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2025年05月17日

尺と泣き尺 その他諸々

上は全く見ていない
まず水面には食いに来ない

致し方なく白泡や反転流に絡ませて
沈めておいて聞き合わせ

食っているような気がしたときには
やっぱり食ってる






確信に欠けるけれど
まぁ、良しとするか
















  


2025年04月19日

とりあえず初釣行

半年振りの釣り
なんか、身体が重いね




セコイ場所からセコく出る
いまいち人間と岩魚の息が合わない











B場ちゃんの得意なパターンだな
これは
















今日のところは足慣らし
これぐらいで勘弁しておいてやる




  


2024年09月07日

台風の週末 何故か釣り

台風10号。
最悪の台風らしい。
週末にかけて相応の覚悟をしていたところ、この地では殆ど影響がなさそうである。

それなら釣りにでも行けばいいじゃないか。
言い方を変えると、B場ちゃんと僕は釣りぐらいしか行く所がないわけである。




前夜の雨で適度な増水ながら、水温はダメである。

心情的には多少なりとも釣れればいい。
逆に言えば、全く釣れないと相当な苦行である。















釣った数なんていちいち数えちゃいないけれど、釣果はきれいに二等分ぐらいじゃないかと思う。








まだ秋は感じられないけれど、季節は変わりつつあるようだネ。



  


2024年08月18日

この際 釣れてくれれば何でもいい

敗戦の日が過ぎ、送り盆を終え、台風が遠ざかる。

連日の猛暑。
はっきり言って、家から出るのが怖い。

夏休みの思い出に、水辺で小魚やザリガニと戯れるなんて幻想である。
死んじまう。

悶々と過ごさざるを得ない釣り師たちは世に数多だろうけれど、渓魚たちの機嫌だって相当に悪いに違いない。


最悪の時代。
最悪の季節であるが。
それでも思うところあって、標高の高そうな沢筋に潜り込む。



車で行けない場所ではないけれど、敢えて単車で出掛けてみる。
多少なりとも気分を変えておかないと、生きる目的を見失いそうである。


釣れそうな大場所ではまず釣れなくて、釣れそうにないセコイ場所を流していると、何かの拍子に小マスが掛かってくる。







要するに幼魚ばかりである。








どうせ幼魚ぐらいしか釣れないだろうと諦めていると、稀にそれなりの型が掛かることもある。
つい、持っていかれそうになって、我に返る。








岩魚が釣れた。
2匹だけ。






長い沈黙の時間が過ぎて、忘れた頃に釣れてきた太いニジマス。




時期も時期だし、今日はこれぐらいで勘弁してやるか。



ビールが冷えている。





  


2024年08月13日

稚魚でもいいから釣ってやる

不平不満を並べたところで和らぐことがないのが昨今の暑さである。
釣果が良かろうと悪かろうと、寡黙に釣りをしなければならない。


相方はB場ちゃんである。



かつて、共に溪を跋扈した釣友たちの大方は老朽化が著しく、溪に立つ足取りが覚束なくなってしまったけれど、この男だけは現在も五体満足なのである。


さて、始めようか。



予想通りと言えば予想通り。
そこは仕方がない。











努めて淡々と釣りつつ、相方も淡々と釣っていると気持ちが和む。








そう大物ではないにしても、こんな日に何かの間違じゃないか。
などと思えてきちゃう。








スーパーの鮮魚売り場で見かけるサイズ感そのもの。





近年では、魚介類に限らず食材の価格が高止まりしているから、ニジマスが高級魚になる日が来るのだろうか。



午後からの暑さはとりわけ堪えそうである。
枝沢のさらに枝沢に潜り込んで冷たい水で足元を冷やす。








手元に飛んで来ちゃいそうな小岩魚である。
気を付けて合わせなければならない。








さて、10匹ずつ釣ったらお開きにしようかね。

脱渓もそう楽な道中でもなさそうであるよ。






帰りに一風呂浴びて行こう。
  


2024年08月04日

岩魚を釣らずにマスを釣る

人類が適応できる限界を超えそうな酷暑の日々。

ほんの一時の愉悦を得るべく日陰を渡り歩く。

朝露なのか、植物が発散する水分なのか、入渓するまでに下半身がびしょびしょになる。
まあいい。どうせ濡れるわけである。





流れる毛鉤の近くが時折キラリと光る。

釣れてくるのはニジマスの稚魚や幼魚たち。








それでも根気よくやっていると、口先の尖ったけっこうなニジマスが混じる。
















これぐらいのニジマスをを1匹釣るためには、稚魚を何匹も釣らなければならない。

やはり、圧倒的多数を占めるのは稚魚たちである。

水面下では、ほんの少数の富裕層と、それを支える多数の貧困層で成り立っており、中間層は不在らしいのである。











因みにであるが、ニジマスは全身全霊で引きまくるから、けっこうクタクタになりがちで、放す前に蘇生させてやらないと流されちゃいそうである。
要するに、世話が焼けるのである。



