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2024年10月27日

ただ黙々とハゼを釣る

この日もB場ちゃんに連れられて河口までやってきた。

煙草の本数が増えそうな一日の始まりである。

早速、イソメを小さく千切ってハリに刺して足元に落とす。

余談であるが、KONちゃんはこの手の生餌を触れないそうで、釣り師としては不適格であると、その場にいない釣友の陰口などを叩きつつ、穏やかな釣りに勤しむ。








前回は手探りだったけれど、タナの加減を工夫してやると食わせやすいことが少しずつわかってきた。

多少なりともB場ちゃんの釣果に近づけただろうか。




この釣りは、責任というものが付いてまわることがないから頗る気楽である。






お腹が空いた。
カツ丼でも食べて帰ろうか。
  


Posted by SFM at 16:51Comments(0)他の釣り

2024年10月13日

ハゼ釣りは岩魚釣りより難しい

さて、禁漁。
この先どうやって生きていこうかと思っていた矢先、B場ちゃんが県境を越えてハゼを釣りに釣れて行ってくれた。



エサは青イソメである。
ジャリメは在庫切れらしい。

去年始めたハゼ釣りであるが、やってみると、手に伝わるアタリを乗せるのがなかなか難しい。







こんな素朴な釣りを僕はやりたかった。
出来ることなら近所で。
気の向いた時に。






僕が一匹釣る間にB場ちゃんは三匹ぐらい釣り上げる。




イソメを使い切ってお仕舞い。


帰ったら横になろう。
少し疲れちゃった。



  


Posted by SFM at 14:33Comments(2)他の釣り

2024年04月07日

雪を漕いで 痩せ岩魚

巷では黄砂が舞い、花粉が飛び、桜が咲く。
要するに、春なのである。

早春の溪。
深い雪の上に立って、長竿を伸ばして深みにエサを沈める提灯釣りを、僕はけっこう好きだったりする。
雪の固さは均一ではないから、つい足元を踏み抜いて、胸のあたりまで埋まったり、這い出したりするのもこの季節の風物詩。




いい年をした毛鉤釣り師が、イクラやミミズで岩魚を掛けようってんだから、この日は楽勝といきたかったのであるが、思いのほか食いが渋い。
要するに大幅に予定が狂う。


諦めかけた頃に釣れてきた岩魚。




曲がりなりにも尺はあったけれど、まだ痩せているネ。




雪の上を徘徊しつつ、溪の活性を感じ取る。
まあ、あと二週間くらい経ったら、毛鉤が打てるかもしれないヨ。



  


Posted by SFM at 19:37Comments(4)他の釣り

2023年11月24日

岩魚釣り師がハゼを釣る

禁漁期の慰みというわけでもないけれど、少年時代に思いを馳せ、お気楽な釣りをやってみたいと心から願う今日この頃。
それならハゼ釣りはどうかと、河口に連れて行ってくれたのはB場ちゃんである。

晩秋のある日。
わざわざ小魚と戯れにやってきた男が三人。



ハゼ釣りは僕にとって初めての釣りである。
天秤の付いた仕掛けを使うのも初めてである。
エサはジャリメである。
何だかワクワクしちゃう。

覚束ないスピニングキャストながら、底を這わせてアタリをとってみると、一投ごとにヒイラギとかいう平べったい魚が釣れてきて、ハゼどころではなさそうである。
さらに、時折フグも混じるからハリスがすぐにダメになってしまう。





それでも僕にハゼが二匹釣れた。







B場ちゃんは咥え煙草で一匹釣った。







KONちゃんは最後まで外道を釣り続けた。外道しか釣れなかった。



釣果は別として。
この男は餌のジャリメを素手で触れなくて、ピンセットなどを使ってハリに刺していたようであるが、いい年をして嘆かわしいと言わざるを得ない。




貧果というものは、往々にして誹謗中傷の応酬をエスカレートさせるものである。

もう少しハゼが釣れてくれたら、これはきっと愉しい釣りに違いない。

来年はもう少し早めの時期にやってみようか。

老後の楽しみができた。





  


Posted by SFM at 20:22Comments(2)他の釣り

2023年03月19日

解禁日の情景

大勢の釣り師が立ち並ぶ解禁日の里川。





小心者の釣り師ゆえ、このような人混みに割り込むなんて僕には無理である。

釣り師たちの観察をしつつ、通りかかった年配の監視員を呼び止めて、思いつくままに放流状況、今後の放流計画、遊漁者のタチの良し悪し、漁協の内情、その他諸々。
その類のことを尋ねたりして教授を賜る。
誘導尋問ではない。
この漁場を司る監視員の声に丁寧に耳を傾ける釣り師かここにいる。

