2021年06月27日
梅雨の間隙 渓谷の岩魚
どっちつかずの天気予報を釣行の直前まで精査。
釣行ありきで前のめりに物事を進めてしまうと取り返しがつかないことになりがちであるから常に冷静な判断をしなければならない。
などということを釣り師が言わなければならないのが現代社会である。
悶々と過ごすのも悩ましいけれど、釣り場で雨に降られるのもイヤなのである。
溪を渡渉する釣り師などが言えた義理ではないけれど、イヤなものはイヤなのである。
渓谷は晴天。

こればっかりは日頃の行いの賜としか言いようがない。
この日の相方。

自称晴れ男であるB場ちゃんである。
落ちたら痛いヨ。
この小さいおたまじゃくしが成長した暁には寡黙なヒキガエルになる。

向かい風を凌ぎつつ、釣果を重ねるB場ちゃん。




地道にコツコツが彼の持ち味。
さて。
僕も少しぐらいは釣らなければならない。



測ってみると尺に足りないのは毎度のことである。

そうは言っても、つい測っちゃうのは釣り師の業である。
要するに、いつまで経っても同じ事の繰り返しである。
渓谷で避けて通ることができないのが高巻きである。

僕は高巻きが好きになれないけれど、人がやっているところを眺めるのはけっこう好きなのである。
釣果はさておき。
この時期に一滴の雨にも遭わなかったのは幸いである。
B場ちゃんによると、この日は雨男がいなかったからで、雨男というのはKONちゃんを指すそうである。

シャクナゲを漕ぎ、ブナの森を抜ける。

帰路は長い。


釣行ありきで前のめりに物事を進めてしまうと取り返しがつかないことになりがちであるから常に冷静な判断をしなければならない。
などということを釣り師が言わなければならないのが現代社会である。
悶々と過ごすのも悩ましいけれど、釣り場で雨に降られるのもイヤなのである。
溪を渡渉する釣り師などが言えた義理ではないけれど、イヤなものはイヤなのである。
渓谷は晴天。
こればっかりは日頃の行いの賜としか言いようがない。
この日の相方。
自称晴れ男であるB場ちゃんである。
落ちたら痛いヨ。
この小さいおたまじゃくしが成長した暁には寡黙なヒキガエルになる。
向かい風を凌ぎつつ、釣果を重ねるB場ちゃん。
地道にコツコツが彼の持ち味。
さて。
僕も少しぐらいは釣らなければならない。
測ってみると尺に足りないのは毎度のことである。
そうは言っても、つい測っちゃうのは釣り師の業である。
要するに、いつまで経っても同じ事の繰り返しである。
渓谷で避けて通ることができないのが高巻きである。
僕は高巻きが好きになれないけれど、人がやっているところを眺めるのはけっこう好きなのである。
釣果はさておき。
この時期に一滴の雨にも遭わなかったのは幸いである。
B場ちゃんによると、この日は雨男がいなかったからで、雨男というのはKONちゃんを指すそうである。
シャクナゲを漕ぎ、ブナの森を抜ける。
帰路は長い。
2021年06月21日
梅雨時の岩魚は遠慮を知らない
雨の翌日。
始まったようだネ。

岩魚たちは揃って上を見て、流れてきた毛鉤を素直な心で咥えるように設定されているようである。


他人の吹く笛に踊らされて、ついつい弾けちゃう人間もこうではないだろうか。
長期にわたる自粛生活は何かと大変だろうけれど、この国の国民はそうそうバカではないと思いたい。
そんな心優しい毛鉤釣り師がここにいる。


少し大げさに言うと。
どこでもいいから毛鉤を落とせばいくらでも釣れちゃうのである。
ライズが無いだけで、水中では大変なことが起きているわけである。
恐らく、尾身茂サンなどはたじたじになるに違いない。


岩魚には悪いけれど、出ると言うよりは、涌いてくると言った方がわかりやすいと思う。
涌くなどと言うとボウフラや蛆のようでいけないけれど、要するにそういうことなのである。
はっきり言って忙しい。
なるべく毛鉤を傷めないようにして、長持ちさせるのがコツだと思う。


