2018年05月31日
尺岩魚 測らなきゃ良かった
春ゼミとカジカガエルが鳴き始めた。
僕はこれを待っていた。
ところが岩魚の出方はまだ浅くて、どこかせわしない。
要するに今一つである。
相変わらず深いところに付いていて、捕食範囲も狭いから、釣るのはけっこう骨が折れる。
けれど、嬉しいことに型が揃ってきた。


手に取ってみると魚体の感触も悪くない。


さて、釜の深みからポンと出たのがこの尺岩魚である。

そう確信してメジャーを当ててみたところ、尺には5ミリほど足りない。
下品な笑みはあえなく消える。
嗚呼、測るんじゃなかった。
物事というものは、なるべく曖昧にしておいた方がいいのではないだろうか。
などと思うのは結果論である。
まあいい。
示された数字は重く受け止めなければならない。
改竄などを致すようでは人間失格である。
ここは、日本人の美徳をもって申し上げたい。
この岩魚は泣き尺である。
良型をもう一本。

正直者の気持ちはほどほどに満たされた。
まだ少しぐらいは上乗せできそうだけれど、そう欲張らずに早々と店仕舞いをするのも悪くないと僕は思う。

日が高いうちから温泉に立ち寄って湯舟を独り占め。
このお湯は、人の世の情けの源泉掛け流しであると思わなければならない。

風呂上りには素晴らしい椀物。

さて、夜はこの味の記憶を肴に。
僕はこれを待っていた。
ところが岩魚の出方はまだ浅くて、どこかせわしない。
要するに今一つである。
相変わらず深いところに付いていて、捕食範囲も狭いから、釣るのはけっこう骨が折れる。
けれど、嬉しいことに型が揃ってきた。
手に取ってみると魚体の感触も悪くない。
さて、釜の深みからポンと出たのがこの尺岩魚である。
そう確信してメジャーを当ててみたところ、尺には5ミリほど足りない。
下品な笑みはあえなく消える。
嗚呼、測るんじゃなかった。
物事というものは、なるべく曖昧にしておいた方がいいのではないだろうか。
などと思うのは結果論である。
まあいい。
示された数字は重く受け止めなければならない。
改竄などを致すようでは人間失格である。
ここは、日本人の美徳をもって申し上げたい。
この岩魚は泣き尺である。
良型をもう一本。
正直者の気持ちはほどほどに満たされた。
まだ少しぐらいは上乗せできそうだけれど、そう欲張らずに早々と店仕舞いをするのも悪くないと僕は思う。
日が高いうちから温泉に立ち寄って湯舟を独り占め。
このお湯は、人の世の情けの源泉掛け流しであると思わなければならない。
風呂上りには素晴らしい椀物。
さて、夜はこの味の記憶を肴に。
2018年05月28日
今更ながら 岩魚釣りって難しい
この川はわりと開けた渓相だから、キャスティングにはほとんど支障が無い。
さらに、岩魚だけはいくらでもいる。
それなら、いくらでも釣れるのかと言うと、そういうワケでもない。
高地の山岳渓流としては、名うての激戦区なのである。

時にはこういう川でも釣らなければならない。
加えて、過去の成功体験から抜け出せず、同じことを繰り返す釣り師をなぜか憎めない。
僕はそう思う。
この川の岩魚の種としての貴重さは重々承知ではあるけれど、流れる毛鉤のすぐ脇で飛沫が上がったりすると、釣り師としては少しばかり小憎ったらしく思えるのが人情ではないだろうか。
ときどき掛かるのはこんな木っ端岩魚である。


長年、谷底ばかりを渡り歩いてきた釣り師だから、財力に恵まれないのは致し方無いけれど、せめて釣果ぐらいは恵まれたいと願うところであるのだが。
傍らでサオを振るのは、風呂場のKONちゃんであるが、この日は釣り場のKONちゃんなのである。

時折聞こえる、「あ、いけね。」とか、「マジィ?」などという叫び声を察するに、やはり状況は芳しくないに違いない。
持ち前の腰痛は小康状態であるらしい。
どうにかこうにか許容範囲。

唯一のライズの主。
ライズが取れるとやっぱり嬉しい。

まあいい。
この日はここで見切る。
足元で寛いでいた山椒魚。

余談であるが、ある溪の源頭で下戸のクセにこれを丸呑みした若い釣り師がいた。
その後、強化されたのが精力なのか知力なのか僕の知るところではない。
脱渓して林道を歩くKONちゃん。
この笑顔が多くの人々を救う。

