2019年10月27日
ラインのループは心を癒す
禁漁になったら山に登ったり、外来魚を釣って過ごそうと思っていたのだけれど、いろいろあってそういうわけにもいかなくなってしまった。
このところの気疲れ。
こればっかりは一朝一夕というわけにもいかないから、少しばかり身体をほぐしたくて出向いてきたのが人工芝のゲートボール場であるが、ゲートボールをするわけではない。
僕はフライキャスティングの練習をするのである。
ラインが伸びると凝って固くなった肩や首が多少なりともほぐれてくるように思えるのは気のせいだろうか。

さて。
件の中華そばである。
近頃では大盛りを控えて専ら中盛りである。

結局のところ、ここに来ちゃうのである。

季節はお湯割り。

このところの気疲れ。
こればっかりは一朝一夕というわけにもいかないから、少しばかり身体をほぐしたくて出向いてきたのが人工芝のゲートボール場であるが、ゲートボールをするわけではない。
僕はフライキャスティングの練習をするのである。
ラインが伸びると凝って固くなった肩や首が多少なりともほぐれてくるように思えるのは気のせいだろうか。
さて。
件の中華そばである。
近頃では大盛りを控えて専ら中盛りである。
結局のところ、ここに来ちゃうのである。
季節はお湯割り。
2019年10月24日
廃棄される農作物
収穫直前のリンゴであるが、台風19号の出水によって泥水に浸かったために出荷出来ないそうである。
県は出荷しないように呼びかけており、農協は取り扱わないそうである。


素人の考えだけれど、入念に洗ってもダメなのだろうか。
皮を剥いても中身を食べてはいけないのだろうか。
聞くところによると、泥水に浸かると傷みが早くなるそうであるから、事情を説明して「なるべく早めにお召し上がり下さい。」などと、言葉を添えるぐらいでは追いつかないのだろうか。
原発事故の直後に放射性物質の影響を受けたほうれん草やかき菜はよく洗えば問題無いことになっていたようであるが。
実際のところはわからないけれど。
泥水はさておき、汚水に浸かっている手合いはとりわけ政財界に多いようである。
洗っても無駄に違いない。
誰とは言わないけれど。

県は出荷しないように呼びかけており、農協は取り扱わないそうである。
素人の考えだけれど、入念に洗ってもダメなのだろうか。
皮を剥いても中身を食べてはいけないのだろうか。
聞くところによると、泥水に浸かると傷みが早くなるそうであるから、事情を説明して「なるべく早めにお召し上がり下さい。」などと、言葉を添えるぐらいでは追いつかないのだろうか。
原発事故の直後に放射性物質の影響を受けたほうれん草やかき菜はよく洗えば問題無いことになっていたようであるが。
実際のところはわからないけれど。
泥水はさておき、汚水に浸かっている手合いはとりわけ政財界に多いようである。
洗っても無駄に違いない。
誰とは言わないけれど。
2019年10月20日
人に逆らっても自然には逆らうな
フライキャスティングの練習に利用していた芝生の公園がある。
スティーブ・レイジュフなどは別として、僕などの練習にはこの程度の芝生でも十分な広さがあると思っていただければよろしいかと思う。
この公園は、台風19号の被災地の核心部なのである。
災害ゴミの集積所になっており、運び込まれた家具や家電製品などの廃棄物で埋まっている。


道は狭い。
けれど秩序は生きている。




スポーツやアウトドアレジャーなどは所詮ままごと遊びの類であると思うのは僕の私感である。
東京であれ、北方領土であれ、走り回りたい奴には勝手に走らせておけばよろしい。
走らせる側も走る側も所詮イナゴの群れであると思うのも僕の私感である。
要するに、養分を吸い取る側は常に寡黙なのである。
この終末処理施設の機能は麻痺している。