間もなく釣り師たちが次々と帰っていくあたりを察するところ、いずれも釣果は芳しくなさそうである。
いずれもゼロに近い貧果に違いない。

帰り支度をしていた釣り師の一人が、「やってみなさいよ」と僕をけしかける。
エサのイクラまで分けてくれちゃう至れり尽くせり。

そのようなわけで、対岸の細流が流れ込んでいるヨレにイクラを流し込んでみると手頃なニジマスが次々と釣れてくる。





見れば、スーパーの鮮魚売り場に並べられているニジマスそのものである。
養魚場の生簀で泳いでいたところを、何かの巡り合わせで昨日この川に運ばれてきたわけである。

それなら、わざわざ川に放して釣る必要はない。
生簀で釣っても結果は同じである。
などと言ったら怒られるだろうか。

まあいい。
せっかくの解禁日。
あまりひねくれたことを言わずに、時には少しばかり手間を掛けてみようかね。



  


Posted by SFM at 20:08Comments(4)他の釣り

2022年10月25日

結局何も釣れなかった

禁漁からこの方。
廃人のように過ごす日々。
そんな僕を見かねて本流筋に誘ってくれたのはB場ちゃんである。

在来魚であれ外来魚であれ、何か掛けなければどこかで人生を誤っちゃう。
この際、我儘などを言っている場合では無さそうである。



足元に流れ着いたリンゴ、玉ネギ、洗剤の容器、その他諸々。
源流釣り師にとって見慣れない光景である。
本流とはそういうものなのだろうか。



などと思いつつ、川辺に立ち、不器用なスピニングキャストに励むのであるが、小魚の気配も感じられない。
要するに、ウンでもなきゃスンでもない。


この男の風下に立つと、絶えず副流煙に悩まされることになる。
風上からそっと煙を流し込むのが得策である。




今にも降り出してきそうな重苦しい曇天は我が国の世情を反映しているようである。
コロナ禍、気候変動、旧統一教会、物価高騰、円安、ヤングケアラー、マイナンバーカード、ミサイル発射、プーチン、その他諸々。

魚は一匹も釣れなかった。

言い訳をする心算は無い。
釣り師として不徳の致すところである。
  


Posted by SFM at 20:52Comments(2)他の釣り

2022年09月01日

カジカが釣れたよ

日中の暑さはさておき、寝苦しさが和らぎ、凌ぎやすくなった。
暦の上では秋である

近年では季節を先取りすることが難しくなっちゃったけれど、秋が近づくとカジカに逢いたくなるのは和の国の釣り師としての心情である。

そこで、某内水面漁協の総会資料を調べてみると、カジカの産卵床整備事業の記載がある。
さっそく某組合に電話を掛けて訊ねてみたところ、組合長が対応してくれて、産卵床整備に拘わる実績はともかく、僕にとってはここが重要なのであるが、うまく話を逸らすあたり、組合長の肩書きは伊達じゃなさそうであるネ。カジカはこの流域のどこにでもいるそうで、解禁の頃はマス釣り師のイクラに食いつくカジカがいるらしいのである。

そうは言っても、多発する大規模な豪雨災害やその後の河川工事。
僕としては、カジカの魚影の濃い場所を聞きたかったのであるがね。
まあ、世の中はそんなものである。

要するに、近年では放流マスや外来魚の類に人生の大半を捧げる釣り師は多いけれど、カジカのような魚種は見向きもされないらしいのである。
それはそれで僕にとっては好都合ではあるがね。

この日、ダメ元でやって来たのは人目に付かない河原である。



本流から差したと思われる小魚が走り、川蜻蛉がひらひらと飛ぶ。
僕はこのような里川で過ごした経験が乏しい。

餌はクロカワムシである。
カディスラーバだかヒューパだか忘れちゃったけれど、要するにトビゲラの幼虫で、石の裏に小砂利を固めて住んでいるアレであるが、わざわざ小難しく横文字を並べ立てる必要はない。
石をひっくり返せば済む話である。
などと言うと、カディスパターンに精通されておられるFF業界の長老に怒られるだろうか。

