2017年06月29日
我が家にWDシューズがやってきた
生来の貧乏性で、我ながら物持ちがいい方だと思うけれど靴底だけはケチったことがない。
人目に付かないところでもあるし、誰だって僕の靴の底など見たいなどと思わないだろうけれど、そこは溪屋としての嗜みだと思う。
そんなこともあって、先頃フェルト底の沢靴を新調した。

今回は縁あってリトルプレゼンツの沢靴が手元に届いた。
足を入れてみるといい感じで、けっこうイケそうである。
手配してくださった皆さん、ありがとうございます。
僕は釣師としては極めて靴遣いが荒い方だと思う。
反面、金遣いと人遣いはいたって穏やかなタチである。
いやいや、むしろアゴで使われる側であるから、尚のこと靴底が減るのだと思いたくなる。
この十年以上、僕の足の裏の主力はゴム底の沢靴で、相当な源流行でも不自由することはまず無い。
むしろフェルト底よりも快適でさえある。

ところが、ごくまれにフェルト底じゃないと手に負えない溪もあるから、常に一足は備えておかなくてはならない。
多少の靴底の使い分けは必要ではないかと僕は思う。
近々、引退をするこの沢靴は実にいい仕事をしてくれた。

目では毛鉤を追い、足の裏の感触だけで水底のすべり具合を的確に判断して歩けたのである。(釣果が伴えばさらに良かったのだけれど。)
この靴の製造元のGMGサービスの製品はリバーガイドという名称で、どれもよく出来ていて、とても気に入って使い続けたのだけれど、数年前に釣具の取り扱いを打ち切ってしまった。
今でも、これだけの沢靴はそうそう無いと思う。
長年酷使したにも拘らず、どこかが決定的に壊れたわけではないのだけれど、足元から微かな声なき声が聞こえてくるのである。
「長丁場の道中で取り返しのつかないことになってはいけない。」
足で稼がざるを得ないフライフィッシャーは溪で怪我をしてはならない。
新しい沢靴にも、過酷な環境ではあるけれど耐え忍んでもらわなければ・・・。
僕にもう少しウデがあれば、そんなに靴底は減らないだろうけれど・・・。
靴底などお見せして失礼仕りました。
人目に付かないところでもあるし、誰だって僕の靴の底など見たいなどと思わないだろうけれど、そこは溪屋としての嗜みだと思う。
そんなこともあって、先頃フェルト底の沢靴を新調した。
今回は縁あってリトルプレゼンツの沢靴が手元に届いた。
足を入れてみるといい感じで、けっこうイケそうである。
手配してくださった皆さん、ありがとうございます。
僕は釣師としては極めて靴遣いが荒い方だと思う。
反面、金遣いと人遣いはいたって穏やかなタチである。
いやいや、むしろアゴで使われる側であるから、尚のこと靴底が減るのだと思いたくなる。
この十年以上、僕の足の裏の主力はゴム底の沢靴で、相当な源流行でも不自由することはまず無い。
むしろフェルト底よりも快適でさえある。
ところが、ごくまれにフェルト底じゃないと手に負えない溪もあるから、常に一足は備えておかなくてはならない。
多少の靴底の使い分けは必要ではないかと僕は思う。
近々、引退をするこの沢靴は実にいい仕事をしてくれた。
目では毛鉤を追い、足の裏の感触だけで水底のすべり具合を的確に判断して歩けたのである。(釣果が伴えばさらに良かったのだけれど。)
この靴の製造元のGMGサービスの製品はリバーガイドという名称で、どれもよく出来ていて、とても気に入って使い続けたのだけれど、数年前に釣具の取り扱いを打ち切ってしまった。
今でも、これだけの沢靴はそうそう無いと思う。
長年酷使したにも拘らず、どこかが決定的に壊れたわけではないのだけれど、足元から微かな声なき声が聞こえてくるのである。
「長丁場の道中で取り返しのつかないことになってはいけない。」
足で稼がざるを得ないフライフィッシャーは溪で怪我をしてはならない。
新しい沢靴にも、過酷な環境ではあるけれど耐え忍んでもらわなければ・・・。
僕にもう少しウデがあれば、そんなに靴底は減らないだろうけれど・・・。
靴底などお見せして失礼仕りました。
2017年06月25日
釣師の天国・岩魚の地獄
この溪はとても山深いけれど開けた溪相で、遠くから岩魚を掛けられるのが持ち味だと思う。
4番ロッドの能力を全開にしても、まだお釣りがくる。
僕にキャスティングの技術が備わっていないのが残念である。
そうは言っても、開放的なキャストで釣れるとやっぱり嬉しい。
怪しくなりつつある腰、肩などをだましだまし入渓することになる。
この日は少し勝手が違うようで、中途半端な場所で、中途半端な食い方をする、中途半端な岩魚を一つずつ拾い歩く釣りである。
時々このサイズが出ると素直に嬉しい。
筋肉質な泣き尺。