水を流すことは容易だけれど、汚水の処理はけっこう大変らしいのである。
使わないわけにはいかないけれど、水を使うことは汚すことと思わなければならない。
若い頃に通っていた川には時々顔を合わせるとびきり強面のおっさんがいた。
聞けば、相当な筋者だったようである。
「人に逆らっても自然には逆らうな」とは、このおっさんの言である。
そう言いつつも、このおっさん。
僕が推察する限りではあるが。
逆らう奴には1ミリたりとも容赦しなかったに違いない。
僕自身、面と向かって言われたワケじゃないけれど。
スティーブ・レイジュフなどは別として、僕などの練習にはこの程度の芝生でも十分な広さがあると思っていただければよろしいかと思う。
この公園は、台風19号の被災地の核心部なのである。
災害ゴミの集積所になっており、運び込まれた家具や家電製品などの廃棄物で埋まっている。
道は狭い。
けれど秩序は生きている。
スポーツやアウトドアレジャーなどは所詮ままごと遊びの類であると思うのは僕の私感である。
東京であれ、北方領土であれ、走り回りたい奴には勝手に走らせておけばよろしい。
走らせる側も走る側も所詮イナゴの群れであると思うのも僕の私感である。
要するに、養分を吸い取る側は常に寡黙なのである。
この終末処理施設の機能は麻痺している。
水を流すことは容易だけれど、汚水の処理はけっこう大変らしいのである。
使わないわけにはいかないけれど、水を使うことは汚すことと思わなければならない。
若い頃に通っていた川には時々顔を合わせるとびきり強面のおっさんがいた。
聞けば、相当な筋者だったようである。
「人に逆らっても自然には逆らうな」とは、このおっさんの言である。
そう言いつつも、このおっさん。
僕が推察する限りではあるが。
逆らう奴には1ミリたりとも容赦しなかったに違いない。
僕自身、面と向かって言われたワケじゃないけれど。
2019年10月17日
最強クラスの台風 被災地の光景 続編
黙っていても夜は明ける。
出水の翌日。
上空では早朝から多くのヘリコプターが飛ぶ。

地上では排水作業の甲斐あって、少しずつ水が引けたようである。
情報不足ながら人海戦術の安否確認を兼ねた救助が始まる。




自衛隊員に支給されるチェストハイウェーダーは透湿防水素材である。

遠方から来た取材者のようであるが、どのような報道がされるのであろうか。

停電中の被災地ではTVニュースを見ることが出来ない。
ラジオが手元にあるだけでも御の字とは言え、視覚的な情報がほしいところである。
因みに、二階俊博の発言を知ったのは後日であるが、バカを相手にしているヒマは無い。
水というものは低いところに流れ込む。
例外も無ければ忖度も無い。


夕刻。
家族を引き連れ師を訪ねる。
携帯電話の充電のためにコンセントを借りつつ、いつもの風呂場も借りる。
僅かな手灯りとロウソクでやり過ごす夜は長い。

いつもながらの煎餅布団。
今夜も畳の上で寝ることが出来る。
不平を言うようでは釣り師失格以前に日本人失格である。
平穏な日常生活。
それを支える均衡は脆い。
翌日の夜にガスが使えるようになり、翌々日に送電が再開する。
頗る速やかな対応かと僕はありがたく思う。
地域の復旧にはかなりの時間がかかるに違いない。
出水の翌日。
上空では早朝から多くのヘリコプターが飛ぶ。
地上では排水作業の甲斐あって、少しずつ水が引けたようである。
情報不足ながら人海戦術の安否確認を兼ねた救助が始まる。
自衛隊員に支給されるチェストハイウェーダーは透湿防水素材である。
遠方から来た取材者のようであるが、どのような報道がされるのであろうか。
停電中の被災地ではTVニュースを見ることが出来ない。
ラジオが手元にあるだけでも御の字とは言え、視覚的な情報がほしいところである。
因みに、二階俊博の発言を知ったのは後日であるが、バカを相手にしているヒマは無い。
水というものは低いところに流れ込む。
例外も無ければ忖度も無い。
夕刻。
家族を引き連れ師を訪ねる。
携帯電話の充電のためにコンセントを借りつつ、いつもの風呂場も借りる。
僅かな手灯りとロウソクでやり過ごす夜は長い。
いつもながらの煎餅布団。
今夜も畳の上で寝ることが出来る。
不平を言うようでは釣り師失格以前に日本人失格である。
平穏な日常生活。
それを支える均衡は脆い。
翌日の夜にガスが使えるようになり、翌々日に送電が再開する。
頗る速やかな対応かと僕はありがたく思う。
地域の復旧にはかなりの時間がかかるに違いない。
2019年10月16日
最強クラスの台風 被災地の光景
台風19号に被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
一夜明けて。
未明まで鳴り続いた避難速報。
場合によっては避難が必要になる。
タイミングを見極めなければならない。
実情はどうであろうか。
夜明けを待って高台に登ってみるとこういう事なのである。

