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2018年08月31日

この夏はフライラインがよく切れた

フライラインが切れたのは初めてである。

この1ヶ月の間に2本切ってしまった。




初めに切れたのはWF-6F。
中空コアが入っているバリバスの例のヤツで、キャスティングの具合が良くて、けっこう長く使っていたのだけれど、溪でフォルスキャストしていたらベリーが切れてしまった。

その日は、もう一揃い担いで来ていた4番ラインの道具立てに持ち替えて釣りを続けることができた。


つい先ごろ切れたのはWF-9Fのロングベリーライン。
キャスティングの練習中にホールしたらランニング部分が切れて後ろに飛んでいってしまった。
これはエアフロのラインなのだけれど、より糸のコアが入っていたから切れちゃったのは意外でもある。


切れてしまったものは仕方が無いから、どうにか繋げてみたり、掘り出し物を見つけたりした。




それはそれとして、フライラインが切れるということは滅多にあることではないから、今まで考えたことは無かったけれど、これが切れるとその時点で釣りはお開きである。
現場で繋ぐことは物理的に無理である。

予備のラインを巻いたリールをもう一つ、持ち歩いた方がいいのかな。
4番ぐらいまでならそう嵩張るものでもなさそうだし。
そうしよう。



さて本日、仕事帰りに仰せつかってしまった買い物の折に見つけた半額の刺身。



ビンチョウマグロは味がそっけないから、ネギトロに仕立て直す。
さあ、おあがりよ。


  


Posted by SFM at 20:01Comments(0)釣り師の日常

2018年08月26日

暑くても岩魚を釣るしか能が無い

残暑厳しき折であるから、釣果などは期待してはならないにも拘わらず出掛けて来てしまうのは、沢ぐらいしか僕には行く所が無いのである。

敢えて多くは語るまい。

要するにそういう事なのであって、こういう男の心中をお察し願いたいところである。

連日の暑さに当てられて、足取りもよろよろと我ながら心許無い。


さて、全く出ないわけではないけれど、掛かりが浅くてバレてばかりである。
釣り師として不徳の致すところである。


手元に取れた岩魚たちの型はどれも今一つであるが、時節柄、贅沢を言ってはならない。








この日の友。



カジカガエルの子供である。
鬼が笑おうと膝が笑おうとそのようなことは一向に構わないけれど、来年には初夏の使者になってほしいと成長を願うところである。



この良型も皮一枚の浅掛かり。





測ってみると、期待に反して尺には少し足りない。
はっきり言えば泣き尺である。
けれど贅沢は敵である。


ここで困った事案が発生する。

ライターが無い。
要するに煙草を喫えない。
お湯も沸かせないからカップ麵も作れない。

たかだか百円のライターが一つ無いだけで、釣り師というものは路頭に迷っちゃうのである。

万一、これが山深いテン場だったら死活問題である。
悪条件が重なれば遭難である。
愛煙家であれ、嫌煙家であれ、ライターを忘れるようでは釣り師失格である。

全くもってお恥ずかしい限りであるが。
或る日、涼しい顔で三下り半を出されてしまった気のいい亭主の心情とはこういうものではないだろうか。
などと、ふと。

ここで潔く店仕舞い。
天気予報ではそろそろ雨が降ることになっているから引き際の頃合いでもある。





林道の愉しさを味わいつつ。





昼下がりには早々に独り占めの湯。




サバのへしこで麦焼酎。
キュウリにつけるこの味噌はちょっと違う。


  