それはいいとして。
そう悪い型ではないけれど、今一つ抜きん出たのが釣れないのが残念ではある。
まあいい。
あまり贅沢を言うと罰が当たる。
因みに。
B場ちゃんは先週、わざわざ魚影の薄い溪に出向き、立派な尺上を釣っちゃったそうである。
まあいい。
敢えて多くは語るまい。
それでも引きはけっこう強い。
華奢なサオながら、そこを差し引いてもよくしならせてくる。
さて。

このあたりが釣り師の引き際。
宴たけなわではあるけれど。


始まったようだネ。
岩魚たちは揃って上を見て、流れてきた毛鉤を素直な心で咥えるように設定されているようである。
他人の吹く笛に踊らされて、ついつい弾けちゃう人間もこうではないだろうか。
長期にわたる自粛生活は何かと大変だろうけれど、この国の国民はそうそうバカではないと思いたい。
そんな心優しい毛鉤釣り師がここにいる。
少し大げさに言うと。
どこでもいいから毛鉤を落とせばいくらでも釣れちゃうのである。
ライズが無いだけで、水中では大変なことが起きているわけである。
恐らく、尾身茂サンなどはたじたじになるに違いない。
岩魚には悪いけれど、出ると言うよりは、涌いてくると言った方がわかりやすいと思う。
涌くなどと言うとボウフラや蛆のようでいけないけれど、要するにそういうことなのである。
はっきり言って忙しい。
なるべく毛鉤を傷めないようにして、長持ちさせるのがコツだと思う。
それはいいとして。
そう悪い型ではないけれど、今一つ抜きん出たのが釣れないのが残念ではある。
まあいい。
あまり贅沢を言うと罰が当たる。
因みに。
B場ちゃんは先週、わざわざ魚影の薄い溪に出向き、立派な尺上を釣っちゃったそうである。
まあいい。
敢えて多くは語るまい。
それでも引きはけっこう強い。
華奢なサオながら、そこを差し引いてもよくしならせてくる。
さて。
このあたりが釣り師の引き際。
宴たけなわではあるけれど。
2021年06月13日
数の論理 木っ端岩魚の脅威
梅雨入り前。
水面ではハルゼミが食われ始めているに違いない。
僕はここに勝ちに来た。
とでも言いたくなるような覇気を溪に放つ。
そんな一日が始まる。
予定通りの一投目。

後は漲るヒレピンを淡々とこなすだけである。





足跡の主は全身黒づくめである。

つい先刻に通過したようであるが、そのようなことはこの際どうでもよろしい。
予定通りの中弛み。

盛大に火を熾し、地合いを窺う。
フタスジモンカゲロウの初物を発見。
さて、午後の部。
期待に反し、そこら中から涌いて出るのは年端も行かぬ木っ端岩魚ばかりである。


多勢に無勢。
釣っても釣ってもキリがない。
数は力、力は金とはよく言ったもので、この日、少数派の釣り師を圧倒的多数で抑え込もうとするのが夥しい木っ端岩魚たちである。
皮算用が外れた釣り師としては、甚だ不本意ではあるが、次世代の担い手は人の手を介さなくてもうじゃうじゃと育っているようである。
要するに、水面下では明るい未来が待っているわけである。
人間社会もこのようにいかないものだろうか。
新品のタイヤは心強い。
道中は車では入れない悪路である。