自宅に戻ると間もなく停電である。
このラジオが唯一の情報源になる。

さて。
自身の足で歩き、目で見て状況を把握しなければならない。
増水中である。



救助する側も手探りである。
聞けば、未明の段階で避難所は満員になっているそうである。


TV局の取材であるが、被災地は停電であるから、残念ながら僕たちはニュースを見ることが出来ない。

昼前に都市ガスが止まる。
致し方なく熱源をかき集める。



さらに隣町のホームセンターに出向いて買い占めない程度にガスカートリッジを確保。

万一の断水に備えてあるだけの空容器と風呂桶に水を貯める。
午後になって少し水が引け始める。
避難の可能性が少し減ったようであるが、安心してはならない。


冷蔵庫はただの箱になったから、食糧計画としては冷凍食品や生ものから先に片付けなければならない。
乾物やカップ麺は後回しである。


日没。

何かと不便な夜ではあるが、浸水を免れただけでも幸いである。
食べられる時には食べて、休める時には休んでおかなければならない。


一夜明けて。
未明まで鳴り続いた避難速報。
場合によっては避難が必要になる。
タイミングを見極めなければならない。
実情はどうであろうか。
夜明けを待って高台に登ってみるとこういう事なのである。
自宅に戻ると間もなく停電である。
このラジオが唯一の情報源になる。
さて。
自身の足で歩き、目で見て状況を把握しなければならない。
増水中である。
救助する側も手探りである。
聞けば、未明の段階で避難所は満員になっているそうである。
TV局の取材であるが、被災地は停電であるから、残念ながら僕たちはニュースを見ることが出来ない。
昼前に都市ガスが止まる。
致し方なく熱源をかき集める。
さらに隣町のホームセンターに出向いて買い占めない程度にガスカートリッジを確保。
万一の断水に備えてあるだけの空容器と風呂桶に水を貯める。
午後になって少し水が引け始める。
避難の可能性が少し減ったようであるが、安心してはならない。
冷蔵庫はただの箱になったから、食糧計画としては冷凍食品や生ものから先に片付けなければならない。
乾物やカップ麺は後回しである。
日没。
何かと不便な夜ではあるが、浸水を免れただけでも幸いである。
食べられる時には食べて、休める時には休んでおかなければならない。
2019年10月12日
最強クラスの台風と新蕎麦
台風19号。
どこにも出掛けないことに決めた。
こんな日は蕎麦を打つぐらいしか能が無い。
無い袖は振れないけれど師が持たせてくれたキタワセの新蕎麦が手元にある。
さて、この日。
台風が運んで来た湿った空気。
これが曲者である。
延しの最中に蒸発する水分にも配慮して加水の加減をするのであるが、僅かでも加水が過ぎるとだらしの無い蕎麦が出来てしまうのである。
最小限の加水量を探り当て、覇気を駆使して生地を仕上げなければならない。
巷の蕎麦店はさておき。
ズル玉を打つようでは釣り師失格である。

ついでに言うと。
打ちたての蕎麦を包丁下と言う。
打ちたてだから美味しいかというとそういうワケでもなくて、少し時間をおいて馴染ませてから茹でた方がいいと僕は思う。


手繰り終える頃に雨足が増す。
風も巻き始める。
明け方まで続き、夜半が峠のようである。
ラジオはつけっ放し。
どこにも出掛けないことに決めた。
こんな日は蕎麦を打つぐらいしか能が無い。
無い袖は振れないけれど師が持たせてくれたキタワセの新蕎麦が手元にある。
さて、この日。
台風が運んで来た湿った空気。
これが曲者である。
延しの最中に蒸発する水分にも配慮して加水の加減をするのであるが、僅かでも加水が過ぎるとだらしの無い蕎麦が出来てしまうのである。
最小限の加水量を探り当て、覇気を駆使して生地を仕上げなければならない。
巷の蕎麦店はさておき。
ズル玉を打つようでは釣り師失格である。
ついでに言うと。
打ちたての蕎麦を包丁下と言う。
打ちたてだから美味しいかというとそういうワケでもなくて、少し時間をおいて馴染ませてから茹でた方がいいと僕は思う。
手繰り終える頃に雨足が増す。
風も巻き始める。
明け方まで続き、夜半が峠のようである。
ラジオはつけっ放し。
2019年10月07日
禁漁 新蕎麦 沢ワサビ
禁漁から一週間。
気持ちの整理がつく頃合い。
沢筋に通じる杣道の藪を刈っておかなければならない。
岩魚釣り師というものはけっこう忙しいのである。
鉈を研ぎ、草刈り機の手入れをして(実際に草刈り機を整備してくれたのはB場ちゃんであるが)迎えたこの日。
生憎の雨である。
雨の理由は案外シンプル。
快く手伝いを引き受けてくれたKONちゃんという男。
これが曲者である。
雨男に違いない。
要するにそういう事なのである。
そうは言っても、いい年をした男が雁首を揃えて引き返すのも情けない。
そこで根ワサビである。
今さらながらではあるが、渓魚の写真を撮るときにはこうやれば良かったのだろうか。