2018年08月23日

スタンダードドライはもう巻けない

若い頃に巻いたドライフライ。

しまっておいたのを忘れていたわけじゃないけれど、そうそう見る気になれなかったのが正直なところである。



こんな僕でも一生懸命にタイイングに勤しんでいた時期があったのである。


今でもタイイングは嫌いではなくて、むしろ、けっこう楽しい作業だと思う。

釣りを続けているうちに、魚の目のつもりになって半沈みに凝ったり、手返しや耐久性を追求するようになって、僕の場合はマテリアルの引き算が始まった。

今、僕が巻くパターンはこれ以上省くところがない。
色気もへったくれもあったもんじゃない。
とてもじゃないが、恥ずかしくて人様にお見せするわけにはいかない。


釣友たちは、一目覗きこんで開口一番。
「うわぁ、イヤらしいなぁ」とか、「マジかよ、おい」などと言う。
さしあたって返す言葉が僕には無い。

溪魚はそれなりにスレるけれど、僕もそれなりにスレたのである。
もっとも、ここまで僕がスレてしまった原因が釣り場だけにあるわけじゃないことはお察しのとおり。

僕の巻く毛鉤で人の心は釣れない。


そう言いつつ。
今更ながらスタンダードパターンを一つ巻いてみると、参ったね。
手つきも仕上がりも覚束なくて、なんだか自分でイヤになっちゃう。



おまけに、一匹掛けたら壊れちゃいそう。


せめて何か一つぐらいは、渓魚のみならず人の心も魅了して、それでいて丈夫で長持ちするパターンを考案してみたいなどと思う晩夏の夜。
ふと。

揺蕩うようなタイイングの境地。


  


Posted by SFM at 21:26Comments(0)釣り師の日常

2018年08月20日

妙高山の夏 岩魚釣り師には毒がある

お盆休みは暑すぎて、だらだらと過ごしてしまった。

この週末は暑さが和らいだから、少しぐらいは体に負荷をかけなければならない。

ここで登場するのが妙高山である。



この山は県境を越えるけれど家から近い。
山を歩くのはタダである。
麓にある温泉もタダである。
要するにそういう事なのである。

なぜ、いちいち山などに登るのかと聞かれたら、そこに山があろうと無かろうと、そのような屁理屈はどうでも良くて、山ぐらいは登れなければ岩魚釣り師として生き残れないからである。

そうは言いつつ、この山とは馬が合うと言うのだろうか。
けっこう長い付き合いである。

この日は空気が乾燥していてとても心地がいい。











山頂直下の岩場を軽々とこなす、テンかオコジョのような見知らぬお姉さん。



万一、このように体の効く向きが沢筋に参入してしまうと、釣り師の地位は脅かされるに違いない。
くれぐれも、釣りの技術を漏洩してはならない。
釣り師には危機管理能力が求められる。
ただぼんやりと山を歩いていてはいけないのである。


南峰。




鹿島槍から五竜、奥に立山。




白馬三山。



焼山と火打山。
実はこれを見たかった。





北峰。



霞んでしまったけれど、日本海が見下ろせる。



山国根性の染みついた岩魚釣り師にとって、海は馴染みが薄いのである。



北峰の火打山がきれいに見えるところには、毎年やってくる僕のために指定席が用意されている。



冷えたビールが冴える。
枝豆とゆで卵は冷蔵庫の残り物だけれど、連れて来ると心強い。


この瞬間だけは社会的格差が逆転する。


焼山は活火山である。
たまには僕が付き合ってやらねばならない。



堪えたほどに利息がついて還って来る。


この山の名物。



ほんの少しではあるけれど、毒気を帯びてしまった岩魚釣り師としては、この花を他人とは思えなくて、つい足を止めて見入ってしまう。
毒を持つ者同志の連帯感がここにある。

