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2017年04月29日

宝の山・欲の皮の彷徨。

大型連休の初日、宝の山に登ろうと思っていた。
道すがら目線鋭く、抜け目なくお宝を摘みながら歩きたかったのである。

ところが車を降りるとこれである。


さらに日の当たらない斜面は雪だらけだ。
読みを誤った。
考えが甘かった。

僕は水芭蕉などを見に来たわけではない。
お宝を目当てに身支度、食料などを万事怠りなく出掛けてきたのである。

食料といえば、コンビニでは今日から暫くおにぎりが100円である。


この時とばかりに、普段は買えないような高価な具材の入ったおにぎりを選んでしまうあたり、我ながら浅ましく嘆かわしい。

そうは言っても、こうもきれいに咲かれると写真ぐらいは撮ってしまうのが人情というものではないだろうか。
せっかく咲いたのだから、暫く眺めてやらんでもない。


欲に囚われると、人間こうも傲岸不遜になってしまうのだろうか。
ここは速やかに自らを戒めなければならない。

早々と温泉に浸かって気分を変えて別の場所に移動である。


これぐらいになれば摘んでも良いのではないだろうか。


やっぱり少し早かったけれど、これだけあれば十分だ。


さてさて、コシアブラのお浸し。
これをやりたかった。
この緑色を眺めつつ、慎ましくやりたかったのである。


原種岩魚の渓はまだ当分の間、お預けのようである。
  


Posted by SFM at 19:59Comments(0)トレッキング

2017年04月27日

両切り煙草・白河以北一山百文・メダカの池

「しんせい」という煙草である。
先年亡くなった知人の親父さんの遺品である。
亡くなる少し前にカートン買いをしてあったのが見つかったそうで、処分するのも忍びないから僕にもお裾分けが回ってきたのである。


この煙草は銭形警部が好んで喫っていることになっている。
折角だから僕も喫ってみることにする。


両切りだから、喫い方に少しコツがいるけれど悪くない。
長年喫い続けた人には、手放せなかった煙草だろうと思わせられる。
お会いしたことはないけれど、人柄が偲ばれるのである。

さて、ここは通りがかりに見つけたメダカの池。


おたまじゃくしとタニシ。



しんせいを愛用していた御仁は、ご飯のおかずにタニシを食べたことがあるのではないだろうか。

この北信濃でもずいぶん前から、メダカもタニシも人工的に保護してやらないと見ることができないようである。

昨日・一昨日のTVニュースや新聞を見て、一昨年に岩菅山に登りながら聴いていたラジオ番組で取り上げられた曲を思い出してしまった。
山形県の「影法師」というアマチュア音楽グループの曲で、「白河以北一山百文」。
軽妙な曲調ではあるけれど、沁みた。

桜の散った公園で、お裾分けの両切り煙草などを喫っている僕のような男が、偉そうな事を言えた義理ではないけれど、この曲はあとから効いてくる。
  


Posted by SFM at 20:15Comments(2)釣り師の日常

2017年04月25日

隠れ咲く将星カタクリ・生海苔のパスタ

カタクリはそう珍しい花でもないけれど、季節を感じる品の良い花だと思う。


自宅近くの里山に小さな群生地がある。
杣道を外れると、この時期だけ水が滲み出ている場所がある。
このカタクリたちは、まず人目につかない隠れ家の住人である。


ところがここはイノシシのヌタ場でもあるようだ。
踏むなと言っても多分無駄である。


今年は良いタイミングで見ることができた。


ところが・・・。
この日の本命である彼らの成長にはまだ一週間程早かったようだ。
これを摘んだら人間失格である。



さて、生海苔のパスタであるが、先週、肴の先生から詳しく作り方の説明を受けてしまった。
なんでも、「騙されたと思ってやってみな。」という味がするそうである。
そうは言っても・・・ねぇ。
この日まで半世紀以上を生き抜いて、あちらこちらに不具合が出始めた男が初めてパスタなどというものを作るのである。

この心情を貴方におわかり頂けるだろうか。

騙されたつもりでやってみた。
和風の昆布だしで味を調え、生海苔で香り付けをする。

これでいいのだろうか。


焼酎乙類との相性が実にいい。
男が作るパスタはこうでなきゃいけない。
  


Posted by SFM at 20:15Comments(2)トレッキング

2017年04月23日

残雪の黒斑山・外輪山周回

桜の花の盛りではあるけれど、山はまだ冬を引きずっている。
僕も冬の間の怠け癖が染み付いてしまって、立て直しは容易ではない。
そろそろ山を歩かなくてはならない。
渓の盛期までに体を戻しておかなくてはならない。