優柔不断に出てきた岩魚たち。



聞くところによるとマルちゃん正麵は、煮るときにほぐしたり、かき回してはいけないらしい。

一度ひっくり返すだけでいいらしい。
本当だろうか。
二度目のつ抜けの後、数本目に出たこいつは引いて引いて引きまくった。

9寸を少し出たぐらいだけれど、とてもとても胴に指が回らない。
この溪の岩魚はこうでなきゃいけない。
今日はもう、店仕舞にしてもいいんじゃないだろうか。
六月が終わるのに厚い残雪が残る。

ときどき鳩尾のあたりまで冷水に浸かって渡渉しなければならない。
しかも、ウェット・ウェーデング。
こんな溪は、そうそう人様にお勧めできる場所ではない。
大切なご家族をご遺族にしてはならない。


いつもの温泉の後は、人心地をつけて芋焼酎を一口。

その時、小皿を押しやる勢いで見せられたのがこれである。
食品模型。

要するに疑似餌である。
四皇でもおびき寄せるつもりなのだろうか。
僕が命懸けのすなどりを致している時、我が家を司る本尊は、この類のリアル・イミテーションの作成に没頭していたようであるが、「タイイングを手伝いましょうか・・・?」などという発想は毛頭無いらしい。
まあいい、釣師は寛大なのである。
寡黙に二口目。
4番ロッドの能力を全開にしても、まだお釣りがくる。
僕にキャスティングの技術が備わっていないのが残念である。
そうは言っても、開放的なキャストで釣れるとやっぱり嬉しい。
怪しくなりつつある腰、肩などをだましだまし入渓することになる。
この日は少し勝手が違うようで、中途半端な場所で、中途半端な食い方をする、中途半端な岩魚を一つずつ拾い歩く釣りである。
時々このサイズが出ると素直に嬉しい。
筋肉質な泣き尺。
優柔不断に出てきた岩魚たち。
聞くところによるとマルちゃん正麵は、煮るときにほぐしたり、かき回してはいけないらしい。
一度ひっくり返すだけでいいらしい。
本当だろうか。
二度目のつ抜けの後、数本目に出たこいつは引いて引いて引きまくった。
9寸を少し出たぐらいだけれど、とてもとても胴に指が回らない。
この溪の岩魚はこうでなきゃいけない。
今日はもう、店仕舞にしてもいいんじゃないだろうか。
六月が終わるのに厚い残雪が残る。
ときどき鳩尾のあたりまで冷水に浸かって渡渉しなければならない。
しかも、ウェット・ウェーデング。
こんな溪は、そうそう人様にお勧めできる場所ではない。
大切なご家族をご遺族にしてはならない。
いつもの温泉の後は、人心地をつけて芋焼酎を一口。
その時、小皿を押しやる勢いで見せられたのがこれである。
食品模型。
要するに疑似餌である。
四皇でもおびき寄せるつもりなのだろうか。
僕が命懸けのすなどりを致している時、我が家を司る本尊は、この類のリアル・イミテーションの作成に没頭していたようであるが、「タイイングを手伝いましょうか・・・?」などという発想は毛頭無いらしい。
まあいい、釣師は寛大なのである。
寡黙に二口目。
2017年06月22日
市民失格?あんかけ焼きそばは市民のソウルフード・・・?
先頃、某氏Aさんがお昼ご飯に誘って下さったのだけれど・・・。
熟慮を重ねた結果、説明を尽くし、理解を求め、丁重に辞退をいたした。
僕の地元に、あんかけ焼きそばと焼売が有名な店がある。
その店に入ろうと仰るのである。
その店の焼きそばを食べたことがない人は、この界隈では近隣市町村を含め、ほんの数えるほどではないだろうか。
正確に調査をすれば、恐らく市長選挙の投票率など到底足元にも及ばない数値が示されるのではないかと思わせられる。
それほどに地域に溶け込み、親しまれている店のようなのである。
残念ながら、実物の写真は掲載することができない。
店頭の食品模型をご覧いただきたい。

