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2018年02月26日

瀬戸際の釣り師たち・渋温泉天川荘

この釣り師たちはつゆ知らず、長年出入りをして居候のように過ごしているけれど、実はこの天川荘という旅館の夕食は、某大手旅行検索サイトでけっこうな格付けをされているのである。

僕にはうまく説明出来ないけれど、要するにただの料理ではないらしいのである。



僕にはナニをどうすれば、こういう料理が仕上がるのかよくわからないけれど、これほど手を掛けた料理を、毛鉤釣り師などにも手の届く料金で提供してもよいのだろうか。





一昨年に、チャーマスさんと一緒に岩魚を釣りに行く機会があって、当日の朝にこの宿で落ち合ったことがある。
前夜泊まったチャーマスさんに、「夕食、おいしかったでしょ?」などと、素知らぬ顔で訊いてみた。
「うん、あれは釣り師には少しばかり過ぎた食事だねぇ・・・。」
満更でもなさそうに、海の皇帝はどこか嬉しそうに見えた。
ほらね。

さて。
本来であれば、この年代の毛鉤釣り師たちは、円熟味を醸しつつ、熟練の釣技を展開しなければならないところであるが、各々長年の経年劣化によって、大なり小なり身体に支障が出始めている。



はっきり言うと、釣り場まで辿り着くことが物理的に困難になってきちゃったのである。
要するに、釣り以前の問題なのである。
高齢化は急速に進んでしまった。
フライフィッシングに介護制度は無い。

そのせいか、山国から遠路はるばる防波堤まで赴いて、豆アジのサビキ釣りなどへの参入を模索した形跡も見られる。
身体にかかる、直接的な負担を回避する意図があるものと思われる。

唯一の若い力は、溪で起こした不祥事によって遊漁区域の厳格な制約を、最終的かつ不可逆的に課せられている。
万一、この約定を違えたら人間失格である。
親孝行、家庭奉仕に励み、人としての信頼回復に努めなければならない。
近道は無い。

人里離れた深山幽谷でも人材不足は深刻なのである。


各人、先が知れてしまった釣り人人生の儚さに思いを巡らせつつ、極上の料理と温泉三昧に癒される。



心が解け、少しばかり品の悪い笑みが漏れる。

KONちゃんが放歌高吟などを致すと。


間もなく一斉に落ちる。
バタバタと音を立てる如く。



そんな一夜。

せめて。
今宵ぐらいはいい釣りを。
夢を見るのはタダであるよ。


  


Posted by SFM at 19:28Comments(0)釣り師の日常

2018年02月22日

釣り師が遭難した時のための釣行計画書

前に遭難した時の捜索費用の保険について書いたので、今回は釣行計画書について。

このところ、山岳登山の分野では、登山計画書の作成は常識になっている。
まだまだ内容が不十分なものや、未提出も多いそうではあるが。

さて、渓流釣り師はどうであるか。

「うちのダンナが釣りに行ったまま帰って来ないんです。探してください。」
「はいはい。どちらまで行かれたんでしょうか?」
「さぁ、どこか知りませんけどね。その辺の川じゃないですかね。」
さてさて、どう探したらいいのだろうか。
「旦那サン、その辺で不倫でもされておられるんじゃないですかね。そのうち帰ってきますよ。」
などと、お答え申し上げたくなっちゃうのが人情ではないだろうか。



察するところ、遭難した渓流釣り師というものは、なかなか見つけにくいと思うのである。
溪で釣りを終えて、「誰にも会わなくて良かった。」と思うのが釣り師の心情。
わざわざ満員御礼の溪を選んで出掛ける釣り師がいるだろうか。
始終、人が行き交う登山道を、朗らかに挨拶を交わしつつ歩く健全な登山者とは根本的に違う。

僕の場合は、ごく簡単なものを書いて、家に置いてから出掛ける。
難度の高い溪の場合は、信頼できる(溪に精通し、口の堅い)人にも預かっていただく。
ご迷惑は重々承知ではあるけれど。



さしあたって、あまり難しく考えなくても、河川名や釣りをする区間のスケッチなど、簡単なメモ書き程度でも良いのではないかと思う。
万一の時に、これがあると無いとでは、初期捜索の効率がずいぶん違うのではないかと想像する。

僕は遭難した経験が無いから、あまり偉そうなことは言えないけれど。

そうは言っても、溪の地理的なことは、なるべく書面に残したくないのが釣り師の本音ではないだろうか。

あまり考えたくないけれど、万一遭難して捜索が実施されることになると、大勢の警察官や救助隊員が入溪することになり、大切な釣り場が公に知られることになってしまう。
要するに、せっかくの隠し沢が台無しになる。
将来的な損失は計り知れない。