この日は黒斑山へ出向いて外輪山を一回りすることにした。

ここは歩き始めの地点で二千メートルの標高がある。
樹林帯とガレ場を繰り返しながら登っていくと・・・。

ほら、出た。


浅間山という山は、なんだか生き物みたいだ。
火山だからそう感じてしまうのだろうか。

ここはトーミの頭。


これから歩く賽の河原と外輪山。


雲の上の八ヶ岳。


草すべりを下る。
人の踏み跡は無い。
カモシカの足跡に惑わされてはいけない。

下り始めて外輪山を見上げる。


この空の色をご覧になって、僕の日頃の行いをご想像頂けませんかね。


雪は締まっていて、思いのほか歩きやすい。
樹林帯をショートカットしよう。
今日の賽の河原は僕が一人占めだ。


この岩塊の奥にJバンドがある。


Jバンドの登り。
この岩の感触を僕は好きだ。
時々、振り返ると高度を上げるごとに浅間山の見え方が変わる。


登りきって鋸岳。


仙人岳から蛇骨岳の気持ちのいい稜線歩き。
この区間から眺める浅間山は特に秀逸かと思う。


蛇骨岳でお昼ご飯にしよう。


この噴煙をご覧頂きたい。
浅間山が煙を吐くのであるから、ここで僕も一本煙草を喫う。
生きててよかった。と思う。


右手には四阿山。
今度行こう。


さて、黒斑山頂へは樹林帯の中を歩くのである。
まだけっこうある。
ご飯を食べたら歩くのが嫌になってきた。


黒斑山頂。

この時、珍しく客は僕が一人である。
いつもは足の踏み場が無い程なのだけれど。


帰りは中コースで下ろう。


帰りの道中に立ち寄った温泉施設でサウナにも入ったのであるが、この日は帰宅するなり缶チューハイを乾き物でやりたくなった。


たったこれだけで、未練なく成仏出来るのである。
これほど安上がりな男が他にいるだろうか。
  


Posted by SFM at 19:17Comments(0)トレッキング

2017年04月21日

度数の高いお酒を、牛乳と一緒に飲むといいらしい。

3月の末に、懇意にして下さっていた酒問屋さんが閉店してしまった。
僕は酒類を小売店で買わず、問屋さんから仕入れていたのである。

僕の場合、問屋さんの倉庫でダンボールやコンテナのケースに素早く目線を走らせ、おもむろにアレとコレと・・・などと選びにかかるのであって、小売店では、ほとんどお酒を買っていなかったのである。

こればっかりは致し方の無いことではであるが、僕にとってはとても困るのみならず、寂しくもあり、この先の人生が心細いことと言ったらない。

釣友の一人に、僕の酒類の占めるエンゲル係数が高いと指摘した不届きな輩がいる。
冗談じゃない。
僕は間食の類はまずもって口にしないのである。
ましてや、スィーツなどというものは一切無縁である。
頻繁にケーキなどを召されたり、アイスクリームの類を買い食いされておられる御仁と比べても、明らかに慎ましいと言いたいのである。
もっと言えば、缶コーヒーやペットボトル飲料などより、第三のビールや缶チューハイの方が値段が安いのである。(今後の税率の推移には大いに不安を感じるのであるが、)
多少の酒類ぐらいは極くささやかなものである。

そうは言いつつも・・・。
今回が最後の仕入れである。


問屋さんの心遣いで、残しておいてもらった商品を受け取ってきた。
何ヶ月持つだろうか。

さて、今回教えてもらった問屋さんのお勧めの飲み方であるが、バーボン・ウィスキーや泡盛、芋焼酎など、それも三十度以上のアルコール度数があり、それなりにクセの強いお酒の飲み方の一例である。

オン・ザ・ロックにして、チェイサーに牛乳を、時々、酸味のあるイチゴをかじりながらやると、なかなかおいしいということであるけれど、残念なことに僕は生来の牛乳嫌いであるからこの飲み方はできない。