さて、そろそろお開きである。

実を言うと、夕方には地元の夏祭りに顔を出さなければならないのである。


そうは言っても、この暑さである。
本当にやるつもりだろうかと、僕としては思うわけであるが、一度始めてしまうと、そう簡単にやめられなくなってしまうのは、地域の行事も戦争とよく似ている。

いずれ、誰かが熱中症で搬送でもされた暁には、多少なりとも改善されるかも知れないがね。



  


2024年07月28日

食い気も何もありゃしない

ここ暫く続くであろう酷暑に耐えかねる日々。
朦朧とする意識を携えて溪に逃げ込む。

気持ちの切り替えには単車での道中が良さそうである。
釣れないことは重々承知。




前夜、雨でも降ったのだろうか。
そんな形跡。







おおよそ覚悟してはいたけれど、食い気はほぼゼロに近い。
釣り師としては辛い季節である。

掛かった岩魚は偶然の産物である。






世間から爪弾きにされることはどうってことはないけれど、渓魚たちから毛鉤がそっぽを向かれるのは少々堪える。






心が痛むけれど、小岩魚を避けて通ることは出来そうにない。







今日のところは気が済んだ。
とは言えないけれど、僕には独り占めできる温泉がある。




さて、キンキンに冷えたビールをやっつけようかね。



  


2024年07月22日

思わぬところでニジマスが野生化する

某沢筋。
岩魚の付き場を飛び越えたさらに上流。
何故かニジマスが棲んでいることを探り当てたのはB場ちゃんである。
この男は日頃から何を考えて生きているのだろうか。

それなら仕方がない。
釣ってやるか。




いやはや。
どう見ても岩魚ぐらいしか付けそうにない渓相であるがね。




連日の猛暑続き。
しかもワケあって昼頃の入渓。
何々渓谷とは言っても、水温は19度越え。
足元の水が生温くて何だか気色が悪い。

さっそく出迎えてくれたのはアオダイショウである。




それでもやってみると、小マスや稚魚が釣れてくるから、恐らく自然繁殖しているに違いない。








時には尺絡みが混じり、華奢なサオをしならせる。






けれど、大半が稚魚である。










まあ、ヒレに免じて勘弁してやるか。



横目でB場ちゃんを見るたびにサオが大きくしなっている。

敢えて多くは語らないけれど、余裕の尺越えの連発である。










僕などが知る由もないけれど、どこかの誰かに連れて来られたニジマスたちが環境に適応して、何代か繁殖を繰り返すうちに野生化してこうなっちゃったという実例がこれではないだろうか。


さて、帰ろう。
辛い藪漕ぎが待っている。




釣りモノはニジマスだけれど、ウソにもハチにも最上流域。
相応の高低差をこなさなければならない。
軟弱地盤の如き下半身を携えての入渓は推奨しかねる。

そのうちに、また行っちゃおうかな。
ご安全に。
  


2024年07月07日

日向になんていられない

梅雨の中休みとは言っても、人が死ぬほどの暑さ。

どうにかこうにかこの日を生き抜くための苦肉の策として、谷底に逃げ込んで日陰を渡り歩く。





入渓した時点で水温は16度越え。
既にダメである。






毛鉤を白泡に絡ませつつ、どっちつかずの岩魚を際どい場所から際どく掛けてはみるものの、暑さと貧果でこっちがクラクラしてきちゃう。







小岩魚たちが育っているのは好ましいことではあるけれど、あまりこれが続くと苦痛を伴う。








いちいち数えちゃいないけれど、僕の場合は10匹ぐらいが限度じゃないだろうか。
ただでさえ緩慢な集中力が削がれて、そのうちに無くなっちゃいそうである。









どれ、暑いけれど。
温泉で汗を流したら、帰って寝ちまおうかね。








  


2024年06月17日

釣れないわけじゃないけれど

この溪は早い季節からけっこう釣れるけれど、ある時期を境に掌を返したように全く釣れなくなる。

多分、今回あたりがその変わり目だと僕は思う。




わざと不細工に巻いた毛鉤を浮かべたり、漂わせたり、沈めたり。
毛鉤が見えていてもいなくいてもこの際どうでもよろしい。
細かいことはお構いなしである。













雑な釣り方だとは思うけれど、一度イトに毛鉤を結んだら10匹ぐらいは掛けなければならない。

実を言うと、毛鉤を取り替える度に、いちいち老眼鏡に頼らざるを得なくて、アイに糸を通すのは精神的苦痛が伴う。

しかも一人でこなす仕事である。
きめ細やかな対応には人手が足りない。










尺上。



今回は一匹である。




いろいろ試してはみたけれど、曲がりなりにも天然魚を釣っているワケあるから、これを避けて通ることはできないようである。

次のプレゼンテーションのためには速やかに引き抜いて、下流側に放しておかなければならない。










ヒキガエルの卵がオタマジャクシになり、山ツツジの花が咲く。







来週あたりにやってみても、殆ど釣れなくなっているに違いない。

この溪は今が潮時である。

マッチ、ザ、ハッチなんて、そう深刻に考えているわけではないけれど、フタスジモンカゲロウの羽化を見掛けると何だか嬉しくなる。
次の釣りはそのあたりにしてみようかね。