前述のとおり、穏便な話し合いの結果、幸い入店せずに済んじゃったのである。

さて、当の焼きそばである。
実際のところ、これがクセになっちゃうそうである。
いけない事とは知りつつも、ついつい手を出さずにいられなくなっちゃうらしいのである。
この市では、泥沼から抜け出せなくなった善良な市民の皆さんが人混みに紛れ、且つ誇り高く暮らしておられるのである。
加えて、昨今ではその焼きそばを、市民のソウルフード(少々意味が違うと思うけれど)などと声を大に公言して憚らぬ向きが其処彼処に見受けられるようになっちゃったようである。
その不思議な味は長い年月を経て、この市に暮らす人々の味覚中枢に根深く浸透し、はびこり、程度の差こそあれ人格形成にまで干渉しているものと思われる。
さらに後日、別の某氏Bさん曰く。
その焼きそばのお誘いを辞退した僕は、この地に暮らす市民として甚だ不適格なのだそうである。
はっきり言えば市民失格ということである。
その店は、僕が物心ついた頃には既にあったから、創業五十年はかたいところだろうか。
親から子へ、子から孫へ、脈々と食べ継がれていることになるのだろうけれど、その不思議な味が、もしも計算尽くで作られたのだとしたら、なんだか空恐ろしく思えてくる。
偶然の産物と思いたい。
かくいう僕も、遠い少年時代に二度ばかり食べてみたことがある。
おいしかったかと訊かれたら、回答を差し控えたい。
この場でお答えすることは適切ではないと申し上げる。
独特の個性を放つ、忘れ難い味であったけれど、以来三十年以上も足が向かないという事実を重く受け止めていただきたい。
沈黙させられる声なき声なのである。

