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2020年03月30日

釣友たちが蕎麦を打つ

人生の谷底でどうにか生き残っている岩魚釣り師としては、今更ながら人混みなどに出掛ける筋合いはない。

季節外れの大雪であるが、僕は寡黙に蕎麦を手繰るのである。


この日の打ち手は釣友たちである。


KONちゃん。




B場ちゃん。




人様が打った蕎麦を手繰る刹那。
打ち手の心が見て取れる。



敢えて多くを語らないけれど。
そのあたり。
堪能させてもらったのであるよ。



さて。
放歌高吟というものはいずれ収束するものである。



因みに、B場ちゃんか腰かけているのは椅子ではなく、自作の太鼓だそうである。
何でも、民族楽器のような独特な音が出るそうである。


慎ましい釣り師たちの一日。
  


Posted by SFM at 20:21Comments(2)釣り師の日常

2020年03月28日

釣り師が居間を塗装する

穏やかならぬどころか、むしろ物騒に思えるのがこのところの世情。

そこで、不急不要の外出を控えていたところ、これ幸いとばかりに命じられてしまったのが居間の壁の塗装である。

ここで嫌な顔をしたら、いずれ来る溪の盛期に大手を振って出掛ける時に支障が出るに違いない。
大人しく従っておいた方が得策ではないだろうか。
源流王の立場は弱い。


17年も経つから無理もないのだけれど、紙クロスのせいか壁がずいぶん変色してしまった。

苦にした家人が取り寄せたのがこの塗料である。



水性だと思うけれど、刷毛やローラーで塗るのではなく、スポンジで擦りつけるようである。

やってみると、漆喰ほどではないけれど、多少の起伏がつく仕上がり。
要するに、ジョリパットの素人版である。




ここで作業終了。



ネタ切れである。
無い袖は振れない。


さて。
どの道、外出しないのであるから、少しぐらいやっちまってもいいのではないだろうか。



  


Posted by SFM at 17:26Comments(2)釣り師の日常

2020年03月24日

サオを出すにはまだ早い

解禁日。
釣り師たちが適度に散らばっている早春の川。
こんな情景を通りがかりに眺めるのが僕はとても好きだ。



そうは言っても、源流志向の釣り師にとって、道沿いの里川での釣り心地は今一つ。
放流魚を掛けるのも気が重い。


けれど、我儘を言えるのも時間の問題である。
釣り師の足取りは程無くして怪しくなる。
結局のところ、最後に受け入れてくれるのは身近な釣り場ではないだろうか。


さて。
足元に目をやると、小鮒釣りしかの川はほぼ壊滅。
幼少時代に親しんだハヤやクチボソはどこに行っちゃったのだろうか。
むしろ、渓魚より貴重に思えるのは満更気のせいでもなさそうである。


釣り師が放蕩を尽くした挙句。
帰って来る水辺は残っているのだろうか。


  


Posted by SFM at 21:00Comments(2)釣り師の日常

2020年03月20日

冥王の居室

この日。
師に連れてきてもらった山裾にある古民家。
住人は、かつて師と共に大源流時代を制した無敵の伝説。

冥王である。




僕が源流王になっちゃったのは、先達の恩恵をただただ享受しているだけである。
要するに、運よく生き残っているだけである。


さて。
歴代の源流王が三人。
始まるのは宴ではなく、お茶会である。
この冥王は下戸らしいのである。

薪ストーブの暖気は柔らかい。
吟味を重ねられたコーヒーの香り。


各々、思い浮かべているのは同じ光景ではないだろうか。


  