帰りの道中にすれ違ったおっさんの仕込み杖。
これを見逃すようでは釣り師失格である。



木刀に金物の矛先を取り付けてある。
聞けば、鍛冶屋(鉄工所のこと)に頼んで特別に誂えたそうである。
このおっさん、相当な使い手に違いない。


冒頭にこの温泉はタダであると書いたけれど、賽銭箱に心づけを入れるのが大人の嗜みであると僕は思う。



ここは混浴露天風呂であるから、湯舟の写真は差し控えなければならない。
読者諸氏のご想像にお任せしたいところである。

お湯自体は青白い濁り湯で硫黄の香りが強い。
くたびれた身体がすっと軽くなる。


君、轢かれてはならぬ。





さて。
まだ明るいけれど、少しぐらいならいいじゃないか。



身体に残る硫黄の香りが心地良い。
どれ、少し横になろうかね。
  


Posted by SFM at 19:54Comments(0)トレッキング

2018年08月16日

時々見かけるエルクヘアカディス依存症

今年のお盆は実家に顔を出したり、親戚の墓に出向いたりした他は殆ど出掛けずに、暑さと人混みを避けて家に引き籠って、外国に単身赴任している先達からのメッセージに釣友たちの近況を返信したり、明るいうちからお酒を飲んだりせず、お昼になるとそうめんを茹でてミョウガを薬味にして食べたり、老眼鏡をかけて新聞や本に目を通したり、毛鉤を巻いて補充したりしてのらりくらりと過ごした。



さて。
山岳渓流では、エルクヘアカディスは泣く子も黙るドライフライである。

好みが分かれるところかと思うけれど、使い勝手の良さと、条件が揃ったときの効き目を思えば渓魚の側にも高いニーズがあるのだと思う。




僕自身、これだけで不自由なく一日を通せることもある。

お勧めはしないけれど、軸の太いセイゴ鉤などに巻いておくと、場を荒らさないように素早く魚を引き抜くときに具合が良い。

あまりきれいに仕上げずに、わざと崩した方が良かったりする。

そう言いつつ、久しぶりに教科書どおりに巻いてみたのだけれど、長年の自己流が染みついて、お世辞にもきれいな仕上がりとは言えない。





僕の周りにも、エルクヘアカディス依存症と言えばいいのだろうか、これのサイズと色を変えて持っていれば、他のパターンは要らないと言い切る釣り師が何人もいる。


横目でそっとフライボックスを覗きこんでみると、確かにエルクヘアカディスしか入っていなくて、厚く巻いたり、薄く巻いたり、ウィング材の上に蛍光色の目印を取り付けたりしたのが大小含めて収まっているのはけっこう几帳面な向きで、同じようなのがいくつか入ってはいても、フライボックスの中がスカスカしているような、行けば何とかなる的な楽観主義者もいる。

過去の成功体験に縋りたくなる毛鉤釣り師の露骨な心情が見てとれる。

フライパターンとしては簡素な部類に入るけれど、現場の経験を込めて足したり引いたり、色々と工夫をしやすいのだと思う。



それはそれとして、僕はこの秋にペールモーニングダン以外は使ってはならない釣りの一日を、厳しくも温情豊かな師に義務付けられている。


念願の雨が降り始めた。

これから自己流のイマージャーを巻くのだけれど、恥ずかしくて人様にお見せすることはとてもできない。









  


Posted by SFM at 14:59Comments(0)釣り師の日常

2018年08月14日

ロングベリーラインでキャステイング

日頃から渓魚を釣るときは、なるべくラインを出して、遠くで魚を掛けるように心掛けてはいるのだけれど、源流志向の岩魚釣り師としては、背に腹は代えられないことがけっこう多い。

そんなこともあって、渓流で実釣を重ねていると、キャスティングが崩れがちになるから、時には芝生の上でループを整えなければならない。

迎え盆のこの日、溪に出向く気は毛頭無いから、朝の暑くならないうちに、ほんの小一時間だけキャスティング。



ロングベリーラインは難しいけれど、どうにか狭いループを作る。
今、これをやっておくと釣り場で少しは楽になる。


足元に落ちてきたセミ。
エゾゼミかと思うが、見掛けるのは珍しい。




道沿いのレンコン畑。



ハスの花が目を引くのは、お盆や終戦日が重なって思えるからだろうか。



そろそろ秋の毛鉤を巻いておこうか。

  


