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2020年05月31日

年に一度 釣り師たちの贅沢

解禁前には毎年欠かさず執り行っている釣り師たちの集い。

今回。
昨今の時世などを鑑み、機会を窺っていたところ、ここでささやかながら開催の運びである。

そうなると今週は釣りに行くことはできない。
まあいい。
体は一つである。


瀬戸際からこぼれ落ちた釣り師たちの宴。







後は野となれ山となれ。


この大きな餃子の具にはニラの代わりにギョウジャニンニクが使われている。





さて。
お決まりの放歌高吟である。






下戸の手強などと言うけれど。
各々、己の限界を超えてよく飲んでくれたようであるよ。


いちいち口には出さないけれど。
多少のいびきや寝言は大目に見なければならない。




  


Posted by SFM at 17:34Comments(2)釣り師の日常

2020年05月24日

見上げたもんだよ屋根屋の褌 法の番人賭けマージャン

四谷 赤坂 麹町。
ちゃらちゃら流れる御茶ノ水。

さて。
ここで登場する粋な姐ちゃんの立ちションベンは見たことがないけれど、法の番人は賭けマージャンに精を出すようである。

一方、岩魚釣り師は不器用だから岩魚を釣るぐらいしか能が無い。
無い袖は振れない。


新緑の溪。




少し遅れて入渓したB場ちゃん。

追いつくなり、立て続けに良型を掛けまくる。








律儀を絵にかいたような男。

得難い釣友である。


因みに、この時点では僕の釣果はゼロである。



次に出会ったのは上流から下ってきたエサ師のおっさん。

僕たちが歩いたところをおっさんが釣り、おっさんが歩いたところを僕たちが釣る。
予定が狂うのはお互いさまである。

この時点でも僕の釣果はゼロである。


イノシシの群れが沢をジャブジャブと渡って斜面を駆け上る。


ついついメラメラの実の能力が炸裂。




どこか噛み合わない歯車とはこういうものである。


苦し紛れの釣果。

釈然としないけれど、どうにか釣り師を辞職しなくて済みそうである。













季節の巡り合わせの極みかここにある。
今夜は共喰いをしなければならない。




少し体が冷えたね。





どれ。
けっこう毛だらけ猫灰だらけ、・・・。
いや、止そう。




敢えて多くは語るまい。
  


2020年05月17日

岩魚釣り師の苦い人生

入渓早々。
先客の痕跡。

この刹那、人間をやめたくなるのは釣り師の業。

先行者の存在は岩魚釣り師の人生を狂わせる。
ツキノワグマの方がマシである。

そうは言っても、立場が変わればお互いさまであるがね。




コカゲロウを横目に時間潰し。
盛んなる大人の火遊び。




生産性が極めて低い後追いの釣り。

僅かな釣果を得るために、浮かべたり、沈めたり、しゃくったり。
要するにネチネチした釣りである。








日頃からネチネチした人間とのお付き合いは極力差し控えているのだけれど、時にはこんな釣りもしなければならないのも釣り師の業。


まあいい。
人生いろいろ、釣り師もいろいろ。


今夜の肴はこれで決まり。







  


2020年05月11日

釣れたけれど 釣ったとは言い難い

水量は許容範囲であるが水温は適正とは言えない。

水面まで口先を出してくれるか怪しいところである。




そこでフェザントテイルの登場。

動き出していたのは、いずれこの溪の将来を担うべき木っ端岩魚たちである。










釣っておいてこんな事を言うのもどうかと思うけれど。

よそ見をしていたわけではないにしても、上げてみたら岩魚が付いていただけのことである。
水中で横腹が光ったように見えたのはマシな方ではないだろうか。

キツネにつままれたような気分ではあるが、当事者の頭越しに物事が決められていくのは岩魚釣り師の日常そのものである。

そうは言っても、火事場泥棒の如き所業は頂けないのであるがネ。

大人の火遊びなど、どこかかわいいものである。




新緑はこれから。
毎年の事ながらそんな局面。





  


2020年05月08日

アクの強さはお互いさま

人と会う機会を多くしたり、盛り場をうろつくためには常に先立つモノが不可欠である。

今さらながら、このところ叫ばれている自粛生活は、現代社会の底辺で生きて来た岩魚釣り師の日常そのものである。

敢えて多くは語るまい。



さて。
山菜採りに求められるのは蛤の如き口の堅さである。
口が軽いということは、得るものより失うものが多くなるのであって、そのあたり、渓流釣りと同じではないだろうか。
要するに、山菜を摘んでいる姿を人様に見られるようではいけないのである。


今回のお題はコシアブラ。
それなりにアクがあるよ。

これぐらいの開き具合の芽を選んで摘むのであるが、欲張って一本の木からいくつも摘もうなどと思わない方がよろしい。
ツケは翌年に回ってくる。




これは開きすぎである。





ハリギリの芽。
アクの強さにかけてはこの僕を凌ぐ。



けれど、これを天ぷらにしたらどうであるか。
あまり人には教えたくないのが正直なところである。



山椒の芽吹き。



アゲハチョウの幼虫の中には,この葉っぱしか食べないという贅沢者がいるようである。



これはわかるね。






山菜を採った後は下ごしらえをしなければならない。



採り過ぎると自身の首を絞めることになる。

そこは加減というものが肝心である。

山菜の獲り方には、人としての品格が如実に表れると僕は思う。



山で拾ってきた酒の肴。
原価はタダである。




カレーの香りがするつけ塩は、山菜の天ぷらと相性が良いのであるが。
残念ながらうまく作ることが僕には出来ない。
  


Posted by SFM at 19:53Comments(4)釣り師の日常

2020年05月04日

慌てる釣り師は貰いが少ない

除雪作業中の重機である。



「オペさん、おはよう。
ちょいと通してくれるかい。」


昨年秋の大型台風。
漁場への影響はどうだっただろうか。

所々に崩落の形跡。
けっこうな倒木が流されてどこか気の抜けた風情である。




さて。
肝心の渓魚たちのご機嫌はあまりよろしくない。





雪代で魚体を磨くのに忙しく、僕などに構っているヒマはなさそうである。
ヒレは口ほどにものを言う。



お昼ご飯のカップ麵。



このところ、小売店での価格がどれも上がっているようで困っちゃうのであるが、この商品だけは大盛りにも拘わらず据え置き価格なのである。

製造元は東洋水産株式会社である。
こんな時。
多少なりともあぶく銭があれば、東洋水産の物言わぬ株主になってもいいと思うのであるが、残念ながらあぶく銭というものが僕には無い。

まあいい。
その類のことはウォーレン・バフェットやピーター・リンチなどにやらせておけばよろしい。

井伏鱒二は鱒を釣り、岩魚釣り師は岩魚を釣っていればいいのである。



初物。



新型コロナウィルスとは無縁であるが、僅かながらも放射性物質の影響を受けていない保証は無い。



出会ったのは等身大のイノシシ二頭。




  


Posted by SFM at 13:26Comments(4)他の釣り