 20:03Comments(2)他の釣り

2021年05月04日

仏の顔は何度でも

故あって、右往左往した挙句に辿り着いた渓は消去法の極みである。
早朝から容赦なく打ちのめされた釣り師が三人。





出向く予定であった溪は前夜に季節外れの降雪。



数日前、この経路の除雪作業を請け負った建設業者に進捗状況を問い合わせてみたところ、通行に支障は無いであろうという回答。
よしよし、一番乗りは頂き。
さらに万一に備え、倒木や落石を取り除くための手道具を手配。
諸事抜かり無く降り立つはずであったが。
手中に収める寸前、本命の溪は一夜のうちに遠い存在になった。


世のしがらみから逃れられない世代の釣り師たちであるから、不本意ながらこの場所で釣らなければならない。



緻密に立案された計画ほど、外れた歯車を戻すのは容易ではない。
けれど選択の余地は無い。
表向きは明るく振る舞っていても、既に負け戦であることは暗黙の了解である。



毎度お馴染み、咥え煙草のB場ちゃん。





今回は、経験豊かな渓の重量級、仏のN川サンが登場する。



世間では、仏の顔も三度までと言うけれど、N川さんの仏の顔は回数無制限である。
要するに、どこをどう切っても善人の金太郎飴のような釣り師である。
どこかの誰かに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぐらいであるが、指先をちらりと一瞥したところ、残念ながら爪の垢の類は見当たらないようである。


僕自身、渓流釣りの世知辛さはずいぶん身に沁みているだけに、このような釣友たちと入渓した折には、僕などは一匹も釣れなくても構わないから、彼等には多少なりとも釣れてほしいと思えるのが人情というものである。
これは本心である。





肝心の釣りであるが、全員揃って釣果はゼロである。

僕に釣れなかったことは致し方無いとして、彼等の釣果がゼロだったことが問題である。
そのあたり、僕の不徳の致すところであると思わなければならない。
いちいち口には出さないけれど、釣り師とはそういうものである。





さらに、僕の場合は、お酒の力を借りれば大抵の事はチャラにできるけれど、残念ながら彼らは下戸である。



彼らが律儀な苦労人であるだけに、その夜のお酒は少々心苦しいのであるが、まあ、気持ちぐらいは伝わっていると思いたい。

そんな一日。