ネマガリダケを物色しているようである。
何はともあれ、釣りの後はこの温泉。
僕はこれに救われる。

勇気を出して第一のビール

さらに、岩魚だけはいくらでもいる。
それなら、いくらでも釣れるのかと言うと、そういうワケでもない。
高地の山岳渓流としては、名うての激戦区なのである。
時にはこういう川でも釣らなければならない。
加えて、過去の成功体験から抜け出せず、同じことを繰り返す釣り師をなぜか憎めない。
僕はそう思う。
この川の岩魚の種としての貴重さは重々承知ではあるけれど、流れる毛鉤のすぐ脇で飛沫が上がったりすると、釣り師としては少しばかり小憎ったらしく思えるのが人情ではないだろうか。
ときどき掛かるのはこんな木っ端岩魚である。
長年、谷底ばかりを渡り歩いてきた釣り師だから、財力に恵まれないのは致し方無いけれど、せめて釣果ぐらいは恵まれたいと願うところであるのだが。
傍らでサオを振るのは、風呂場のKONちゃんであるが、この日は釣り場のKONちゃんなのである。
時折聞こえる、「あ、いけね。」とか、「マジィ?」などという叫び声を察するに、やはり状況は芳しくないに違いない。
持ち前の腰痛は小康状態であるらしい。
どうにかこうにか許容範囲。
唯一のライズの主。
ライズが取れるとやっぱり嬉しい。
まあいい。
この日はここで見切る。
足元で寛いでいた山椒魚。
余談であるが、ある溪の源頭で下戸のクセにこれを丸呑みした若い釣り師がいた。
その後、強化されたのが精力なのか知力なのか僕の知るところではない。
脱渓して林道を歩くKONちゃん。
この笑顔が多くの人々を救う。
ネマガリダケを物色しているようである。
何はともあれ、釣りの後はこの温泉。
僕はこれに救われる。
勇気を出して第一のビール
2018年05月24日
長野県警ってのァ 神かなんかですか。
今回のお題は、長野県警に採用されているイメージキャラクターである。
画像とプロフィール文は、長野県警のホームページから原文のまま引用したものである。
引用にあたっては、県民の共有財産である点を踏まえ、この取り組みを高く評価してのことであるから、県警広報部門各位におかれては、ぜひとも大目に見て頂きたいところである。
なにより弊ブログ、どう逆立ちしたところで商業収入などは得られるワケがないのであるよ。
長野県警のホームページはこちら。
https://www.pref.nagano.lg.jp/police/keisatsusho/chuo/character/index.html
さて、本題である。
この架空の警察官たちは長野中央署に勤務していることになっている。

中央署のおにいさん
•名前:穂苅士朗(ほかりしろう)
•年齢:26歳
•好きな食べ物:肉、えごまのクッキー
•苦手な食べ物:虫系
•趣味:スキー、映画鑑賞
•特技:海外ドラマのワンシーンを細かく再現
•手塚さんへ一言:「俺の引き出しの中にあるお菓子の種類、何で全部知ってるんですか。そしてさりげなく最近流行のお菓子を追加していくのアナタですね?」

中央署のおじさん
•名前:手塚衛(てづかまもる)
•年齢:42歳
•好きな食べ物:小布施の栗菓子、野沢菜のおやき
•苦手な食べ物:辛いモノ
•趣味:旅行、料理
•特技:最近はそば打ちに凝っていて、なかなかの腕前
•穂苅さんへ一言:「僕の水筒の味見を毎日したがるのはやめてください。言ってくだされば別に作ってきますのに(笑)」
さらに、「ふたりのお仕事ぶり」という4コマ漫画が90章(2018年5月1日現在)にわたって展開されている。
要するに、見れば見るほど理想的なお巡りさんなのである。
ところが、実在の「中央署員のお仕事ぶり」はこれである。
これが長野県警の正体なのではないだろうか。

前述の「ふたりのお仕事ぶり」には、「日々、物陰に隠れて取り締まりに精を出しています。」などとは、一言も書かれていなかったのであるが。
取り締まりが悪いと言っているのではない。
ゴキブリのように物陰に隠れるということが問題なのである。
しかもだネ、取締りの場所と時間帯が僕の思惑通りなのであるよ。
せっかくの取締まりに水を差すようで悪いが。
幾多の釣り場で培った見聞色の覇気で、少し先の未来が僕には見えてしまう。
わざわざ捕まって差し上げる選択肢など僕には無い。
そもそも、物陰にこそこそと隠れるような木っ端警官ごときに手こずっているようでは、とてもじゃないが深山幽谷の源流王に僕はなれない。
はっきり言って役者が違うのである。
自分さえ捕まらなければいいかと言えば、そういうワケでもない。
そうなる前に、僕が覇王色の覇気で一帯の運転手諸氏を、ほんの軽く震撼させておいたのであるが、これは間違いか?
中央署の諸君。
実在の中央署員たちはこう言う・・・。
「なんだか今日は儲からねぇなぁ・・・。」
「もうやめだ、店仕舞だ。」