八月下旬。
水温はまだ高い。
生温さが沢靴越しに伝わってきて何だか気色悪い。

それでも石と石の隙間にカジカはいた。






二時間ほどやってみたけれど、釣れたのはたった一匹である。

それでもカジカが棲んでいることがわかっただけで僕は嬉しい。


道草をせずに帰って、手酌でやろう。
  


Posted by SFM at 21:09Comments(2)他の釣り

2021年08月03日

カジカを釣るのは岩魚を釣るより難しい

日が傾き始めた里川。

どうにか日中の酷暑をやり過ごし、エサに使うクロカワムシを捕まえつつも、結局のところ水の温さには幻滅しちゃう。


カジカたちも熱中症に違いない。



漸く釣れた一匹。



後にも先にも釣れたのはこれだけである。


ほんの指先ほどのカジカではあるが僕は心底嬉しい。

この小魚は僕にとって深山幽谷の尺岩魚より貴重であって、要するに川の宝なのである。


内心、首尾よく良型が揃って、つ抜けでもした暁には、炭火を熾して焼き干しなどを作ってみようかという目論見がないわけではないけれど、いつになってもそれは幻想である。

こう見えても、岩魚や山女魚の味覚については多少なりとも心得ているつもりではあるが、カジカの滋味は渓魚たちの数段上を行く。



そうは言ってもこの表情。




掌に乗せたばかりに目が合っちゃったわけである。

これを串に刺すなんて僕には無理である。




まあいい。
釣果はさておき、多少なりとも下半身を濡らして帰れば気が済むのが釣り師の心境。




さて。

東京五輪の開幕以来、TVを観ることもなければラジオを聞くこともないけれど、日常生活には全くもって支障がない。

因みに、この国の首都近郊で湧き起こっているのは歓声であろうか。
あるいは阿鼻叫喚であろうか。
  


Posted by SFM at 20:45Comments(2)他の釣り

2020年10月26日

魚偏に秋と書いてカジカ

先頃覚えて味をしめちゃったカジカ釣り。

カジカに逢いたくて悶々と過ごす日々。

小綺麗なお姉さんなどこの際どうでもよろしい、などと言ってしまえば身も蓋もないけれど、要するにそういうことなのである。
今、この時。
心底逢いたいのは素朴な小魚である。


そこで、釣り師一同が相集い、膨大な情報を収集、厳密な分析を経て川を選択。
この日、漸く釣行に漕ぎつけたのであるが。
三人寄れば文殊の知恵と言うけれど、所詮は釣り師。そうそう大した知恵などが出るワケもない。
結果的には木端微塵である。

期待が失望に変わる秋の一日。





B場ちゃんが釣った一匹。




僕が餌に使う川虫を採っている時に網に入った稚魚。




後にも先にもこれだけである。

KONちゃんの釣果はゼロである。



ごく僅かにカジカがいることはわかったけれど、それほどいるわけではないこともよくわかった。

まあいい。
相手はカジカ。
残りの釣り師人生、気長にいこう。



さて。
この川に似つかわしくない魚影を発見したのは苦労人のB場ちゃん。

三人で役割を分担して網に追い込んで掬ってみると43cmの立派なニジマス。





ただただ右往左往しただけの一日。

散々な釣果を引きずりつつも、どこか満たされた心。
こんな気持ちはいつ以来だろうか。

一人だったらこうはいかない。

不器用な岩魚釣り師たちの禁漁期はまだ始まったばかり。

先は長いネ。


僕にとっては大盤振る舞いの膳。

自家製シメサバの炙りと貝ひもの揚げ物。



  


Posted by SFM at 19:50Comments(4)他の釣り

2020年09月28日

男たちの午後 禁漁前のカジカ釣り

ただの小魚釣りではあるけれど、カジカがいることがわかっちゃったら、また出掛けて行きたくなるのが人情である。


いい年をした毛鉤釣り師たちが水辺に蹲ってカジカを釣る光景。
傍目には滑稽に映るだろうけれど、この素朴な釣りの味わい深さは格別だと僕は思う。




いちいち口には出さないけれど、内心嬉しくて仕方がない。









何事も飽きやすく、集中力が続かないKONちゃんであるが、いつになく熱心に釣る。







B場ちゃんは地道な努力家であるが、カジカがなかなか顔を見せてくれないのは、ここに来る前にこっそり小渓流に出向いて九寸ほどの岩魚を釣ってしまったからではないだろうか。



粘りに粘って掛けた一匹。



咥え煙草ではあったがね。



この釣りがわかってきたわけではないけれど、ここはカジカの魚影がそう濃いわけではないことは察しがついた。
今、あまり根を詰めると、いずれ支障が出るに違いない。。


さて、禁漁。
噂をたよりに、カジカが棲んでいそうな水辺を訪ね歩いてみようかね。


実のところ、カジカの揚げ物は型が小さい方が美味しいと僕は思う。



基本は塩と柑橘類になるのだろうけれどけれど、カレー味の塩もなかなかイケるのであるよ。


でも。
いつの日か。
型が揃った暁には、焼き干しなどをやってみようと思うのは、盛期を過ぎて久しい岩魚釣り師のささやかな想い。
  


Posted by SFM at 20:07Comments(2)他の釣り