まずは御身大切に。
とりわけ釣り師の遭難事故に、世間様は冷ややかであると思えるのは僕だけだろうか。
表向きは別として。
  


Posted by SFM at 19:22Comments(0)釣り師の日常

2018年02月19日

釣り師が仕上げた鹿肉の燻製

鹿肉の冷燻が仕上がった。

この鹿肉は釣友のN川さんからの預かり物であるから、速やかに引渡さなければならない。

そうは言っても、事前に味の確認ぐらいは必要ではないだろうか。
要するに試食である。
自らが手掛けた仕事には責任を持たなければならない。



冷燻というものはこうでなきゃいけない。

こんな時のためにとっておいた麦焼酎の原酒。
去年、親しい酒問屋さんから頂いたものである。
44度あって、非売品だそうである。
核心はこの度数。
酒類流通のプロが、即座に僕への進呈を決意して下さった原酒である。
飲み手冥利に尽きる。
合掌。
そんなわけで、栓を開ける機会を楽しみに窺っていたのである。



麦焼酎というものはこうでなきゃいけない。

これを樽貯蔵したら一体どうなっちまうんだろう。
意識が飛ぶぐらいで済むのだろうか。



さて、この手をつけた一塊をどうしよう。
食べかけの肉を人様に引き渡すのはいかがなものか。
これだけはありがたく頂戴しておくのが大人というものではないだろうか。

はっきり言えばネコババである。
N川さん、ごめんなさい。

燻煙作業の画像など。




  


Posted by SFM at 20:03Comments(2)釣り師の日常

2018年02月15日

風呂場の流儀

昼下がりに人知れず風呂に入るのは、今時の若い奴等がやっていいことではない。
大人の、それも時代遅れな男の嗜みだと思う。
ここだけは譲れないところである。



温泉地の小さな共同浴場は、総じてお湯が良くて湯銭も安いからとてもありがたい。
ここで必要なのは小銭である。
仮想通貨など役に立たない。
流出でも暴落でも好きにさせておけばよろしい。

共同浴場は、一般の客にも開放されているけれど、元々は地元の人たちの風呂場だから、建物も湯船もささやかなものである。





地元のおっさんたちは、毎日来る時間がおおよそ決まっているようで、時には顔を覚えられることもある。
よほど僕の人相が悪いに違いない。
たまに来るだけなのに。

「前にも来たことあるよなぁ。」
「うん、ときどき寄らせてもらうんだよ。」
「そうかい、ゆっくりしてけや。」

こんな風呂場は大勢で出掛けて行くところではない。
一人でこっそりと立ち寄るのがいい。

そうは言っても、「じゃあ、あとでね。」などと言いながら、女湯に入っていくお相手がいれば、さぞかしと思うことも無いわけではないけれど、僕はミもフタも無いような毛鉤釣り師である。
お察しの通り人相も悪い。
少々、手に余りはしないか。
その類のことは、釣友のKONちゃんに任せておけばよろしい。
彼はマメな男である。


明るい時間にふらりと立ち寄って、お湯を使ったら手早く上がる。
慎ましいほどに、代えがたい至福。

仕事をサボって風呂などに入る男が偉そうなことを言えた筋合いではないけれど。


  


Posted by SFM at 19:46Comments(0)釣り師の日常

2018年02月12日

フリースのジャケットが半額・刺身も半額

先頃、半額になったフリースのジャケットを見つけてしまった。
そこは衝動買いを思いとどまる。
理性的に。

さて、週が変わったある日。
なぜかあのフリースが気にかかる。
けれど、日にちも経っているから誰かに買われてしまったかも知れない。

万一、まだ売れ残っていたら僕が買おう。

このフリースは僕を待っていた。



このところ、リトル・プレゼンツの製品には、何か不思議な縁を感じる。
半額だと身体だけでなく、何故か心まで暖かく感じちゃう。


さて、夕刻。
運良く刺身が半額になったところを見つけてしまった。
こんな時は、素早く買ってしまわなければならない。
ただし、安物買いの銭失いにならないように、一瞬の目利きが求められる。

びんちょうまぐろは少しばかり身がだらしないから、ここはネギトロに仕立て直す。
第三のビールが冴える。


  


Posted by SFM at 19:03Comments(0)釣り師の日常

2018年02月08日

ハヤ釣りの思い出と中華そばの口福

時には歩いて行けるぐらいの手近な川で、ハヤやクチボソなどを素朴に釣ってみようと思うのだけれど、この時世ではそうそう都合のいい釣り場が見当たらなくなってしまった。

昔とはずいぶん川の形が変わってしまった。
なんだか川縁の居心地が悪そうに思える。
ここ十数年、つけば小屋も見かけない。
聞くところでは、外来魚は釣れるらしい。

僕が子供の頃に親しんだハヤ釣りは今、フライフィッシングで溪魚を釣るより難しい釣りになっちゃったようである。



さて、中華そばである。
この現代社会、ラーメン店は数限りなくあるにも拘らず、おいしい中華そばを作る店は、その気になって探してもなかなか見つからないのが現実のようである。