両刀遣いの貴方、今夜は週末。
ご自宅でそっとおやりになってみてはいかがですか。
  


Posted by SFM at 20:37Comments(2)釣り師の日常

2017年04月17日

杏の花と枝垂れ桜とホタルイカ

「そろそろ花がいい時期になったぞ。」
杏の里に住む知人が電話口で教えてくれた。
久しぶりに行ってみようか。

ちょうどいい具合に、杏の里に程近いところに仕事の打診を受けたばかりである。
これ幸いである。
仕事にかこつけて花を見るのである。
生態系の調査である。

こう見ると、杏も桜もけじめがないようであるが、右手が杏、左手が桜である。


ここは、杏の里でも核心部から外れた集落である。
平日ではあっても、人混みは避けたほうがいい。



次は場所を変えて枝垂れ桜。



桜に見とれるばかりではいけない。
足元ではこれである。


因果応報、悪因悪果などの四字熟語を思わせられる。

枝垂れ桜、もう一箇所行こう。



今日のホタルイカは蒸し器を使って仕上げてみたのであるが、今までの電子レンジや釜茹でより、格段に体裁が整った出来になったと思う。
のんべいさん、ありがとうございます。
貴重な調理法を教えて下さって感謝いたします。
では、締め鯖と好物のフキ味噌をそえて。


さて、春らしい気分になってきた。
今月は残雪の山を歩こう。
体力を戻しておこう。
  


Posted by SFM at 20:57Comments(4)釣り師の日常

2017年04月14日

桜、二分咲きぐらいかなぁ

やっと咲き始めた城跡の桜である。
もっとも、去年の開花が早かっただけで、ごく普通の咲き始めかと思う。


当然の事ながら、仕事の合間に桜を眺めるのであるが、これも生態系の調査の一環である。

安曇野では北アルプスの雪形を見ながら農作業の段取りを立てていたそうである。
僕の場合も手近な開花や芽吹きを見て、山菜の出るタイミングや山岳渓流の雪解けの時期を推し量っているのである。
ただ漠然と桜を眺めているわけではない。


見ごろはあと四・五日ぐらい先だろうか。
山合いの、僕のとっておきの桜は月末あたりになるだろうか。

桜ばかりに目が行きがちであるが、視線を返すと風になびく枝垂れ柳の木もなかなか立派に見える。
脇役の存在を見落としてはいけない。


土手の南向きの法面では菜花が咲き始めた。


この日、買ってきた生ホタルイカは、必ず加熱しなければならないとある。
以前、何度か茹でてみたことがあるが、うまくいった試しがない。
そこで、今日は電子レンジで注意深く加熱してみたところ、まあまあ許容範囲に落ち着いたのであるが、不細工なことに変わりはない。
少しばかり情けない。


エイヒレの揚げ物はS先生の直伝であるから、まず間違いはない。
正直なところ、あまり人様には知られたくない皿である。

あとは、フキ味噌と赤芋仕込みで手堅くまとめればよい。
  


Posted by SFM at 20:20Comments(2)釣り師の日常

2017年04月10日

のっぺ再び

さて、のっぺである。
正月明けにも書いたけれど、また食べてしまったのであるから書かなければならない。

少し遅めの墓参りにやってきた。
長岡市のはずれに母の実家がある。
この日は母を車に乗せてきたのである。

のっぺは新潟県の煮物であるが、里芋が欠かせない具材であり、今が最後の時期なのだそうである。
今回の里芋の入手には、叔母ちゃんに加えて、従姉の友人の力添えもあったそうであるから、頭の下がる思いである。



郷土食でありながら、のっぺほど他県民を素朴で無口、かつ穏やかに迎えてくれる小鉢はそうそう無いと思う。
比べてしまってはのっぺに申し訳ないのだが、東京五輪招致で一時期盛んに使われた、「オモテナシ」なんて、下心が見え過ぎて僕としては片腹痛いのである。
オモテが無いということはウラがある。
生牡蠣がどろっと落ち、ロゴマークは盗作などと大騒ぎをする。
見苦しいことこの上ない。
「オモテナシ」だって本来は、日本人の相手を思う気持ちの表れであり、むしろ素晴らしいことなのだろうけれど、こうなってしまうともういけない。

要するに、その類の連中に食わせるには勿体無い小鉢なのである。

ここは、刈羽原発からそう遠くない平野の郊外である。
今は住宅地が造成され、大型店舗や物流倉庫が何件も建てられたけれど、元は視野の限り水田であった。
はぜかけに使われていたと思われる、等間隔に立っていた背の高い木は、子供心にも忘れることはない。



昨年の秋に県知事選挙が行われて、原発の再稼働が大きな争点であったそうである。
僕は他県民であるし、その土地に住んでみなければ見えてこないものがあることは承知の上だけれど、新潟県知事というものは馬鹿には務まらないと、よくよく思わされるのである。
今昔を問わず、国政への不良品の混入率の高さを考え合わせると、いま暫くこの県に暮らす人々の良識を、信用してみたいと思わされるのである。
ロッキード事件の犯人を含む関係者は別であるが、のっぺという郷土食の味わいを受け継いでいる県であるから、殊更にそう思いたいのである。