一方、「中央署のおにいさん」と「中央署のおじさん」はこう言う・・・。
手塚さんの一言。
「数えるべきなのは、まず反則金の額よりも、守るべき人の数じゃございませんか。」
穂刈さんの一言。
「長野県警って、神かなんかですか。」

ちなみにこのイメージキャラクターが発表されたのは2013年であるが、その翌年に、県警本部警備1課の金庫内に保管されていた86万円の公金が無くなっちゃって、同課は盗まれた疑いが強いとして中央署に被害届を出している。
要するに、警察が警察に盗人の捜査を依頼しちゃったのである。
ところで、あれからずいぶん経つけれど、犯人は捕まったのかネ?
画像とプロフィール文は、長野県警のホームページから原文のまま引用したものである。
引用にあたっては、県民の共有財産である点を踏まえ、この取り組みを高く評価してのことであるから、県警広報部門各位におかれては、ぜひとも大目に見て頂きたいところである。
なにより弊ブログ、どう逆立ちしたところで商業収入などは得られるワケがないのであるよ。
長野県警のホームページはこちら。
https://www.pref.nagano.lg.jp/police/keisatsusho/chuo/character/index.html
さて、本題である。
この架空の警察官たちは長野中央署に勤務していることになっている。

中央署のおにいさん
•名前:穂苅士朗(ほかりしろう)
•年齢:26歳
•好きな食べ物:肉、えごまのクッキー
•苦手な食べ物:虫系
•趣味:スキー、映画鑑賞
•特技:海外ドラマのワンシーンを細かく再現
•手塚さんへ一言:「俺の引き出しの中にあるお菓子の種類、何で全部知ってるんですか。そしてさりげなく最近流行のお菓子を追加していくのアナタですね?」

中央署のおじさん
•名前:手塚衛(てづかまもる)
•年齢:42歳
•好きな食べ物:小布施の栗菓子、野沢菜のおやき
•苦手な食べ物:辛いモノ
•趣味:旅行、料理
•特技:最近はそば打ちに凝っていて、なかなかの腕前
•穂苅さんへ一言:「僕の水筒の味見を毎日したがるのはやめてください。言ってくだされば別に作ってきますのに(笑)」
さらに、「ふたりのお仕事ぶり」という4コマ漫画が90章(2018年5月1日現在)にわたって展開されている。
要するに、見れば見るほど理想的なお巡りさんなのである。
ところが、実在の「中央署員のお仕事ぶり」はこれである。
これが長野県警の正体なのではないだろうか。
前述の「ふたりのお仕事ぶり」には、「日々、物陰に隠れて取り締まりに精を出しています。」などとは、一言も書かれていなかったのであるが。
取り締まりが悪いと言っているのではない。
ゴキブリのように物陰に隠れるということが問題なのである。
しかもだネ、取締りの場所と時間帯が僕の思惑通りなのであるよ。
せっかくの取締まりに水を差すようで悪いが。
幾多の釣り場で培った見聞色の覇気で、少し先の未来が僕には見えてしまう。
わざわざ捕まって差し上げる選択肢など僕には無い。
そもそも、物陰にこそこそと隠れるような木っ端警官ごときに手こずっているようでは、とてもじゃないが深山幽谷の源流王に僕はなれない。
はっきり言って役者が違うのである。
自分さえ捕まらなければいいかと言えば、そういうワケでもない。
そうなる前に、僕が覇王色の覇気で一帯の運転手諸氏を、ほんの軽く震撼させておいたのであるが、これは間違いか?
中央署の諸君。
実在の中央署員たちはこう言う・・・。
「なんだか今日は儲からねぇなぁ・・・。」
「もうやめだ、店仕舞だ。」
一方、「中央署のおにいさん」と「中央署のおじさん」はこう言う・・・。
手塚さんの一言。
「数えるべきなのは、まず反則金の額よりも、守るべき人の数じゃございませんか。」
穂刈さんの一言。
「長野県警って、神かなんかですか。」

ちなみにこのイメージキャラクターが発表されたのは2013年であるが、その翌年に、県警本部警備1課の金庫内に保管されていた86万円の公金が無くなっちゃって、同課は盗まれた疑いが強いとして中央署に被害届を出している。
要するに、警察が警察に盗人の捜査を依頼しちゃったのである。
ところで、あれからずいぶん経つけれど、犯人は捕まったのかネ?
2018年05月21日
針のむしろで岩魚釣り
季節外れの夏日が続いた後に、打って変わって急激に冷え込んだこの休日。
我が家の娘たちは僕を釣りに行かせたいらしい。
釣りでなくても、僕が出掛けてさえいればいいのである。
この季節には似つかわしくないけれど、涼しくて気持ちがいい。
渓魚を釣るには爽やか過ぎる。
はっきり言って、釣果などは期待するだけ野暮なのである。
岩魚は水深のある白泡に付いている。
毛鉤を追い払うような所作である。


