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2024年04月21日

わかっちゃいたけど 食いが浅い

この溪はB場ちゃんが殊更に執着する釣り場である。
けれど残念なことに、この日の彼は仕事らしい。
そのようなわけで、僕は一人で入渓するのである。

一冬越した溪は所々で形が変わり、渓魚の付き場も少しずつ変わる。

この時期にありがちな食いの浅さ。
しかも型はいまいちである。












僕は同じところで粘る釣りは嫌いなのであるが、そうしなければ釣れないのだから仕方がない。












そんな時、ゆらりと出て来た大岩魚が毛鉤を食った。
目測だけれど、控えめにみても余裕の尺上。
結論から言うと合わせ切れである。
キリキリ舞いをしながら沈んで行った大岩魚。
いずれ、B場ちゃんが釣り上げるような予感。
敢えて多くは語るまい。







多少なりとも型が出たのは昼過ぎあたり。













年を追うごとに足腰の衰えを思い知らされる。

けっこう疲れた。









帰りの道中もあることだし、今回はこれぐらいで勘弁しておいてやる。





  


2023年11月05日

岩魚釣り師にはマスは釣れなかった

禁漁から一カ月と少し。
今年も某本流筋では週末ごとにマスが放流されているそうである。



それなら沈めて引いてみようじゃないかと、B場ちゃんと連れ立って出向いて来たわけである。
因みにKONちゃんも誘ったのだけれど、腰の具合が思わしくなく、釣りどころではなさそうである。
孫と戯れているに違いない。


このところ、川に刺さるという言い回しはあまり聞かなくなった。
この男は銜え煙草で川に刺さる。




肝心の釣りはどうか。
大きな鯉がジャボッと跳ねたけれど、放流マスのアタリはゼロである。
はっきり言って掠りもしない。

小さなオイカワが一匹釣れただけである。



7番ロッドが泣きそうであるね。


今度、B場ちゃんに頼んでハゼを釣りに連れて行ってもらおうかね。



  


2023年09月26日

結局釣りに行っちゃった

このところ、いくらか朝夕は涼しくなり、寝苦しさが和らいできたけれど、猛暑の日々を生き抜いた疲れの蓄積が軽減されたわけではなさそうである。

それでも釣りに出掛けて行くのは、禁漁前に釣っておかないと、後悔しそうな危機感の表れとしか言いようがない。

意識は朦朧、足取りはよろよろ。
無理が効く歳ではないのであるが、まあ仕方がない。









多少なりとも活性は回復しつつあるようだけれど、時期が時期。
どうやっても型には恵まれない。









お腹に卵や白子が蓄えられている気配ではあるが、ペアリングを見掛けられなかったのが残念である。
やはり猛暑の影響だろうか。








まあいい。
今年はこれぐらいで勘弁しておいてやる。


気付かぬうちに、開高センセイより長生きしちゃった。
などと思いを馳せる。




日が短くなったけれど、僕はイブニングライズの釣りには不適格である。
さっさと帰って温泉に浸かろうかね。









  


2023年09月18日

秋の荒食いなんて昔の話

禁漁間近にも拘わらず連日の暑さ。
それでも釣りに出掛けて行く釣り師が二人。




KONちゃんにも声を掛けたわけであるが、孫と遊びに出掛けるそうである。
まあいい。
好きにすればよろしい。

水温は高止まり。
一日中歩き続けて釣果は各々一匹ずつ。

恐らく水中の住人たちの夏の疲れの蓄積は最高潮に違いない。




真夏からこの方、初めて入渓した釣り師は、ここは魚がいない溪だと決めつけるに違いない。
寧ろその方が僕たちにとっては好都合である。



今回は渓魚の写真はない。
一匹だけで終わるなんて思わなかったわけで、そのあたりから見通しが甘かったと言わざるを得ない。

煙草を喫い過ぎちゃった。




疲れたネ。



  


2023年08月29日

朦朧とした意識で岩魚を釣る

連日、切れ目なく灼熱に焼かれ続けている我が国の民は息も絶え絶えである。
ハワイでは大規模な火災、福島県では汚染水の海洋放出強行。
要するに滅茶苦茶である。

アウトドアレジャーというものは、他人の掌の上で都合よく転がされていると思わなければならない。

さらに言うと、僕はサンマが好きなのであるが、旨いサンマで一杯やることはもう期待できそうにない。
サンマは幻の魚である。

一方、氷河期を生き抜いた岩魚という魚は僕にとってまだ身近な存在である。
けれど、時期が時期である。
全く釣れないこともないだろうけれど、そう釣れるわけでもないだろうというどっちつかずの釣り師の立場。
はっきり言えば、釣りぐらいしか行く所が無いのである。