達者なうちにもう一度ぐらい・・・。
市民として。
いや、やっぱり止そう。
誘ってくださったAさん。
力説なさったBさん。
お気を悪くなさらずに・・・。
末永く焼きそばをお召し上がりくださいナ。
熟慮を重ねた結果、説明を尽くし、理解を求め、丁重に辞退をいたした。
僕の地元に、あんかけ焼きそばと焼売が有名な店がある。
その店に入ろうと仰るのである。
その店の焼きそばを食べたことがない人は、この界隈では近隣市町村を含め、ほんの数えるほどではないだろうか。
正確に調査をすれば、恐らく市長選挙の投票率など到底足元にも及ばない数値が示されるのではないかと思わせられる。
それほどに地域に溶け込み、親しまれている店のようなのである。
残念ながら、実物の写真は掲載することができない。
店頭の食品模型をご覧いただきたい。
前述のとおり、穏便な話し合いの結果、幸い入店せずに済んじゃったのである。
さて、当の焼きそばである。
実際のところ、これがクセになっちゃうそうである。
いけない事とは知りつつも、ついつい手を出さずにいられなくなっちゃうらしいのである。
この市では、泥沼から抜け出せなくなった善良な市民の皆さんが人混みに紛れ、且つ誇り高く暮らしておられるのである。
加えて、昨今ではその焼きそばを、市民のソウルフード(少々意味が違うと思うけれど)などと声を大に公言して憚らぬ向きが其処彼処に見受けられるようになっちゃったようである。
その不思議な味は長い年月を経て、この市に暮らす人々の味覚中枢に根深く浸透し、はびこり、程度の差こそあれ人格形成にまで干渉しているものと思われる。
さらに後日、別の某氏Bさん曰く。
その焼きそばのお誘いを辞退した僕は、この地に暮らす市民として甚だ不適格なのだそうである。
はっきり言えば市民失格ということである。
その店は、僕が物心ついた頃には既にあったから、創業五十年はかたいところだろうか。
親から子へ、子から孫へ、脈々と食べ継がれていることになるのだろうけれど、その不思議な味が、もしも計算尽くで作られたのだとしたら、なんだか空恐ろしく思えてくる。
偶然の産物と思いたい。
かくいう僕も、遠い少年時代に二度ばかり食べてみたことがある。
おいしかったかと訊かれたら、回答を差し控えたい。
この場でお答えすることは適切ではないと申し上げる。
独特の個性を放つ、忘れ難い味であったけれど、以来三十年以上も足が向かないという事実を重く受け止めていただきたい。
沈黙させられる声なき声なのである。
達者なうちにもう一度ぐらい・・・。
市民として。
いや、やっぱり止そう。
誘ってくださったAさん。
力説なさったBさん。
お気を悪くなさらずに・・・。
末永く焼きそばをお召し上がりくださいナ。
2017年06月18日
一難去ってまた一難
今日の釣りの最優先事項は先行者対策である。
溪の地形、季節柄、等々を総合的に分析するとそうなるのである。
そこで、単車に乗って、必要以上に早い時刻に入渓した。
加えて、新しいフライパターンも試してみなければならない。
さほど活性は良くないけれど、まあまあの出方で一安心したのだけれど。



四つ上げたところでアタリが止んでしまった。
真新しい、濡れた足跡を見つけてしまった。
入渓点は一か所しかない。
つまり、アタマを切られてしまった。
もしも、僕の後ろ姿が誰かのように、強行採決を辞さないような邪気を漂わせていたとすれば不徳の致すところではあるが, 一声掛けてくれれば話し合いにはいつでも応じる用意があるのだけれど。
さて、これからどうしようか。
足跡は新しいから、追いついてまじまじと面付きを眺めつつ、親の顔などを想像してみるのも一興であるが、歩幅とルート取りから察するに、僕を抜いた地点から思い切り遠ざかってからサオをだすように見受けられる。
致し方ないから珈琲を落とす。

嫌々ながらではあるが煙草を喫う。

彼らと戯れる。

だけど今日の溪はそんなに甘くない。
小一時間を費やしたぐらいでは状況は改善しないのである。
致し方ない。
無駄なことは止そう。
僕には温泉があるじゃないか。

お酒だってあるじゃないか。

今夜の主役は、焼き魚でもイワシの酢締めでも佃煮でもなく、僕には分不相応な九谷焼の酒器なのである。
おととい、Sさんから思いがけなく頂いてしまった。
身に余る光栄である。
釣師の名に恥じぬよう不惜身命の心でお酒を飲まなければならない。
溪の地形、季節柄、等々を総合的に分析するとそうなるのである。
そこで、単車に乗って、必要以上に早い時刻に入渓した。
加えて、新しいフライパターンも試してみなければならない。
さほど活性は良くないけれど、まあまあの出方で一安心したのだけれど。
四つ上げたところでアタリが止んでしまった。
真新しい、濡れた足跡を見つけてしまった。
入渓点は一か所しかない。
つまり、アタマを切られてしまった。
もしも、僕の後ろ姿が誰かのように、強行採決を辞さないような邪気を漂わせていたとすれば不徳の致すところではあるが, 一声掛けてくれれば話し合いにはいつでも応じる用意があるのだけれど。
さて、これからどうしようか。
足跡は新しいから、追いついてまじまじと面付きを眺めつつ、親の顔などを想像してみるのも一興であるが、歩幅とルート取りから察するに、僕を抜いた地点から思い切り遠ざかってからサオをだすように見受けられる。
致し方ないから珈琲を落とす。
嫌々ながらではあるが煙草を喫う。
彼らと戯れる。
だけど今日の溪はそんなに甘くない。
小一時間を費やしたぐらいでは状況は改善しないのである。
致し方ない。
無駄なことは止そう。
僕には温泉があるじゃないか。
お酒だってあるじゃないか。
今夜の主役は、焼き魚でもイワシの酢締めでも佃煮でもなく、僕には分不相応な九谷焼の酒器なのである。
おととい、Sさんから思いがけなく頂いてしまった。
身に余る光栄である。
釣師の名に恥じぬよう不惜身命の心でお酒を飲まなければならない。
2017年06月15日
ツバメの雛
仕事で出向いた某店舗の軒下で見つけたツバメの雛。