Posted by SFM at 09:10Comments(2)釣り師の日常

2020年03月14日

釣り師が作る酒の肴 肩ロースの生ハム

一カ月前に仕込んでおいた肩ロースの塊は熟成と燻煙を経て生ハムとして覚醒した。





仕上がりはどうであるか。

僕は政治家ではない。
自画自賛が下手なのである。

唯一、薄くきれいに切れないのが残念である。



さて、連日のように穏やかならぬこの時世。

とりわけ東京五輪開催を巡る思惑と票読みに群衆の活性が高まってきたようであるが。

僕は釣り師である。
健全なスポーツマン精神はない。


五輪の主役は選手ではない。
選手は道具である。
観衆は養分である。
プレゼンテーションされる毛鉤と釣られる魚の関係である。

オモテなしというものはウラがあるということである。
開催に支障が生じた暁に、人様には言えない理由によって困る立場の人間。
そのあたりが真の主役ではないだろうか。

滅多に無い機会である。
姿を現さないものだろうか。




さて。
せっかく開けたワイン。
早く飲み切っちまおうかね。
  


Posted by SFM at 09:38Comments(2)釣り師の日常

2020年03月09日

釣り師が相場を俯瞰する

僕は昨今のTV番組が好きではない。
とりわけバラエティー番組の類は勘弁願いたいところである。

そんなわけでラジオをつけっ放しにしていることが多いのだけれど、穏やかでないこの時世。

新型肺炎感染拡大のニュースに加えて為替と株の相場。

他人事ながら、日経平均とかダウ平均とか、えらいことになっちゃっているようで、連日大騒ぎで耳にタコが出来ちゃいそうである。

僕は釣り師である。
相場師ではないのであるが、この週末は釣りに出掛けるにはまだ早い。
そこで、ほんのさわり程度であるが、ざっと株式市場などを調べてみると、少しばかりわかってきたことがある。

各市場では株価が大幅に下落、と言うより暴落。
市場参加者におかれては、揃って仲良く含み損を抱えるのが物事の理のようである。
人様のカネを運用している機関投資家や、その周辺の顔色が冴えなくなるのも(所詮は他人のカネであるが)物事の理である。
逃げ遅れた現物保有者は塩漬けの刑。
さらに、追証というものが出されることもあるそうで、列車の時刻表を確認したり、自身の体重で梁と縄の強度試験の模索をされる全力信用二階建ての住民諸氏。
各々、なかなか忙しそうである。

一方。
株式市場には空売りという技があって、手際よく仕込んでいた巧者は株価が下がれば下がるほど儲かっちゃうらしいのである。

政府の迷走。
地方行政の混乱。
医療機関の疲弊。
流通の滞り。
群衆の断末魔。

ごく一部では、そのあたりを肴に盃を傾けているのが株式市場の実態らしいのである。

要するに、株価というものは明確な基準がないにも拘わらず、寄ってたかって右往左往しているだけらしいのである。

日頃から不勉強な釣り師ではあるけれど、新型肺炎の感染拡大によって、そのあたりが薄々ながら見えちゃったのである。

さらに調べたところによると。
昔、こんなことを言ったヤツがいたらしい。

「相場に新しい事は何もない。
変わるのは、そそのかすヤツの顔ぶれと
そそのかされるカモの顔ぶれだけだ。」


嗚呼、釣り師でよかった。




さて、気分を変えよう。

僕は慎ましい釣り師であるから、某格安スーパーのおでんセットが大好きである。

さらに言うと、おでんというものは作った翌日の方がおいしいと僕は思う。

家族の食べ残しと言ってしまえば身も蓋もないけれど、要するにそういう事なのである。



一献の 酒のお伽になればよし 煮えてなんぼの ・・・・・・・・。
  


Posted by SFM at 21:46Comments(4)釣り師の日常

2020年03月05日

妄想はいずれ釣果に変わる

大方の漁場で解禁を迎えるこの季節。

ほんの一跨ぎで渡れそうな細流に通い詰めているのは釣友のB場ちゃんである。

聞けば、どれも箸置きに毛が生えた程度の小魚だそうであるが、そのあたりに関しては聞かなくても目に浮かぶ。

けれど、箸置きを掛けるのはけっこう難しいことくらいは僕にも察しがつく。

彼のような勤勉な男が釣友でいてくれて僕は嬉しい。

心ざわめく釣り師たちの夜討ち朝駆けはこの季節の風物詩。

もう暫く妄想に浸っているのも僕にとっては年中行事。




さて。
怠け癖が染みついた釣り師としては、釣りの前に足慣らしをするのが手順というものである。


深い海の底からやってきたのは春の使者。



  


Posted by SFM at 21:03Comments(4)釣り師の日常