岩魚にとってはこの上なく迷惑そうである。
お世辞にも歓迎されているとは言い難い。
毛鉤釣り師は、家でも渓でも針のむしろなのである。
まあいい。
人生はこんな時もある。
早々に、立ち去るに限る。
気分を変えて林道のツーリングなど。

この新緑を写真でお伝えできるだろうか。

緑色の色眼鏡をかけているようなこの感覚は、生涯にそう何度も味わえるものではない。
日頃、他人様から色眼鏡で見られている側としてはどこかこそばゆい。
時には僕だって水芭蕉を眺めることもある。

さて、僕が気兼ねなく、本音で過ごせる数少ない場所であるこの温泉。
帰りがけに立ち寄ると先客がいた。
毎度お馴染みのKONちゃんである。
彼の胸中はおおよその察しがつく。
この男、毎回のように焦って湯舟に飛び込んでは、「アチィ!」などと叫ぶのはお決まりのことなのである。
今回は念入りに湯温を確かめているようであるが。

「やっぱりアチィ!」
懲りずに期待に応えてくれるところが彼の素晴らしいところである。

そうは言っても、彼のお嬢さんは昨年嫁いだから、いずれ彼も孫を抱いて風呂に入ることになると思うのだけれど、これほどにいい加減な湯温管理能力で大丈夫なのだろうか。
つい心配になっちゃう。
無二の釣友としては。
ふと。
この天ぷらの材料は、どれも山で拾ってきたものばかりだからタダである。
第三のビールであっけなく成仏。

僕ほどに安上がりな男がいるだろうか。
我が家の娘たちは僕を釣りに行かせたいらしい。
釣りでなくても、僕が出掛けてさえいればいいのである。
この季節には似つかわしくないけれど、涼しくて気持ちがいい。
渓魚を釣るには爽やか過ぎる。
はっきり言って、釣果などは期待するだけ野暮なのである。
岩魚は水深のある白泡に付いている。
毛鉤を追い払うような所作である。
岩魚にとってはこの上なく迷惑そうである。
お世辞にも歓迎されているとは言い難い。
毛鉤釣り師は、家でも渓でも針のむしろなのである。
まあいい。
人生はこんな時もある。
早々に、立ち去るに限る。
気分を変えて林道のツーリングなど。
この新緑を写真でお伝えできるだろうか。
緑色の色眼鏡をかけているようなこの感覚は、生涯にそう何度も味わえるものではない。
日頃、他人様から色眼鏡で見られている側としてはどこかこそばゆい。
時には僕だって水芭蕉を眺めることもある。
さて、僕が気兼ねなく、本音で過ごせる数少ない場所であるこの温泉。
帰りがけに立ち寄ると先客がいた。
毎度お馴染みのKONちゃんである。
彼の胸中はおおよその察しがつく。
この男、毎回のように焦って湯舟に飛び込んでは、「アチィ!」などと叫ぶのはお決まりのことなのである。
今回は念入りに湯温を確かめているようであるが。
「やっぱりアチィ!」
懲りずに期待に応えてくれるところが彼の素晴らしいところである。
そうは言っても、彼のお嬢さんは昨年嫁いだから、いずれ彼も孫を抱いて風呂に入ることになると思うのだけれど、これほどにいい加減な湯温管理能力で大丈夫なのだろうか。
つい心配になっちゃう。
無二の釣友としては。
ふと。
この天ぷらの材料は、どれも山で拾ってきたものばかりだからタダである。
第三のビールであっけなく成仏。
僕ほどに安上がりな男がいるだろうか。
2018年05月18日
フライが溪を従える ブラウンシュガー
山深い溪の盛期まであと少し。
あわてず、さわがず、わずかな時間を見つけて少しずつタイイングをしたりする。
仮に、1日に1本の毛鉤を巻くだけでも1週間に7本の毛鉤が作れることになる。
塵も積もればなんとやら。
さて。
これらの毛鉤の名称はブラウンシュガーという。
けれど、その呼び名を知っているのは名前をつけた僕だけである。

要するに、パラシュートだろうとカディスだろうとソラックスだろうと、何でも構わないから、全身濃茶色の毛鉤を巻くだけでよろしい。
この毛鉤たちは、ある条件下に限ってではあるけれど、溪魚も溪も釣り師も、万象一切を隷属させる能力を持っている。
けれど、それを知っているのは毛鉤を巻いた僕だけである。
ご存知のとおり、ブラウンシュガーというのはローリング・ストーンズのヒット曲でもある。
スティッキー・フィンガースというアルバムの一曲目に収録されている。