脚立を借りて覘いてみたらこんな顔をしている。
かわいいと思うか、かわいくないと思うかは賛否両論あると思う。
親鳥はほぼ二分おきにエサを運んでくる。
勤勉さは僕などの比ではない。

ツバメを可愛がっていたことになっているのは、平塚らいてうだっただろうか。
僕の記憶はいつでも曖昧である。
僕ももう少し若ければ・・・。
無理か。
脚立を借りて覘いてみたらこんな顔をしている。
かわいいと思うか、かわいくないと思うかは賛否両論あると思う。
親鳥はほぼ二分おきにエサを運んでくる。
勤勉さは僕などの比ではない。
ツバメを可愛がっていたことになっているのは、平塚らいてうだっただろうか。
僕の記憶はいつでも曖昧である。
僕ももう少し若ければ・・・。
無理か。
2017年06月11日
初夏のイワナ・酢締めの小イワシ
春ゼミが鳴きはじめた。
カジカガエルも鳴きはじめた。
水量も落ち着いた。
他に足りないものは何だろうか。
今日の溪の陽気は爽やか過ぎやしないだろうか。
ジメジメとした、蒸すような空気のイヤらしさが少しばかりあるといいのだが。
あとは僕の釣りの技術ぐらいか。
ほら、最も大切なものが欠けている。
やっぱり出方はまだ本調子じゃなさそうだ。
(ウデにも多分に問題があると思うがネ。)
間もなく出た泣き尺。

何度も測り直してみたけれど、やっぱり尺には足りない。
仮に引っ張ってみても伸びるワケがない。
岩魚はルフィではない。
しかし、ここで事実を歪めるわけにはいかない。
この岩魚は泣き尺である。
あとは八寸クラスが続く。
お腹のゴツゴツした奴は間違いなくセミを食っている。


さてさて、つ抜けにいくつか上乗せをして今日は上がり。
早く温泉に浸かりたい。
そう、今朝入渓した場所で川割りに応じてくれたエサ屋さん。
感謝申し上げます。
浴室の外にシャクナゲ。

先生手製の小イワシの酢締め。

察するところこの先生、こっそり手酌でやるために誂えたたようである。
催促したわけじゃないけれど、僕の目線がよほど物欲しそうに見えちまったのだろうか。
今夜も頂き物だけで一杯(実際には七杯ぐらい)やれちゃうのである。
人間五十年・・・、と少し。
下天の内をくらぶれば、夢幻の如く・・・、
人の世の情けが身に沁みる。
カジカガエルも鳴きはじめた。
水量も落ち着いた。
他に足りないものは何だろうか。
今日の溪の陽気は爽やか過ぎやしないだろうか。
ジメジメとした、蒸すような空気のイヤらしさが少しばかりあるといいのだが。
あとは僕の釣りの技術ぐらいか。
ほら、最も大切なものが欠けている。
やっぱり出方はまだ本調子じゃなさそうだ。
(ウデにも多分に問題があると思うがネ。)
間もなく出た泣き尺。
何度も測り直してみたけれど、やっぱり尺には足りない。
仮に引っ張ってみても伸びるワケがない。
岩魚はルフィではない。
しかし、ここで事実を歪めるわけにはいかない。
この岩魚は泣き尺である。
あとは八寸クラスが続く。
お腹のゴツゴツした奴は間違いなくセミを食っている。
さてさて、つ抜けにいくつか上乗せをして今日は上がり。
早く温泉に浸かりたい。
そう、今朝入渓した場所で川割りに応じてくれたエサ屋さん。
感謝申し上げます。
浴室の外にシャクナゲ。
先生手製の小イワシの酢締め。
察するところこの先生、こっそり手酌でやるために誂えたたようである。
催促したわけじゃないけれど、僕の目線がよほど物欲しそうに見えちまったのだろうか。
今夜も頂き物だけで一杯(実際には七杯ぐらい)やれちゃうのである。
人間五十年・・・、と少し。
下天の内をくらぶれば、夢幻の如く・・・、
人の世の情けが身に沁みる。
2017年06月07日
釣り師に油揚げ・森高がオバさんになっちまった
この油揚げは軽く炙るとカリカリになる。
そこへ醤油をほんの少し落とす。
居ずまいを正して、カリカリを齧りながらチクリとやる。
とりわけビールがいいと思うが、焼酎でも日本酒でも相手を選ばない。

