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2021年01月31日

葬儀の準備

偉大なる渓谷を制した岩魚釣り師とは言え、一応は人の子である。
こう見えても、出生にあたっては、コウノトリが運んで来たわけでもなければ木の又から生まれたわけでもない。
いずれ、親の葬儀というものを避けて通るわけにはいかなそうである。
その場になって右往左往するようでは釣り師としていかがなものか。

そこで、葬儀業者にあたりをつけて、具体的な段取りなどを尋ねに出向いてみたところ、このような問い合わせはけっこう多いらしく、おおまかな内容と規模の見通しがついていれば概算の見積りが出ちゃう上に、いろいろなことがわかってきたのである。


他界する場所が病院であればさほど問題は無いらしいのであるが、自宅で逝った場合にはかかりつけ医に素早く死亡診断書を書かせることが肝心なのだそうである。
仮に、警察が介入して事件性を疑い始めると面倒らしいのである。
要するに、忙しい時に警察の相手をしなければならなくなるらしいのである。
そのあたり、第一発見者はうまく立ち回らなければならない。


実際の葬儀のお膳立てや斎場の手続きは業者に任せておけるようで、事前に概要を決めておけば滞りなくやってくれるそうである。


問題は非課税で領収証のやり取りがないお寺のお布施である。

菩提寺が無い場合は、葬儀業者が僧侶を手配することが可能で、費用は戒名込みで金弐拾萬圓也を包めばいいそうである。
これはけっこうお値打ちらしい。

既に檀家になっている場合、お布施の相場はピンからキリまであって、世間ではそこが悩ましいようである。
「いくらぐらいお包みしましょうかネ?」
などと、訊いてみるのも一案であるが、お寺もピンキリで、檀家思いの慎ましいお寺もあれば、ここがチャンスとばかりにけっこう吹っかけてくるお寺もあって、そこは細心の注意が求められるようである。

加えて、黙っていると同業者を連れて来ちゃうから、余計に日当を支払わなくてはならなくなるようである。
くれぐれも読経はお一人様で頼みますヨと、釘を刺しておかなければならない。

さらに、初回に大盤振る舞いをしてしまうと、一度つけた高値はそう簡単に崩せないようで、二度目、三度目にわたり、多大な出費が続くことになりそうである。

現実的には、業者価格を念頭に、先手必勝の指値を打ってから協議するのが現実的ではないだろうか。




さて。
お寺とはどの程度の付き合いになるだろうか。

本質的に、葬儀や法事などの類は、故人を偲ぶ遺族のためのものであって、はっきり言えば宗教関係者のために執り行うわけではない。
そのあたりを明確にしておけばいいのではないだろうかと思うところである。

近々、お寺を訪ねてみようかね。
  


Posted by SFM at 20:58Comments(2)釣り師の日常

2021年01月26日

毛鉤釣り師たちが毛鉤を巻く

雪国の冬は長い。
そこで、バイスなどに向かいて、心にうつりゆくよしなしごとは敢えて語らず、ひねもすのたりのたりと過ごす一日の戯れ。

既に先の見えた釣り師たちが、日頃から使用頻度の高い毛鉤を巻いてみようじゃないかと、要するにそういうことなのである。



B場ちゃんが巻く。




H田サンが巻く。




さらに、師匠も巻く。




これはほんの一部であるが。



差し当たり、人前には当たり障りのないところを出しておき、仲間内であれ誰であれ、腹の底までは見せてやるもんかとでも言いたげな釣り師の本性が見て取れる。



さて。
ここで問題が発生する。

一向に毛鉤を巻かずに、相も変わらず放歌高吟に耽るこの男に協調性を見出すことは極めて困難である。



僕の口の悪さに舌を巻くのはわからないでもないけれど、実のところ、彼は毛鉤を巻けるのだろうか。

この際である。

いっその事、潔く釣り師を廃業して、盛り場の流しなどを始めた暁には、けっこう明るい余生が待っているのではないだろうか。

まあいい。



いずれ、解禁になれば、各人思い思いに散っていくのである。

健闘を祈る。



  


Posted by SFM at 20:26Comments(2)釣り師の日常

2021年01月21日

オリンピックぐらいでいちいち大騒ぎしなさんな

東京オリンピックに関しては、大会そのものはどうでもよくて、むしろ開催の是非を巡る関係者の内情の方が肝心ではないかと思うのは僕の私感である。


出場選手には一際注目が集まるけれど、所詮は先端ツールであるから、本質的には消耗品である。
代わりなどいくらでもいるのである。
要するに毛鉤である。

役人や大会関係者は糸やサオ、はっきり言って道具である。

観衆や視聴者は釣られるべき魚である。

開催の暁には利益を得て、そうでなければ損失を受ける立場の人間は煩悩を抱えた釣り師である。

既に利食いを終えたほんの一部の目敏い巧者たちは、結果はどうあれ、痛くも痒くもないに違いない。


そもそも、オリンピックなどをやらなくても誰も死にゃあしないのであるがね。


さて、岩魚釣り師はどうであるか。
お察しのとおり蚊帳の外であるよ。



  


Posted by SFM at 21:26Comments(2)釣り師の日常

2021年01月09日

海賊王もいいけれど 源流王を目指してはどうだろう

そこの君。



いずれ、海賊王になった暁には、次は源流王になることを勧めたいと僕は思う。

年功序列による消去法とは言え。
致し方なく、偉大なる渓谷を制してはみたものの。
我が手中に収まっちまったあれやこれや。
このまま埋もれさせてしまうのはどこか忍びない。

実のところ、物事の是非を携えた後継者というものは、なかなか見つからなくて困っているのであるよ。


さて。
経験したことのない年明け。

運動不足の日々は、釣り師に容赦というものがない。

致し方なく、毛鉤などを巻いてみたけれど。



目はしょぼしょぼ。
指先は覚束ない。

やれやれ、参ったネ。




さてさて、どうなることやら。



  


Posted by SFM at 19:54Comments(2)釣り師の日常

2021年01月05日

酒とハサミは使いよう

昨年11月の米合衆国大統領選挙の直後、
NYダウに加え、日経平均株価がブレイク。
さらに、新型コロナウィルスの感染者数もブレイク。

いろいろあって、一部の政界関係者を除き、世間サマでは年末年始にかけて執り行われることになっていた忘新年会など、会食の類は大方取り止めになったようである。

各種媒体では、酒類を扱う飲食店や宴会場などの阿鼻叫喚が取り上げられているけれど、それは現実として。


一方では、下戸はもとより、従来であれば不本意ながら参加を強要されていた立場の人々は殊の外多いようで、酒席の拘束から解放されたことを安堵する声なき声も現実である。


実際のところ。
酒の犠牲者を出さなくて済む、要するに掛け値なしで、真に求められている酒席のニーズというものはどれほどだろうか。

僕自身、
致し方なく、
ほんの少しばかり、

お酒を嗜む立場であるから、そう偉そうなことを言えた義理ではないけれど、万物の声が聞こえてきちゃう。




手酌にて。
あけましておめでとうございます。

酒に罪は無い。
  


Posted by SFM at 11:48Comments(0)釣り師の日常