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2019年08月25日

泣き尺岩魚の婚活事情

さて。
前の日にB場ちゃんが釣っているそうであるから、渋いのは百も承知しているけれど、僕には溪ぐらいしか行く所がない。

察するところ、良型の岩魚を掛けまくって品の悪い笑みを浮かべたに違いない。
しかも、咥え煙草で余裕の所作が目に浮かぶ。
まあいい。

どれどれ。
彼は情け深い男であるから、ペンペン草ぐらいは残しておいてくれたようであるが、この渋さは身に沁みる。

けれど、よく観察してみると、B場ちゃん一人に責任を擦り付けるのは不条理であることがわかる。








先日来、この岩魚たちを悩ませているのが、これからの季節に不可欠な本能に加えて煩悩ではないだろうか。

水中では婚活が始まったようなのである。

そうなると、僕のようなつまらぬ釣り師などを構っている場合じゃないのである。








ざっと見たところ、目を付けたお相手を品定めしている段階ではないかと思う。

結婚を前提としたお付き合いに発展するのはもう少し先になりそうである。
今のうちなら、ちょっと借りるぐらい構わないのではないだろうか。

お借りした泣き尺である。



さて。
借りたものは返さなくてはならない。

誰にも気付かれずにそっとお返しすればいいのである。

金銭であれ、株式であれ、返済すれば文句を言われる筋合いはない。


大きな魚ほどたくさんの卵を産むことになっている。
岩魚たちのお腹の中には卵や白子が漲り始めているに違いない。



一方、人間社会での婚活であるが、その実態はどうであろうか。

残念ながら、僕にとっては最も不得手な分野である。

渓流のフライフィッシングは婚活には不向きですよ。

正直者にはそれぐらいしか語ることはできない。






  


2019年08月17日

尺岩魚 敢えて多くは語るまい

お盆に魚を鉤に掛けるのはどこか気が引ける。

8月や、6日、9日、15日。

やってきたのは台風10号。

実家に顔を出したり、親戚筋の新盆など、お盆の用事は一通り済ませてあるからそう慌てることはない。
わざわざ川の中州に取り残されに出掛ける筋合いはない。

相手は自然系。
対峙するにはコツがある。

台風というものはいずれ頭の上を過ぎ去っていくものである。
何もせず、沈黙を決め込んで、路傍の石になっていればよろしい。
長年にわたり職場で磨き続けた技である。



盆明けの溪。

岩魚の機嫌は相当に悪い。

どれもこれも皮一枚の浅掛かり。






調子に乗って引きを味わっていると逃げられる。
掛け損ねも辛いけれど、綱引きをした挙句に逃げられるのはもっと辛い。
木っ端岩魚はともかく、泣き尺クラスにこれをやられるとけっこう堪える。







さて。
横目で見ているとB場ちゃんの調子は振るわないようである。

理由は単純。
要するにこういうことなのである。





煙を吐いた途端にこのような良型を釣りまくるのは何よりであるが。
僕としては日頃から節煙を心掛けているにも拘わらず、つい、釣られて煙草を喫っちゃうあたり、手放しで喜んで良いものかどうか。



煙の誘惑に抗いつつ岩魚を釣る。









どうにか泣き尺。





最後に出ちゃったのがこの尺岩魚。



毎度の事ながら、釣れてしまったものは仕方がないとしか言いようがない。

敢えて多くは語るまい。


沢筋の友。




お湯の後、第一のビールは師の差し入れ。






  


2019年08月12日

尺岩魚と痩せ岩魚

魚は適度に散らばっていて、そう出ないわけでもない。
けれど、口先を水面に出しておきながら実は食っていない。

要するにちょっかいである。
軽い気持ちでちょっかいを出して取り返しのつかない結末になった経験をお持ちの諸氏は少なくないことと思いたい。


本題である。
最終的に取れなかったアタリの方が多かったのである。











この痩せ岩魚は数字の上では泣き尺である。





さて。
泣く子も黙るのが尺上岩魚であるが、いきなり釣れちゃうと釣り師としては困っちゃうのである。



いやいや、実は困らないのである。



この沢筋は木陰が多いからありがたい。







次世代を担う天然魚。
自然繁殖の証。





蛙が入水する場面には何度も居合わせたことがあるけれど、僕が知る限り彼らが水音を立てた試しはない。





つい。
釣り師の悪い手癖が出ちゃう。





アブラゼミやミンミンゼミの鳴き声はヒグラシとは根本的に趣が違う。



松尾芭蕉は近年の猛暑に耐えられるだろうか。




  


2019年08月05日

尺岩魚 源流王は楽じゃない

水面に毛鉤を落とす。
岩魚が食ったら合わせを入れる。

たったこれだけである。

同じことの繰り返しだけれど、一人でこなすとなるとこれがけっこう忙しい。
昨今では深山幽谷でも人手不足なのである。

この釣りの核心は徹底した効率にある。
要するに手返しである。
さらに、一本の毛鉤で10匹ぐらいは岩魚を掛けなければならない。

具体的にどれぐらいの忙しさであるか。
手近なところで北アルプス、白馬岳あたりの山頂ピストンにほぼ半日分のフライフィッシングを上乗せ。
漕ぎ、巻き、ヘツリ、変化に富んだ道中。
これを日の出から始めて日没までに終えなければならない。

労働基準監督署に知られたら是正勧告を受けるに違いない。


実のところ、そうでもしないと尺岩魚はそうそう釣れないのであるよ。



この体高と体色。
その気になって探してもこんな岩魚はそうは見つからないと思いたい。

日頃、世に数多の親バカちゃんりんに一際醒めた一瞥をくれておきながら、この溪の岩魚になるとご覧のとおりの体たらく。



どうにか型が揃う。
このヒレを見てやって頂けませんかネ。














触ってはいけないとわかっちゃいても、見ているうちになんだかその気になってつい触っちゃった。
人生、時にはそんなことがあるのではないだろうか。




長年ここで岩魚を釣り続けているうちに、僕はこの渓の源流王として揺るぎない地位を確立することになってしまったのであるが、なにも初めから源流王だったわけではない。
最終的に生き残った釣り師がたまたま僕だったのである。

傍目にみていると、世の釣り師たちの大方はこの渓に到達するまでにふるい落とされて消滅していくようである。
釣り師の末期というものは案外あっけない。


出来ることなら。
源流王の座を速やかに後進に譲り、心穏やかに冥王などに就任し、将来的にはこの渓の守護神として品のいい笑顔を醸しつつ平穏に日々を過ごしたいのであるが、王の資質を備えた後継者に恵まれないのが実状である。
そんなわけでもう暫く僕が君臨していなければならない。
やれやれ。

無責任な釣り師の微かな責任感。



不躾ながら。
これが落ちているのは日常茶飯事である。
本体の名誉のために付け加えるけれどほぼ無臭である。





何であるか容易にお察し頂けることと思う。



これは特別天然記念物の死骸である。



さて。
安直に入渓を考える釣り師はこのようになる可能性が極めて高いのではないだろうか。
解剖学的と言えばいいのだろうか、力尽きた釣り師はいずれ分解されて溪の養分になる。
死して屍拾う者無し。


営利を目的とした釣り雑誌や動画などでは紹介されない多くの面を持ち合わせているのが源流遡行の実態なのである。


源流王の溪にようこそ。