同じカリカリでも、何処其処の事業主や上司などの類の理不尽なカリカリは、素知らぬ顔で捨て置けばよろしい。
そのようなつまらぬことで、せっかくのカリカリを台無しにしてはならない。
中山道の宿場町の一つに塩名田宿がある。
近くにバイパスが開いて生活道路になっているようで、今では車の往来もまばらになっているけれど、当時は大型トラックの街道でもあった。
川筋に川魚料理店があり、宿場町の風情を残している。

その宿場町に一軒の豆腐店がある。
豆腐も油揚げも早い時間に売り切れるけれど、運がいいと買い求めることができる。
この油揚げは、いなり寿司もとてもおいしく仕上がるけれど、我が家では片っ端から焼いて食っちまうせいで、なかなかお稲荷さんまで到達できないでいる。
この豆腐店は、三十年近く前に当時の同僚に教えてもらった。
広告も打たず、ホームページも作らず、豆腐と油揚げを作り、もちろん増産なども致さず、売り切ったらその日はおしまいのようであるが、僕としては末永く油揚げと豆腐を買いに立ち寄りたい。
いやいや、そうさせていただけませんかね。

さて、この油揚げのカリカリは誰もが等しく齧ってもよいものだろうか。
いやいや、小脇のスマートフォンなどを指先で器用にこすりつつ、「コスパ最高!」とか、「マジィ?」などと叫ばれては油揚げの立つ瀬がない。
通信端末やPCの扱いが不得手で、アナログ感覚に頼り続けざるを得ない、不器用な男の一夜の友でなくてはならないと、油揚げになり代わり申し上げたいと思う。
この時、つけっ放しにしてあったNHKのTV番組に森高千里が映った。
僕は彼女の足や手首にはそれほど関心が無いけれど、あの声はどこか良い。
何故か良い。
そこは好みの問題である。
ご本尊さまは、公約どおりにキッチリとオバさんになっちゃったようであるが、流石というか、見事というか、なかなかの覇気を纏っておいでになる。
僕は自身の経年劣化を自覚しつつ、長年変わらない油揚げを炙り、冷えた缶ビールをやるのである。
そこへ醤油をほんの少し落とす。
居ずまいを正して、カリカリを齧りながらチクリとやる。
とりわけビールがいいと思うが、焼酎でも日本酒でも相手を選ばない。
同じカリカリでも、何処其処の事業主や上司などの類の理不尽なカリカリは、素知らぬ顔で捨て置けばよろしい。
そのようなつまらぬことで、せっかくのカリカリを台無しにしてはならない。
中山道の宿場町の一つに塩名田宿がある。
近くにバイパスが開いて生活道路になっているようで、今では車の往来もまばらになっているけれど、当時は大型トラックの街道でもあった。
川筋に川魚料理店があり、宿場町の風情を残している。
その宿場町に一軒の豆腐店がある。
豆腐も油揚げも早い時間に売り切れるけれど、運がいいと買い求めることができる。
この油揚げは、いなり寿司もとてもおいしく仕上がるけれど、我が家では片っ端から焼いて食っちまうせいで、なかなかお稲荷さんまで到達できないでいる。
この豆腐店は、三十年近く前に当時の同僚に教えてもらった。
広告も打たず、ホームページも作らず、豆腐と油揚げを作り、もちろん増産なども致さず、売り切ったらその日はおしまいのようであるが、僕としては末永く油揚げと豆腐を買いに立ち寄りたい。
いやいや、そうさせていただけませんかね。
さて、この油揚げのカリカリは誰もが等しく齧ってもよいものだろうか。