道中の林道。
ふてぶてしく居座るサルの群れを発見。
辺りは糞だらけである。
はっきり言って汚らしい。
此奴等に比べれば、ツキノワグマの方がまだ品が良い。
「おい、お前ら。道をあけろ。俺、先急いでんだ。」
サルには覇気がよく効く。

前置きが長くなったけれど。
案の定、釣りにくいったらありゃしない。






試行錯誤とか、トライアンドエラーと言えば聞こえはいいけれど。
要するに、沈めたり、しゃくったり。
確信が持てない七転八倒を繰り広げただけである。






泣き尺である。



もう一本。




やはり尺上は出ないネ。








これが釣れ始めちゃったらキリが無い。
お開きである。



これぐらいで勘弁してやるか。
実をいうと、意識が朦朧とする。




藪に蹲っていた二ホンジカが僕に気付く。
写真を撮る間もなく跳ねて行ってしまった。


帰って一杯やろう。





  


2023年08月13日

台風が来る前に釣っちまえ。

広島の日、長崎の日が過ぎ、間もなく敗戦の日を迎える。
終わりの見えない猛暑に加え、台風を二つも相手にしなければならない。

我が祖国は連日の如く被災し続けているわけで、軍事費拡大やマイナ保険証などに精を出しているヒマなどないのである。

迎え盆の前日。因みに迎え盆はkaz13氏の誕生日、しかも還暦らしい。
下界の熱気が谷底にまで流れ込んで来そうで、釣り師としては心中穏やかではない。

全く釣れないこともないと思うけれど、過度な期待はせず、どこか投げやりな姿勢で入渓せざるを得ない。


付き場は徹底して無反応。
そこで、わざと釣れそうにないところにプレゼンテーションをすると何故か岩魚が釣れてくる。








これまで経験したことのない逆張りの釣りである。

スレ掛かりも含め、偶然の産物を拾い歩く心境。










予想に反して泣き尺。







ネチネチと釣果を重ねるB場ちゃん。
この日のクセを早々と読み取ったに違いない。








あまり細かい事を言うのはどうかと思うけれど、もう少し背筋を伸ばして取り込めないものだろうか。



まあ、単純に絵面の問題であるが、折角の良型である。





釣り終えてみれば釣果はきれいに二等分。
口で言うのは簡単だけれど、それができる相方はこの男ぐらいではないだろうか。


沢筋から離れる刹那。
息苦しい暑さの予感。




辛い夏はまだ続く。


  


2023年08月07日

スレでもいいから掛けてやる

沢靴越しに伝わってくる生温い水温。
はっきり言って気色が悪い。

渓魚たちにとっては命に係わる危険な暑さである。

水面下においても不要不急の外出は極力控えるべきであるが、時折毛鉤に掛かるのは堪え切れずにのこのこと出歩く岩魚たちである。











大半は口の外側やヒレなど、要するにスレ掛かりである。
釈然としないけれど、食わないものは仕方がない。








出掛けに師匠が持たせてくれた温泉卵。




これが釣れ始めると釣っても釣ってもキリがない。
お開きである。






疲れるとわかっていて来るのは億劫だけれど、暑いとわかっていて帰るのはもっと億劫である。






立ち寄った温泉宿は留守である。
勝手に上がり込んで露天風呂を独り占め。



  


2023年07月31日

真夏の岩魚は釣りにくい

過去に経験したことのない連日の暑さ。
先が見えない命懸けの戦いであるが、日々熱中症で搬送されたり死亡している顔ぶれを見るにつけ、いつの時代でも真先に犠牲になるのは富裕層ではなく、僕も含めた社会的弱者である。

そもそもコトの発端は産業革命である。
7000万年をかけて緩やかに進化してきた人類の暮らしを、たった200年で変えちまったわけである。
生成AIはもとより、時代の進化はさらに加速するだろうけれど、人間そのものが進化するわけではない。
いずれにせよ、僕は時代の恩恵を享受する側ではなく、ツケを払わされる側に違いない。


そんなわけで。
猛暑から追われ、沢筋まで避難してきたわけであるが、道中の林道で伸びていた蛇を小枝と間違えて単車で轢いちゃったことについては釣り師として不徳の致すところである。


