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2019年12月31日

大晦日 蕎麦を打つしか能が無い

大掃除。
その気になってやるのはいいけれど。
家具、建具、照明器具、家電製品などを、ついうっかり壊しちゃったら取り返しのつかないことになる。
要するに、せっかくの好意が仇になる。

ぶきっちょな釣り師には悩ましいところである。


そこで年越し蕎麦が登場する。

巷の蕎麦店では、早朝から夜更けまで大量の蕎麦を打ちまくらなければならないのであるが、僕の場合は午前中に二玉を打てばいいのである。







この大晦日。
カルロス・ゴーンは極めて人騒がせな男であるが、僕は誰にも気付かれることなくソバソバの実の能力を炸裂させるのである。


さて。
相も変わらず、釣りやお酒に明け暮れただけの弊ブログ。

ナワバリ意識と隠匿体質は岩魚釣り師の性。

有益な情報の発信などはゼロである。

そのような投稿にも拘わらず、ご覧下さった数少ない貴重な読者の皆様には心より感謝を申し上げます。


良い年をお迎え下さいますよう。

また、楽しい釣りができますように。



  


Posted by SFM at 16:23Comments(4)釣り師の日常

2019年12月29日

寒中の生酒

師が持たせてくれた生酒。
新酒である。

このしぼりたての新酒は草木が凍える厳冬期に出来上がることになっている。



ついつい品の悪い笑みが漏れる。
とても人様にはお見せできない。


さて、蔵元だよりによると。
お酒やビールのような「なくても生きていける無駄なもの」をこの蔵元は楽しみながら手間をかけて造っているそうである。

そのあたりを当代は(自称)経営者失格みたいと書いてある。



いやいや。
むしろ。
声高に自身こそ適任であると主張する諸氏。
分野を問わず、娑婆中に腐るほど見受けられるのであるが。
そのような手合いほど、不適格だったりするのではないだろうか。


渡る世間は下戸ばかり。
でも、完全にそうなっちゃったら僕などの居場所はない。
とかくこの世は世知辛いけれど、そうそう捨てたもんじゃないと僕は思いたい。

まあいい。
飲めばわかる。

因みに。
聞くところによると、この蔵元の当代は筋金入りの下戸らしいよ。
  


Posted by SFM at 19:51Comments(2)釣り師の日常

2019年12月26日

岩魚釣り師は優柔不断

今年の冬は雪が少ないけれどここは雪国。
冬眠を義務付けられている岩魚釣り師としては小魚であれ、根魚であれ、何か鉤に掛けたいのは山々ではあるが、ヒレの溶けた釣り堀の養殖マスは痛ましい。

ここはやはり海に出なければならないのだろうか。

押し入れを弄ってかき集めたのは30年近く惰眠を貪っていたスピニングロッドたち。




「起きよ。めざめよ。海はひらく。すなどりのときなり。」
(どこかで聞いたネ。)
などと叫びたいところであるが、実は僕はスピニングキャストが下手なのである。

まあいい。

そのうち何とかなるだろう。


  


Posted by SFM at 22:27Comments(4)釣り師の日常

2019年12月20日

アジのたたき

今回はアジのたたきである。

鈴鹿山脈に君臨するkaz13さん。
精力的に海に出掛け、アジの束釣りなどを容易くやってのける偉業。
https://kamoshika03.naturum.ne.jp/e3293758.htm


どこの誰でも構わないから鉤に掛けたくて悶々と過ごす年の瀬。
羨ましく思うのは山々ではあるが、冬の日本海はけっこう荒れるそうであるから、山国根性が染み付いた岩魚釣り師には少々敷居が高い。
某国の木造船は忽ち木っ端微塵。
海の藻屑になるようでは釣り師失格である。