因みに、タイヤを交換したのは所有者であり、僕は使用者である。
そろそろ、適度な一降りが欲しいところ。


水面ではハルゼミが食われ始めているに違いない。
僕はここに勝ちに来た。
とでも言いたくなるような覇気を溪に放つ。
そんな一日が始まる。
予定通りの一投目。
後は漲るヒレピンを淡々とこなすだけである。
足跡の主は全身黒づくめである。
つい先刻に通過したようであるが、そのようなことはこの際どうでもよろしい。
予定通りの中弛み。
盛大に火を熾し、地合いを窺う。
フタスジモンカゲロウの初物を発見。
さて、午後の部。
期待に反し、そこら中から涌いて出るのは年端も行かぬ木っ端岩魚ばかりである。
多勢に無勢。
釣っても釣ってもキリがない。
数は力、力は金とはよく言ったもので、この日、少数派の釣り師を圧倒的多数で抑え込もうとするのが夥しい木っ端岩魚たちである。
皮算用が外れた釣り師としては、甚だ不本意ではあるが、次世代の担い手は人の手を介さなくてもうじゃうじゃと育っているようである。
要するに、水面下では明るい未来が待っているわけである。
人間社会もこのようにいかないものだろうか。
新品のタイヤは心強い。
道中は車では入れない悪路である。
因みに、タイヤを交換したのは所有者であり、僕は使用者である。
そろそろ、適度な一降りが欲しいところ。
2021年06月07日
疾きこと風の如し
溪の盛期にも拘らず、釣行を妨げる浮世のしがらみは世に数多存在する。
さらに、それらが重なる局面というものが人生には度々やって来る。
そんな日々。
どうにか捻出した僅かなチャンス。
昼下がりの入溪、しかも日没までには確実に脱溪していることが前提。
日が長くなったとは言え、沢筋は暗くなるのが早い。
安全第一。
釣果は二の次である。
人に逆らっても時計の針に逆らってはならない。
などと、そのように偉そうな台詞を言えた筋合いではないのが釣り師である。
さらに言うと、僕は残業が嫌いなのである。


一切の無駄を省き、溪を跳ぶ。
付き場を狙い撃ちつつ、疾風の如く釣り抜ける。
瞬歩、月歩、覇気、その他諸々の技が炸裂。
韋駄天でもこうはいかないと思いたい。
メロスなど論外である。



通常の半分の時間で同じ距離を釣り切ろうというのであるから、どこか雑な釣りである。
そこまでして釣らなければならない理由を明確に示すことが僕にはできないけれど、要するにそういうことなのである。
さて。
結果的にではあるが、これは幼児虐待である。
悪気があってやったわけではないけれど、深刻な社会問題である。

釣り師として不徳の致すところである。
時間切れ。強制終了。

ノーマン・マクリーンが描いたフライフィッシングの優雅な面影は幻想である。
現実から目を逸らしてはならない。
終えてみれば、このような急拵えの釣り。
年甲斐も無いのはわかっちゃいても、やはりそこは釣り師の業
良い子の皆さんは真似をしちゃ駄目だヨ。


さらに、それらが重なる局面というものが人生には度々やって来る。
そんな日々。
どうにか捻出した僅かなチャンス。
昼下がりの入溪、しかも日没までには確実に脱溪していることが前提。
日が長くなったとは言え、沢筋は暗くなるのが早い。
安全第一。
釣果は二の次である。
人に逆らっても時計の針に逆らってはならない。
などと、そのように偉そうな台詞を言えた筋合いではないのが釣り師である。
さらに言うと、僕は残業が嫌いなのである。
一切の無駄を省き、溪を跳ぶ。
付き場を狙い撃ちつつ、疾風の如く釣り抜ける。
瞬歩、月歩、覇気、その他諸々の技が炸裂。
韋駄天でもこうはいかないと思いたい。
メロスなど論外である。
通常の半分の時間で同じ距離を釣り切ろうというのであるから、どこか雑な釣りである。
そこまでして釣らなければならない理由を明確に示すことが僕にはできないけれど、要するにそういうことなのである。
さて。
結果的にではあるが、これは幼児虐待である。
悪気があってやったわけではないけれど、深刻な社会問題である。
釣り師として不徳の致すところである。
時間切れ。強制終了。
ノーマン・マクリーンが描いたフライフィッシングの優雅な面影は幻想である。
現実から目を逸らしてはならない。
終えてみれば、このような急拵えの釣り。
年甲斐も無いのはわかっちゃいても、やはりそこは釣り師の業
良い子の皆さんは真似をしちゃ駄目だヨ。