何かの拍子にこの曲が聴こえてしまうと、遠い少年時代に憶えたゾワゾワ感が甦ってきちゃう。
大きな声では言えないのだけれど、半世紀と少しを生きてしまったこんな釣り師にも、まだどこかにざわめく血が流れているらしいのである。
この曲の内容を鑑みれば、いい年をしてお世辞にも褒められたことではない。
まずもって、お恥ずかしい限りでもある。
さて、近々。
誰にも知られずに、この毛鉤が弾ける。

あわてず、さわがず、わずかな時間を見つけて少しずつタイイングをしたりする。
仮に、1日に1本の毛鉤を巻くだけでも1週間に7本の毛鉤が作れることになる。
塵も積もればなんとやら。
さて。
これらの毛鉤の名称はブラウンシュガーという。
けれど、その呼び名を知っているのは名前をつけた僕だけである。
要するに、パラシュートだろうとカディスだろうとソラックスだろうと、何でも構わないから、全身濃茶色の毛鉤を巻くだけでよろしい。
この毛鉤たちは、ある条件下に限ってではあるけれど、溪魚も溪も釣り師も、万象一切を隷属させる能力を持っている。
けれど、それを知っているのは毛鉤を巻いた僕だけである。
ご存知のとおり、ブラウンシュガーというのはローリング・ストーンズのヒット曲でもある。
スティッキー・フィンガースというアルバムの一曲目に収録されている。
何かの拍子にこの曲が聴こえてしまうと、遠い少年時代に憶えたゾワゾワ感が甦ってきちゃう。
大きな声では言えないのだけれど、半世紀と少しを生きてしまったこんな釣り師にも、まだどこかにざわめく血が流れているらしいのである。
この曲の内容を鑑みれば、いい年をしてお世辞にも褒められたことではない。
まずもって、お恥ずかしい限りでもある。
さて、近々。
誰にも知られずに、この毛鉤が弾ける。
2018年05月14日
生前贈与のタイイングボックス
先頃、ある名人からタイイングボックスを譲り受けることになった。
タイイングツールや、マテリアルの収納箱である。

家でも使えて、余所に出掛けて毛鉤を巻く時にも具合が良いそうである。
これは生前贈与であって、形見分けであってはならない。
名人におかれては、まだ元気で過ごしていていただかないと僕が困る。
この木製品が製造されたのは僕の少年時代のようである。
中身ごと頂いちゃったのだけれど、開けてみて少したまげた。
自前で加工したツール類。
今ではほとんど出回っていない天然素材。
懐かしいメッツのネックハックルが各色。
殊に、浮沈にかかわらず、夥しい種類のダビング材などは並の毛鉤釣り師が3人がかりで、一生かけても使い切れないのではないだろうか。
仕分けをして、まだ使えそうなマテリアルは、仲間内の現役たちで分け合おうかね。
この箱の中身は、見る人が見ればわかることなのだけれど。
そもそも、当時の釣り師たちは、一体全体フライフィッシングという分野に、どれ程の情熱と時間と費用を注ぎ込んだのだろうか。
家庭不和というものは起きなかったのだろうか。
いや、多くは語るまい。
何事にも抜かりの無い名人の事である。
毛鉤釣り師は詐欺師であってはならない。
埃を払い、虫干しなどをしながら、この箱に出入りをした多大な経験値と情報量に思いを馳せる。

指先で画面をこすってどうにかなれば、誰も苦労などしないのである。
こするだけならサルでもできる。
などと。
そんなことをしているせいだと思うのだけれど、いきなり台所の換気扇の掃除を仰せつかってしまった。

はっきり言って、気乗りはしないけれど、後々のことを考えるにつけ、これを断ることは得策ではない。
釣り師の立場は弱いものである。
小さなことの積み重ねが家庭不和の火種になり得る。
さて、僕は少しばかりタジタジになりながら、一撃必殺の毛鉤を巻くのである。