さて。
岩魚たちが付きやすい一等地はがら空きである。
どっちつかずの小場所、波や白泡に紛れ込んでおり、毛鉤がすぐに沈んで見えなくなるような瀬頭を打たなければならない。










要するに、ついつい反射食いしちゃった不運な岩魚を拾い歩くセコい釣りである。
因みに、このような釣り方が得意なのはB場ちゃんである。
罪深い釣友の面影が朦朧とする意識の片隅を掠めていく。








釣れてくるのはどれも中途半端な魚体で釣り応えに欠けるけれど、水面下では将来を担う分厚い中間層が控えているわけである。
ここは長い目で見るべき局面であると、自分に対してささやかな言い訳をする。






火を熾しつつ、サッポロ一番みそラーメン。




やっぱり疲れた。
ここが引き際。




帰って寝るか。







  


2023年07月24日

猛暑の日にも岩魚釣り

鬱陶しい梅雨が明けてはみたものの、これから命懸けで立ち向わざるを得ない連日の猛暑を思うにつけ、うつ病にでもなっちゃいそうである。

釣果はさておき、陽当りの悪い谷底へ逃げ込みたくなるのが岩魚釣り師の性分である。

誰にも会うことのない林道を単車に乗って転げ落ちていく道中の堕落感。
そのあたりが日頃のストレスや、釣る前から既に見えている貧果を相殺するのではないだろうか。


適正水温と言い難いことは重々わかっちゃいるけれど、それを釣れない理由にするのは僕としてはイヤである。

そうは言っても、熱中症気味の岩魚たちは頑なに水底に張り付いていて、これを引き剥がすのは容易ではない。

致し方なく毛鉤を白泡に絡ませつつ、水面に向けて覇王色の覇気を放つ。














釣っている側がこんなことを言うのもどうかと思うけれど、何だか疲れちゃった。








今日はこれぐらいで勘弁しておいてやるか。






明るいうちに一風呂浴びて一杯やろう。





  


2023年07月18日

老人会の岩魚釣り

北関東では39度を超える酷暑。
僕が暮らす北信濃の山深い沢筋でも不快な蒸し暑さがまとわりつく。

この日の面子は毎度お馴染みのB場ちゃんに加え、弊ブログ初登場のH田さんとASHIちゃん。

揃いも揃って身体機能が衰えた高齢者ゆえ、颯爽と沢筋に降り立ったとは言い難く、這う這うの体で谷底まで転がり落ちてきたというのが適切である。



敢えて口には出さないけれど、我が釣友たちに限っては、山岳渓流においては要支援2とか要介護3などの介護認定がされて然るべきというのが僕の見立てなのである。
我が身も含めて、様々な事情を抱えた老々介護の如き釣行の一日が始まる。

せめて我々としては、入渓前に安全ミーティングを実施し、危険予知活動を経て、各々ゼロ災に向けた意識を高めた上でこの場に立っているのであるが、そのようなことを誰も知る由も無い。

さて。
今回の釣行にあたり、H田さんを数年振りの釣行におびき出すことに成功したわけであるが、彼が長年にわたり蓄え続けた莫大なサオの中の一本を、どうにかしてしならせようというところが肝なのである。
はっきり言って、フライロッドというものは枕元で愛でるものではなく、渓魚を掛けるための道具であることを残された僅かな時間の中で実践すべく、互いに努力しなければならない。
要するにそういうことで、他人事で済ませるわけにはいかないのである。


そのような甲斐あって、英国製のハーディーのグラスロッドを数年振りにしならせたのは泣き尺岩魚。
見ている方がハラハラしちゃった。




一方、昨年から後輩であるB場ちゃんの手解きを受け、飛躍的に釣果が向上しつつあるASHIちゃん。



RL・ウィンストンのロッドブランクはきれいな緑色であるが、サオというものは飾り物ではなくしならせるためにある。
よそ見していなければもっと釣れたネ。




さて。
連日の暑さにあてられて意識が朦朧としている僕は、彼らが毛鉤を取り替えたり、ライントラブルを直している合間に僅かばかりの岩魚を釣る。










すでに梅雨明けの出方である。
釣れない季節が始まったネ。



今回に限ったことではないけれど、無事に帰ることが何より肝心。
あまり欲張らずに、早めに上がって温泉で汗を長そう。