これが雨男である。

ここで新蕎麦の登場である。
秋雨を尻目に利き蕎麦などはいかがであろうか。

正直者が蕎麦を打つ。


雨男が蕎麦を打つ。

役者は揃った。


香りと旨味が乗ってくるのはもう少し先になるけれど、この季節特有の新蕎麦の淡さを僕は貴重だと思う。
雨の日に限ったことではないけれど、釣り師の口の悪さはお互いさまとしか言いようがない。
間もなく釣友たちが悶々としながらとぐろを巻き始める季節。
新蕎麦の集いでもやろうかね。

気持ちの整理がつく頃合い。
沢筋に通じる杣道の藪を刈っておかなければならない。
岩魚釣り師というものはけっこう忙しいのである。
鉈を研ぎ、草刈り機の手入れをして(実際に草刈り機を整備してくれたのはB場ちゃんであるが)迎えたこの日。
生憎の雨である。
雨の理由は案外シンプル。
快く手伝いを引き受けてくれたKONちゃんという男。
これが曲者である。
雨男に違いない。
要するにそういう事なのである。
そうは言っても、いい年をした男が雁首を揃えて引き返すのも情けない。
そこで根ワサビである。
今さらながらではあるが、渓魚の写真を撮るときにはこうやれば良かったのだろうか。
これが雨男である。
ここで新蕎麦の登場である。
秋雨を尻目に利き蕎麦などはいかがであろうか。
正直者が蕎麦を打つ。
雨男が蕎麦を打つ。
役者は揃った。
香りと旨味が乗ってくるのはもう少し先になるけれど、この季節特有の新蕎麦の淡さを僕は貴重だと思う。
雨の日に限ったことではないけれど、釣り師の口の悪さはお互いさまとしか言いようがない。
間もなく釣友たちが悶々としながらとぐろを巻き始める季節。
新蕎麦の集いでもやろうかね。
2019年10月04日
遭難者にも格差がある かもしれない
キノコ採りの季節である。
高山に加えて身近な里山での遭難事故の増加が予想される。
遭難者の格差などと言うと怒られそうだけれど、アルピニストの遭難とキノコ採りの遭難では群集心理として明確な差別化がされていると感じてしまうのはあくまで僕の主観である。
クライミングや冬山などをこなす熟練者を頂点に、一般の登山愛好者は裾野が広い。
地域の観光振興やアウトドア関連業界を大きく支えており、開放的かつ健康的なスポーツであり、質の高い文化として位置づけられている。
例外はあるけれど、山岳遭難に対して概ね世間様は同情的であると思えるのはあくまで僕の主観である。

一方、キノコなどの山菜採りはどうか。
松茸や舞茸の穴場をうっかり漏らす名人がいるだろうか。
どのような拷問にかけられても歯を食いしばって耐え抜くに違いない。
口の堅きこと蛤の如し。
世間様は山菜採り名人の遭難にはどこか冷ややかであると思えるのはあくまで僕の主観である。

国宝級の著名な冒険家がマッキンリーの養分になったのは結果論である。
山菜採りやキノコ採りのおっさんが山中で力尽きるのも結果論である。
さて、禁漁ではあるが。
いつの日か、釣り師が遭難したら。
世間様の目はどうであろうか。
口が軽いようでは釣り師失格であると思うのはあくまで僕の主観であるが。
敢えて多くは語るまい。

高山に加えて身近な里山での遭難事故の増加が予想される。
遭難者の格差などと言うと怒られそうだけれど、アルピニストの遭難とキノコ採りの遭難では群集心理として明確な差別化がされていると感じてしまうのはあくまで僕の主観である。
クライミングや冬山などをこなす熟練者を頂点に、一般の登山愛好者は裾野が広い。
地域の観光振興やアウトドア関連業界を大きく支えており、開放的かつ健康的なスポーツであり、質の高い文化として位置づけられている。
例外はあるけれど、山岳遭難に対して概ね世間様は同情的であると思えるのはあくまで僕の主観である。
一方、キノコなどの山菜採りはどうか。
松茸や舞茸の穴場をうっかり漏らす名人がいるだろうか。
どのような拷問にかけられても歯を食いしばって耐え抜くに違いない。
口の堅きこと蛤の如し。
世間様は山菜採り名人の遭難にはどこか冷ややかであると思えるのはあくまで僕の主観である。
国宝級の著名な冒険家がマッキンリーの養分になったのは結果論である。
山菜採りやキノコ採りのおっさんが山中で力尽きるのも結果論である。
さて、禁漁ではあるが。
いつの日か、釣り師が遭難したら。
世間様の目はどうであろうか。
口が軽いようでは釣り師失格であると思うのはあくまで僕の主観であるが。
敢えて多くは語るまい。