タイイングツールや、マテリアルの収納箱である。
家でも使えて、余所に出掛けて毛鉤を巻く時にも具合が良いそうである。
これは生前贈与であって、形見分けであってはならない。
名人におかれては、まだ元気で過ごしていていただかないと僕が困る。
この木製品が製造されたのは僕の少年時代のようである。
中身ごと頂いちゃったのだけれど、開けてみて少したまげた。
自前で加工したツール類。
今ではほとんど出回っていない天然素材。
懐かしいメッツのネックハックルが各色。
殊に、浮沈にかかわらず、夥しい種類のダビング材などは並の毛鉤釣り師が3人がかりで、一生かけても使い切れないのではないだろうか。
仕分けをして、まだ使えそうなマテリアルは、仲間内の現役たちで分け合おうかね。
この箱の中身は、見る人が見ればわかることなのだけれど。
そもそも、当時の釣り師たちは、一体全体フライフィッシングという分野に、どれ程の情熱と時間と費用を注ぎ込んだのだろうか。
家庭不和というものは起きなかったのだろうか。
いや、多くは語るまい。
何事にも抜かりの無い名人の事である。
毛鉤釣り師は詐欺師であってはならない。
埃を払い、虫干しなどをしながら、この箱に出入りをした多大な経験値と情報量に思いを馳せる。
指先で画面をこすってどうにかなれば、誰も苦労などしないのである。
こするだけならサルでもできる。
などと。
そんなことをしているせいだと思うのだけれど、いきなり台所の換気扇の掃除を仰せつかってしまった。
はっきり言って、気乗りはしないけれど、後々のことを考えるにつけ、これを断ることは得策ではない。
釣り師の立場は弱いものである。
小さなことの積み重ねが家庭不和の火種になり得る。
さて、僕は少しばかりタジタジになりながら、一撃必殺の毛鉤を巻くのである。
2018年05月11日
目には青葉 路上に潜む 黒い影
僕のような釣り師でも、仕事を引き受けたときぐらいは、依頼主の意向に沿った仕事をしなければならない。
そんなわけで、この日は某所に出向いてきたのであるが。
一方、少し遅れて到着し、誰からも依頼を受けていないにも拘らず、誰の意向にも沿わないような自分勝手な仕事を始めるのがコレである。


各人員、配置についたところである。


さわやかな新緑の季節にも拘らず、芽吹きの影に隠れ潜む、唯一目障りな手合いである。
堂々と、街頭指導をするぐらいの知恵は働かないのだろうか。
シノギが始まった。
嗚呼、捕まっちゃったね。

他人事ながら、察するに余りある。
運転手さん、この悔しさ、決して忘れちゃいけないよ。
せめて、子孫七代ぐらいはなんとやら・・・。
でもね。
物陰に隠れたつもりでも、さらにそれを監視しながら仕事をしている釣り師が一人、ここにいることを彼等は気付いているだろうか。

そんな慎ましい釣り師は、紙パックの焼酎乙類。

そんなわけで、この日は某所に出向いてきたのであるが。
一方、少し遅れて到着し、誰からも依頼を受けていないにも拘らず、誰の意向にも沿わないような自分勝手な仕事を始めるのがコレである。
各人員、配置についたところである。
さわやかな新緑の季節にも拘らず、芽吹きの影に隠れ潜む、唯一目障りな手合いである。
堂々と、街頭指導をするぐらいの知恵は働かないのだろうか。
シノギが始まった。
嗚呼、捕まっちゃったね。
他人事ながら、察するに余りある。
運転手さん、この悔しさ、決して忘れちゃいけないよ。
せめて、子孫七代ぐらいはなんとやら・・・。
でもね。
物陰に隠れたつもりでも、さらにそれを監視しながら仕事をしている釣り師が一人、ここにいることを彼等は気付いているだろうか。
そんな慎ましい釣り師は、紙パックの焼酎乙類。
2018年05月07日
クマの巣に 笑いし膝を 山笑う
新緑の季節には、日を追って溪の活性が上がっていくのが嬉しく思える。
木っ端岩魚ではあるが、狙い通りに釣れると嬉しい。

そう思うことにしている。
これも木っ端岩魚であるが、狙い通りに釣れるとやっぱり嬉しい。

そう思わなくてはならないと思うことにしている。
これはどうであるか。

欲張ってはいけない。
そう自分に言い聞かせることにしている。
そう言いつつ、肩に付いていた惚れ惚れするようなヤツに食わせ切れなかったことが心残りでもある。
そうこうしていると、ひんやりとした風が上流から吹いてくる。
そうなると、何をやっても無駄である。
まあいい。
少し早いが見切ってしまおう。
やらなければならないことが山ほどある。
こう見えても僕はけっこう忙しい。
まずこれ。
僕の好物であるが、はっきり言えば共食いである。

これの天ぷらはタラの芽を凌駕する。

これの天ぷらをカレー味の塩でやったら、その場で悶絶しちゃうかもしれないよ。

この時点で、今夜は天ぷら以外の選択肢は無いことになる。
さて、問題のこれ。

先週より数が増えているよ。
当然といえば当然であるが。
ここは単車でなければ入溪できない。
今思えば、少年時代に学校をサボって単車の免許を取っておいて良かった。
若いときの苦労は買ってでもするものである。

聞くところによれば。
この単車は目立つから、地元の集落では、いつも立ち寄っていく釣り師のことが時々噂になるらしい。
世間は狭い。
僕の氏素性が知れるのは時間の問題ではないだろうか。
釣り師というものは、どこに行っても滅多なことは出来ないのであるよ。