Posted by SFM at 17:38Comments(0)釣り師の日常

2018年08月11日

岩魚釣り師がバスを釣る

釣り師の休日。
三人寄れば文殊の知恵というけれど、何人寄ろうが駄目なものは駄目である。


そこでこの日、足腰が弱くなって、渓魚にソデにされそうな釣り師たちは、早起きをしてドライフライでコクチバスが釣れるという湖に立ったのである。


僕の唯一の釣果はこれだけである。



7番ロッドが泣きそうである。



竿頭はB場ちゃん。






彼は地道な努力家であるが、長年ロングピースを手放さない自称愛煙家でもある。




ちなみにKONちゃんの釣果はゼロである。
彼は好奇心が旺盛であるが、飽きやすい性格でもある。


キイロスズメバチの巣作りを横目に。





釣りを切り上げて立ち寄った道の駅でトウモロコシの買い食い。



店のお兄サンに、おいしいねと褒めたところ、当日の朝採りだけを扱うのだそうである。


お昼ご飯は軽く山菜そば。




ちなみにこの二人は今朝、自販機のそばを食べていたのである。





日帰り温泉に入って足裏マッサージを試すKONちゃん。



余談であるが、彼はつい先頃お爺ちゃんになったばかりである。
釣りなどをやっていていいのだろうか。


畳敷きの広間で昼寝をして起きると良い時間になる。



心を解いた瀬戸際の釣り師たちの一日は穏やかに終わる。



  


2018年08月06日

夏岩魚 源流の釣り旅

この釣り旅はテン場を設えるまでが長くて辛い。

岩魚は足で釣れ。
それぐらいしか僕には能が無い。

やっていることはほとんど沢屋と同じである。

交通手段は無い。
通信手段も無い。
カネで買えるものは一切無い。

何か一つ手違いがあれば遭難に直結することが唯一の懸念である。

僕はここで三日間、誰にも会わずに岩魚釣りだけをして過ごすことになる。
何よりも、下界の猛暑から抜け出して溪の木陰を軽快に歩きたい。


予想してはいたけれど、やっぱり型は今一つ。
ここでも暑さの影響である。





まあいい。
着実に世代交代がされている証と思わなくてはならない。
型に拘らず、淡々とゲームをこなせばよろしい。






岩魚は距離を釣れ。
そのあたりがこの溪でのゲームの核心ではないだろうか。

凡そ、一本の毛鉤で10匹ぐらい掛けるのが目安。

時折、ただ機械的に岩魚を釣っているだけのようにも思えてくる。


そんな時。
ついつい釣れてしまったのがこれである。
尺二寸を超える大岩魚。





そんな心算はさらさら無かったのだけれど、釣れてしまったものは今更ながら仕方が無い。
きっと何かの間違いに違いない。

もう店仕舞にしてもいいんじゃないかと思うところだけれど、この溪からはそう簡単に帰れないから、釣りを続けるより他に無い。


貴重な尺が混じる。












テン場に連れて行く酒類であるが、やはりここは25度以上の蒸留酒に限る。
ビールや缶酎ハイも捨てがたいけれど、肩への負担が僕には過ぎる。
質量対効果とでも言うのだろうか、そういうことなのである。

昼はそうめんで麦焼酎。




食後の一服を燻らして、昼寝をしたり。




夜はすき焼きで芋焼酎。




焚火はウィスキーのとてもいい肴になる。



テン場の夜というものは、下戸には辛い一夜に違いない。


最後の日、釣りながら帰りの道中。
これまでとは打って変わって型が揃う。

淡々としたゲームではあるけれど、どこか品の悪い笑みが浮かぶ自覚ぐらいは僕にもある。













ここで竿を納める。




このあとは源頭を詰めて、稜線越えの長くて辛い道のりをこなさなければならない。






溪を独り占めした後は露天風呂を独り占め。
溪泊まりは浮世の垢を落とせるけれど、物理的に体が垢まみれになる。



何も言えない。



三日振りの冷えたビール。



「・・・・・。」
日本語になっていないのが我ながら情け無い。
やれやれ。