この日は、この地方特有のどんよりとした小雨の天気である。

お寺の本堂は、一昨年に改築を済ませて見違えるような立派な建物になった。
檀家さんたちの心中を察するところである。


この土地にも、花の季節が来たようである。


  


Posted by SFM at 20:21Comments(0)釣り師の日常

2017年04月05日

雉も鳴かずば撃たれまい

また、例によって仕事の合間であるが、通りがけの展望台で暫く山を眺めることにする。午前中は天気が持つことになっているそうである。

この辺りまで来る機会はなかなか無い。
早春の好天に、この時を逃してはならない。
時間は有効に使うべきである。
仕事は後回しだって構わない。
人に逆らっても自然に逆らってはいけないのである。

この展望台は北アルプスがよく見える。
特に、後立山連峰の眺めがいい。
ここ数年、一人で歩いた尾根や稜線を眺めやり、思いを馳せるのである。





この稜線の奥には立山や剱岳がある。
さらにその向う側は富山湾である。
きっと、ホタルイカ漁の盛期なのだと思う。
僕は、海とは最も縁遠い高地の住人であり、渓の釣り人でもあるけれど、山にも登るのである。
よく晴れた日に、登りきった山頂から日本海が見えると、なんだか嬉しく思える。

仕事を手早く仕上げて、帰りに通りかかったこの橋であるが、昔々、何度目かの架け替えの折に人柱が沈められたという伝説の橋である。


詳しいことは省くけれど、「雉も鳴かずば撃たれまい・・・」とは、父親を人柱にされた娘の一言だったとある。

日本の各地に、この類の民話が残っているそうであるが、この川の流れる北信濃にもそれが伝えられているのである。
架空の話にもとれるけれど、何事も人間の所業であるから、まんざら根も葉も無い話とも思えないから痛ましいのである。

因みにこの川は、10年と少し前から大型のブラウントラウトとニジマスの本流釣りが楽しめる川として、人気を集めているのである。

さて、ホタルイカであるが、僕にも手の届く値段で生のやつが出回り始めた。


早速、手製の沖漬けに仕立ててみたのであるが、この類の仕事は迅速に、尚且つ優先して着手する必要がある。
旬を逃してはいけないのである。
  


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2017年04月01日

鍋は大勢でつつくばかりが能じゃない

タケダ鍋(仮称であるが)と聞いたとき、なんだか特別な鍋料理かと思ったけれど、水炊きを白だしと大根おろしで和えるだけの簡素な鍋のことなのである。

友人たちにこの鍋を教えたのが、タケダさんという人だから、彼らの内輪で、タケダ鍋と呼ばれているのだそうである。

この鍋の決め手は大根おろしにあると思う。
それこそ馬や牛に食わせるほどに大量の大根をおろすのであるが、それをすっかり使い切っちまうのである。
そのせいか、食べ飽きない良い鍋だと思う。
思いつきで、ブリを薄造りにして、ブリしゃぶをやってみるとさらに良かった。

さてさて、今日の晩御飯は僕一人である。
家人たちは、僕だけを残して外食に出掛けてしまった。
どうやら長女の発案のようであるが、最近の若い人達が言うところの所謂、女子会というやつだろうか。
僕には縁の無い事に違いない。

僕は一人残されたわけであるから、これ幸いとばかりに男の食事をするのである。
しなければならない。

ブリ尽くしにしようと決めるまで、ほんの一瞬であった。
唯一の相談相手は財布の内情ということになるのであるが、刺身の短冊を一大刀買ってくれば事は足りる。
仕事の合間に鮮魚店を覗いてみたところ、今日は宮崎県産の天然ブリが100グラム200円なのである。
ブリは僕を待っていた。
一人で家に残された男に、これ以上似つかわしい夕食が他にあるだろうか。

男の手料理はダイナミックであるが、正確に言えば雑なだけである。

薄造りの柚胡椒風味和え。
やや大ぶりに刻んだタタキ。
ようやく型が揃い始めたホタルイカ。
それらをいそいそと準備して、一杯やり始める。


そうこうするうちに、タケダ鍋が煮えてくる。
すかさず、ブリしゃぶをやる。
この鍋には、僕にとっては少々勿体無い記憶もあるにはあるが、それはそれである。



今夜は一人で食べかつ飲み、飲みかつ食べるのであるが、女子会御一行様が帰って来る前に区切りをつけなければならない。
一人でつつく鍋の妙味は女にわかるものじゃない。
心静かに終わらせたいと思う。


男というものはそういうものである。
ブリ雑炊で、もう一杯だけ飲むことにしよう。
  


Posted by SFM at 20:59Comments(2)釣り師の日常