いやいや、小脇のスマートフォンなどを指先で器用にこすりつつ、「コスパ最高!」とか、「マジィ?」などと叫ばれては油揚げの立つ瀬がない。
通信端末やPCの扱いが不得手で、アナログ感覚に頼り続けざるを得ない、不器用な男の一夜の友でなくてはならないと、油揚げになり代わり申し上げたいと思う。
この時、つけっ放しにしてあったNHKのTV番組に森高千里が映った。
僕は彼女の足や手首にはそれほど関心が無いけれど、あの声はどこか良い。
何故か良い。
そこは好みの問題である。
ご本尊さまは、公約どおりにキッチリとオバさんになっちゃったようであるが、流石というか、見事というか、なかなかの覇気を纏っておいでになる。
僕は自身の経年劣化を自覚しつつ、長年変わらない油揚げを炙り、冷えた缶ビールをやるのである。
2017年06月04日
ツーリング釣行・春ゼミの声が聞きたい
寒すぎる。初夏なのに。
間違いなく釣果は期待出来ないけれど出掛けてきたのは、残り少ない釣人人生であるから、行けるときに行っておかないと後々後悔するかもしれないからである。
単車にも乗りたかったし。
水量は平水に戻ったけれど、期待してはいけない。
内心は春ゼミに鳴いてほしい。
彼らが鳴きだすと溪が一変する。
さらに、彼らが食われ始めると一気に弾ける。
今日は無理だけれど。
間もなく一匹。
わざわざ写真を撮るほどの岩魚ではないけれど、もう釣れないかもしれないから一応撮っておく。

もう一匹。

その後は十センチ程度が何匹か掛かる。
そうこうするうちに上流から冷たい風が吹き下ろしてくる。

こうなると手の施しようがない。
下ろう。他にやることはいくらでもある。
早めのお昼ご飯を食べよう。

コンビニのおにぎりが百円均一。
いつもは手が出せない高いおにぎりである。
本性がここに表れる。
カップ麺のおつゆがことのほか沁みる。
帰り道に生態系の調査を行う。





温泉にも入らなくてはならない。
ここで生き返る。

さあ宴だ。
お酒も肴も、頂き物と山で拾ってきたもので全てが調ってしまった。



フライフィッシャーは諸方に足を向けて寝るわけにいかない。
間違いなく釣果は期待出来ないけれど出掛けてきたのは、残り少ない釣人人生であるから、行けるときに行っておかないと後々後悔するかもしれないからである。
単車にも乗りたかったし。
水量は平水に戻ったけれど、期待してはいけない。
内心は春ゼミに鳴いてほしい。
彼らが鳴きだすと溪が一変する。
さらに、彼らが食われ始めると一気に弾ける。
今日は無理だけれど。
間もなく一匹。
わざわざ写真を撮るほどの岩魚ではないけれど、もう釣れないかもしれないから一応撮っておく。
もう一匹。
その後は十センチ程度が何匹か掛かる。
そうこうするうちに上流から冷たい風が吹き下ろしてくる。
こうなると手の施しようがない。
下ろう。他にやることはいくらでもある。
早めのお昼ご飯を食べよう。
コンビニのおにぎりが百円均一。
いつもは手が出せない高いおにぎりである。
本性がここに表れる。
カップ麺のおつゆがことのほか沁みる。
帰り道に生態系の調査を行う。
温泉にも入らなくてはならない。
ここで生き返る。
さあ宴だ。
お酒も肴も、頂き物と山で拾ってきたもので全てが調ってしまった。
フライフィッシャーは諸方に足を向けて寝るわけにいかない。