ここはある知人に頼んで連れて来てもらった中華そば店。
この店の話を聞いているうちに、つい行きたくなっちゃってついてきたのである。
我々は、のれんが出てから5人目以内の客にならなければならない。
要するに、釜のお湯がさらさらのうちに茹でた麺でなければならないそうである。



嗚呼・・・。
連れて来てもらって本当に良かった。
中華そばというものはこうでなきゃいけない。
N井サン、ありがとう。
合掌。



この店はいつまで続けていてくれるのだろうか。
口福の余韻を残しつつ。
  


Posted by SFM at 20:10Comments(0)釣り師の日常

2018年02月05日

釣り師が遭難した時のための捜索費用保険

使わないに越したことが無いのが保険なのだけれど、沢筋を歩く釣り師は、やっぱり保険に加入した方がいいと思う。

中には、登山道を外れると駄目とか、沢は駄目とか、登攀具を使う場所は駄目とか、そういう保険商品が多くて、うっかりすると無駄な保険になることもあるから、そこはよく確認が必要かと思う。

僕の場合は、捜索費用だけに特化した一年毎の掛け捨て保険を利用している。
日本国内であれば海以外の場所、要するに山でも川でもどこでも大丈夫なのだそうである。
1年間の保険料は5000円でお釣りがくる。



ここは考え方なのだけれど、昨今の相場でアメリカ製のフライロッドを定価で買うことを思えば(とても買えないけれど)、20年以上保険に加入していられることになる。
そもそも、そんな歳になってまで岩魚を釣りに出掛けるほど、しぶといジジイになれるのだろうか。
もう死んでいるかもしれない。

釣り場と言ってもピンからキリまであるから、一括りにはできないけれど、方向を失って帰れなくなったり、怪我をして歩けなくなったり、ツキノワグマに敗北したり。
要するに遭難して救助されることになると、警察署や消防署だけでは済まなくて、ほぼ例外なく民間の遭対協の協力も要請することになるそうで、家計はとんでもないことになる。
この時点で釣り師失格である。

さらに不運が重なると、家庭は火が消えたようになったり、分裂したりする。
本人のみならず家族の人生も狂わせる。
こうなると人間失格である。



仮に、僕が麗しき岩魚の溪で遭難したら、どれぐらいの費用がかかるだろうか。
ある遭対協の事務局をやっているお姉サンに、捜索費用をざっと見積ってもらったことがある。
あくまで一般的な概算と前置きの上であるが。
「軽いところで片手くらいは覚悟してください。一日で見つかればですけどネ。長引けば普通の人は払えないですよ。」
涼しい顔でサラリと言う。
さらに。
「ヘリの費用は別ですよ。県警のヘリが空いていればいいんですけど・・・。保険、入らなきゃ駄目ですヨ。」


さて、山岳登山には計画書というものが不可欠であるが、釣りの計画書についてはまたの機会に。
  


Posted by SFM at 19:50Comments(0)釣り師の日常

2018年02月01日

釣り師が仕込む鹿肉の燻製

さてさて、これから僕は鹿肉を燻製に仕立てなければならない。
せっかくの寒い季節だから冷燻をやろうと思う。

実のところ、僕は食肉の扱いは素人であるが、まあいい。
我が家には牛刀がないから尺出刃で切り分ける。






あらかじめ作っておいたソミュール液に浸ける。



あとは4日ほど冷蔵庫に入れて放置しておけばよろしい。
冷燻の仕上がりは2週間ほど先になる。

この鹿肉は昨夜、釣友のN川さんから謹んでお預かりしたものである。
ざっと2キロほどあるが、冷燻に仕上げると歩留りは凡そ6掛けになる。
(N川さん、ホントですヨ。)

一区切りついた。
ついつい試食をしちゃうのは、人として自然な流れではないだろうか。
要するにつまみ喰いである。
食材の声を聞かなければならない。
N川さん、ごめんなさい。

やはりここは、鹿刺しでなければならない。
それ以外の選択肢はない。



さあ、僕の皿に宿っておくれ。
とでも言えばいいのだろうか。
年甲斐もなく意識が・・・。

仕事の合間に眺めた、花の百名山と日本百名山などを思い出しつつ。



  


Posted by SFM at 18:39Comments(4)釣り師の日常