そんな折、鮮魚店で見つけたお勧め品。
和歌山県産のマアジが税別200円。






さて。
たたきというものは一方的に叩きまくればいいってもんじゃなくて、大きめに切り分けた身が細かく刻んだネギを軽く羽織るように仕立てたいと僕は思う。



そうは言っても僕の盛り付けのセンスはゼロである。



三重県の釣り師諸氏におかれては、毎夜このような一杯を傾けておられるに違いない。


いずれ、僕にも海に出なければならない日が来るのだろうか。
老眼鏡を携えた冒険の旅が始まっちまったらどうしよう。
  


Posted by SFM at 19:38Comments(4)釣り師の日常

2019年12月16日

滅茶苦茶な釣り師たちの続編は泥まみれの巻

烏合の衆の如く右往左往したのは先週であるが。
今週も懲りずに集う釣り師たち。
巷ではクリスマスケーキ、おせち料理、恵方巻きなど、血みどろの商戦が繰り広げられることになっているけれど、禁漁期の釣り師は販売戦略の対象外である。
はっきり言って、巷では無用の長物なのである。
ここぐらいしか寄り付く場所がないと思って頂ければよろしいかと思う。


そういうワケで、この日は裏庭の池に堆積した泥の搬出作業である。



この池は大屋根に積もった雪を投げ込んで少しずつ溶かすと具合がいいのであるが、ある時に泥が流れ込んで水を引けなくなっちゃったのである。

狭い場所であるから泥水ポンプなどの搬入はできない。
釣り師の人生は地道にコツコツが肝心であるが、この類の作業はコツコツやっていると寿命が尽きちゃう。
烏合の衆であれ猫の手であれ、頭数が揃ったら勢いに任せてやっちまうのが一番である。


毎度お馴染みのKONちゃんとB場ちゃんである。



些細な事で罵詈雑言や誹謗中傷の応酬を繰り広げるのは日常茶飯事。
見ていると、KONちゃんは釣りの先輩であるけれど、B場ちゃんには一向に頭が上がらないようである。
何か弱みでも握られているのだろうか。
要するに、この二人は仲が良いらしいのである。

そこに先頃還暦を迎えた重鎮、H田サンも加わって泥だらけのどんちゃん騒ぎ。

泥と釣り師の境目は紙一重である。


腰、椎間板、靭帯、膝の軟骨。
それぞれの不協和音もこの時ばかりは立つ瀬が無い。
あとは野となれ山となれ。
泥に足元を取られながら。
一瞬の煌き。
ロウソクが燃え尽きる刹那。



真新しいサオを取り出して熟練のキャステイングを披露するH田サンである。



長年にわたり、精力的に買い集めた高価なグラファイトロッドの在庫は相当な量に達しているに違いない。
いずれ、釣り具の価格が高騰した暁には抜け目無く利食いを企んでいるのだろうか。
察するところ、死ぬまでに使い切れる在庫量ではなさそうである。
しかも魂が入った形跡はない。



これにて一件落着と言いたいところではあるが。



おい、そこの二人。
風呂に入った時ぐらいは体を洗え。


やれやれ。


  


Posted by SFM at 19:45Comments(2)釣り師の日常

2019年12月14日

Fishing Cafe 開高健がやってきた

今回のFishing Cafeのお題は開高センセイである。

しかも、嬉しいことに誌面の大半を充てる大盤振る舞い。

ついつい飲み過ぎちゃう。




このセンセイの作品を僕はずいぶん堪能したけれど、一方ではお酒を飲まずにいられない気持ちに仕向けるプロでもある。
もっとも、そのあたりを生業にしていたぐらいだから、僕如きは手玉に取られて当然である。




さて、「開高健は釣りが上手なのか下手なのか。」
と、ある。



そこを推し量るのは野暮ってもんだと僕は思う。
釣れない時の愉しさを知っているのは釣り師だけである。
どの作品でも構わないから読めばわかるとしか言いようがない。


さてさて。
一時間幸せになりたかったらお酒を飲みなさいというけっこう頻繁に引用されている諺がある。
口上の最後は永遠に幸せになりたければ釣りを覚えろと、要するに釣りをやれということである。
釣りを覚えようと覚えまいと、お酒ぐらい毎晩飲めば済む話じゃないか。
僕が言うのもナンだけれど。



  


Posted by SFM at 18:43Comments(6)釣り師の日常

2019年12月11日

滅茶苦茶な釣り師たちの冬支度

師走であるが、師が走り回るわけではない。

この日は師の営む旅館の植栽の冬支度の手伝いである。
日頃から享受している恩恵に報いなければならない。
面子はKONちゃんとB場ちゃんと僕である。






雪囲いという程でもないけれど、これからの降雪に備えて枝を束ねたり、竹竿で補強する作業であるが、肝心の仕事の手際はどうであるか。
そもそも釣り師の所業である。
縄をとぐろにしたり、口々に喚いたり、いい年をした男が雁首を揃えて右往左往いたすのである。
要するに大騒ぎである。
造園稼業の本職が見たら匙を投げるに違いない。