木っ端岩魚ではあるが、狙い通りに釣れると嬉しい。
そう思うことにしている。
これも木っ端岩魚であるが、狙い通りに釣れるとやっぱり嬉しい。
そう思わなくてはならないと思うことにしている。
これはどうであるか。
欲張ってはいけない。
そう自分に言い聞かせることにしている。
そう言いつつ、肩に付いていた惚れ惚れするようなヤツに食わせ切れなかったことが心残りでもある。
そうこうしていると、ひんやりとした風が上流から吹いてくる。
そうなると、何をやっても無駄である。
まあいい。
少し早いが見切ってしまおう。
やらなければならないことが山ほどある。
こう見えても僕はけっこう忙しい。
まずこれ。
僕の好物であるが、はっきり言えば共食いである。
これの天ぷらはタラの芽を凌駕する。
これの天ぷらをカレー味の塩でやったら、その場で悶絶しちゃうかもしれないよ。
この時点で、今夜は天ぷら以外の選択肢は無いことになる。
さて、問題のこれ。
先週より数が増えているよ。
当然といえば当然であるが。
ここは単車でなければ入溪できない。
今思えば、少年時代に学校をサボって単車の免許を取っておいて良かった。
若いときの苦労は買ってでもするものである。
聞くところによれば。
この単車は目立つから、地元の集落では、いつも立ち寄っていく釣り師のことが時々噂になるらしい。
世間は狭い。
僕の氏素性が知れるのは時間の問題ではないだろうか。
釣り師というものは、どこに行っても滅多なことは出来ないのであるよ。
2018年05月05日
釣り師の準備運動 浅間山外輪山
釣り場に足繁く通う前に体を慣らしておかなければならない。
いちいち山に登らなければ岩魚が釣れないのかと聞かれると、そういうワケでもないけれど、僕の場合はそういうワケでもある。
僕の釣りは足で稼がなければならない。
知恵が出なければ汗を出せ、という例のアレである。
今のうちに、少しばかり体に負荷をかけておきたいのである。
ここで浅間山が見えなければならないのだけれど、ご覧のとおりである。

エビの尻尾。

霜柱。

この日はゴールデンウイークの後半なのであるが。
ここで暫し思案をする。
アタマに負荷をかけることはお世辞にも得意とは言えないのであるが。

草すべりを下って賽の河原に出たかったのだけれど、ガスで視界が効かなそうである。
Jバンドの取り付きを速やかに探り当てられるだろうか。
山中で方向を失って彷徨するなど、岩魚釣り師の沽券に拘わる。
致し方なく、退屈な稜線を進む。
残念なことに、これでは体に負荷がかからないのだけれど、安全に行程をこなすのは、釣り師に求められる最低限の資質である。
この日の黒斑山山頂。
これほどにつまらない山頂があるだろうか。

樹林帯を抜けたところで少しずつガスが引ける

さっき下りたかった賽の河原も見通しがきく。

あの時、下っておけば良かった、などと思うのは結果論である。
釣り師の沽券なんて、案外こんなものかもしれないよ。
蛇骨岳から。

仙人岳から。

まあ、許容範囲である。
浅間山の努力は認めてやろう。
お昼ご飯は、コンビニで買ってきたカップ麵と三つのおにぎりなのであるが。

納入業者と物流業者に加えて生産者の嘆き、睡眠不足が常態化した店長の溜息、過去に恵方巻きの購入を強要されたパート従業員の憤り。
それぞれのおにぎりにそれぞれの悲哀が滲んでいるようである。
ひとつのおにぎりが店頭に並ぶまでに関わった津々浦々の人たちが、生き生きと働く様子が僕には見えてこない。
現代社会のお昼ご飯とはそういうものなのだろうか。
浅間山は活火山である。

僕も仕方なく煙を吐かなければならない。

温泉の後は、なるべく水分の摂取を控えて、急いで帰宅しなければならない。
つまらぬ道草などを食っている暇はないのである。
取りも直さず、これ。

この時、この瞬間、ついつい出ちゃう下品な声。
これに当てはまる文字は何だろうか。
僕には思いつかない。
感性豊かな貴方さま、ご助言を賜るわけにはいきませんかね。
さて、本番。
腰を据えて。