三人寄れば文殊の知恵と言うけれど、何人寄ろうが駄目なものは駄目である。
そうは言っても、稚拙な仕事振りながら通じる気心。
釣り師の機微としか言いようがないのはお互い様。
職場での仕事じゃこうはいかない。
とりわけ寒い日にも拘わらず、つい、寒さを忘れちゃう。


さて。
お昼ごはんは件の中華そばである。
またスープを全部飲んじまった。





作業を終えてキャスティングの指導を受けるB場ちゃんである。



来年の釣果を楽しみにしているのは当人よりむしろ僕の方ではないだろうか。
大いにプレッシャーを感じてほしいところである。


さて。
毛鉤釣り師は釣技で語れと言いたいところであるが、年甲斐もなく射的を始めるB場ちゃんである。
遠くに並べた空き缶を狙い撃つ。
ほぼ、的を外すことはない。



狙撃の王にでもなるつもりだろうか。
まあいい。
現役の源流王である僕と釣りに行くのである。
それぐらいなってもらわないと僕が困る。


一方、屈託のない笑顔でBB弾を撃ちまくるKONちゃんである。



実を言うと、こう見えてもおじいちゃんである。
一応、戸籍の上では祖父である。
敢えて多くは語るまい。


さて。
このような底知れぬ面子と釣りに行かなければならない源流王の気苦労。
少しばかりお察し頂くわけにはいきませんかね。


釣り師たちの休日は他愛なく暮れる。



  


Posted by SFM at 20:03Comments(4)釣り師の日常

2019年12月08日

刺身ってのは半額でなきゃいけない

帰り道に立ち寄ったスーパーの魚売り場。
普段なら呑み終わっている時間帯である。

メバチマグロ切り落とし。
398円が半額で税別199円。





値段が半分になるとおいしさが倍増するように思えるのは僕の主観である。

逆相関とはこういうものではないだろうか。



さて、僕が使っている釣具であるが、型落ちなどで半値以下で買ったものが大半である。

そんな釣具で渓魚を釣ると嬉しさが倍増しちゃうのも僕の主観であるよ。
  


Posted by SFM at 09:07Comments(4)釣り師の日常

2019年12月01日

問答無用 源流王の手打ち蕎麦

新蕎麦が出回る季節。

北海道産のキタワセに少し遅れて、信州産の信濃一号の登場である。

この日、厳かに執り行われたのは釣り師による釣り師のための聞き蕎麦の集いである。




さて。
幾多の渓谷で培った覇気を込めた源流王の手打ちである。
いちいち口には出さないけれど、品格においては即位礼正殿の儀などに引けを取るワケにいかないのではないだろうか。










細かい事を言うようで恐縮であるが、つゆはちょっとだけつけて手繰って頂きたい。
蕎麦もつゆもそのように作ってある。
どっぷりと蕎麦猪口に浸けたがる御仁には怒られるかもしれないけれど、文句があるなら手繰って頂かなくてもよろしい。






この世代、一般的には年齢からくる個性やわがままが頭を擡げる頃合いではあるが、ここに集う面子に限ってはその類の懸念は無用である。
有難いことに、曲者が寄り付かなくなったのは長年にわたる自然淘汰によるところではないだろうか。
残り少ない釣り師人生はお互い様なのである。
唯一、下戸が大半を占めることが残念ではあるが、敢えて多くは語るまい。


目に付きやすいところにラインを通したサオを置いておくと、つい反射的に手に取って振らずにいられないのが釣り師の本能である。



4番ロッドに高番手のSTを乗せてみると新鮮な感触。
発見である。
品の悪い笑みが漂う。
老いても彼らの本質は釣り師であるから、夜更けにイトを寄せ集めてラインシステムを模索する姿が浮かぶようである。

初冬の日は短い。

源泉掛け流しで一日が終わる。
  


Posted by SFM at 21:16Comments(4)釣り師の日常