いちいち山に登らなければ岩魚が釣れないのかと聞かれると、そういうワケでもないけれど、僕の場合はそういうワケでもある。
僕の釣りは足で稼がなければならない。
知恵が出なければ汗を出せ、という例のアレである。
今のうちに、少しばかり体に負荷をかけておきたいのである。
ここで浅間山が見えなければならないのだけれど、ご覧のとおりである。
エビの尻尾。
霜柱。
この日はゴールデンウイークの後半なのであるが。
ここで暫し思案をする。
アタマに負荷をかけることはお世辞にも得意とは言えないのであるが。
草すべりを下って賽の河原に出たかったのだけれど、ガスで視界が効かなそうである。
Jバンドの取り付きを速やかに探り当てられるだろうか。
山中で方向を失って彷徨するなど、岩魚釣り師の沽券に拘わる。
致し方なく、退屈な稜線を進む。
残念なことに、これでは体に負荷がかからないのだけれど、安全に行程をこなすのは、釣り師に求められる最低限の資質である。
この日の黒斑山山頂。
これほどにつまらない山頂があるだろうか。
樹林帯を抜けたところで少しずつガスが引ける
さっき下りたかった賽の河原も見通しがきく。
あの時、下っておけば良かった、などと思うのは結果論である。
釣り師の沽券なんて、案外こんなものかもしれないよ。
蛇骨岳から。
仙人岳から。
まあ、許容範囲である。
浅間山の努力は認めてやろう。
お昼ご飯は、コンビニで買ってきたカップ麵と三つのおにぎりなのであるが。
納入業者と物流業者に加えて生産者の嘆き、睡眠不足が常態化した店長の溜息、過去に恵方巻きの購入を強要されたパート従業員の憤り。
それぞれのおにぎりにそれぞれの悲哀が滲んでいるようである。
ひとつのおにぎりが店頭に並ぶまでに関わった津々浦々の人たちが、生き生きと働く様子が僕には見えてこない。
現代社会のお昼ご飯とはそういうものなのだろうか。
浅間山は活火山である。
僕も仕方なく煙を吐かなければならない。
温泉の後は、なるべく水分の摂取を控えて、急いで帰宅しなければならない。
つまらぬ道草などを食っている暇はないのである。
取りも直さず、これ。
この時、この瞬間、ついつい出ちゃう下品な声。
これに当てはまる文字は何だろうか。
僕には思いつかない。
感性豊かな貴方さま、ご助言を賜るわけにはいきませんかね。
さて、本番。
腰を据えて。
2018年05月02日
アケビの新芽と大吟醸
アケビの新芽を中越地方では木の芽と呼んでいる。
この品のいい、微かな苦みは大人の愉しみだと思う。
遠月十傑にも、これを扱える料理人はそうそういないに違いない。

老母の代わりに、長岡市にある本家の墓を訪ねたのだけれど、その日の朝に従弟が早起きをして、小千谷まで出向いて朝摘みをしてくれていたのである。
帰ってから、教えられたとおりに、軽く湯掻くと明るい緑色になる。

適度な長さに切って鉢に盛ったら、ウズラの卵を落として醤油を少しかける。
鶏の卵ではダメで、ウズラの卵でなければならないそうである。
さあ、おあがりよ。
さらに、合わせるのは日本酒に限るそうである。
従姉が「はい、これ。」といって持たせてくれた大吟醸と合わせて。
こんなお酒を僕などが飲んでもいいのだろうか。
目がつぶれちまったらどうしよう。
もう一方の主役。
叔母ちゃんが前夜に仕込んでくれたのっぺである。
新潟県の郷土食で、その実力は揺るぎない。
これほどに穏やかで優しい煮物が他にあるだろうか。

新潟県というところは悪人がいない土地柄に違いない。
僕は他県民だけれど、のっぺをつつく時だけは、ついつい、そう思いたくなっちゃう。

この品のいい、微かな苦みは大人の愉しみだと思う。
遠月十傑にも、これを扱える料理人はそうそういないに違いない。
老母の代わりに、長岡市にある本家の墓を訪ねたのだけれど、その日の朝に従弟が早起きをして、小千谷まで出向いて朝摘みをしてくれていたのである。
帰ってから、教えられたとおりに、軽く湯掻くと明るい緑色になる。
適度な長さに切って鉢に盛ったら、ウズラの卵を落として醤油を少しかける。
鶏の卵ではダメで、ウズラの卵でなければならないそうである。
さあ、おあがりよ。
さらに、合わせるのは日本酒に限るそうである。
従姉が「はい、これ。」といって持たせてくれた大吟醸と合わせて。
こんなお酒を僕などが飲んでもいいのだろうか。
目がつぶれちまったらどうしよう。
もう一方の主役。
叔母ちゃんが前夜に仕込んでくれたのっぺである。
新潟県の郷土食で、その実力は揺るぎない。
これほどに穏やかで優しい煮物が他にあるだろうか。
新潟県というところは悪人がいない土地柄に違いない。
僕は他県民だけれど、のっぺをつつく時だけは、ついつい、そう思いたくなっちゃう。