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2018年03月29日

木っ端岩魚に罪は無い

早春のこの日。
釣りに行くようにしきりに勧めたのは長女である。
僕が家にいると何かしら都合が悪いに違いない。

致し方なく支度をして、玄関を出る刹那。
長女の声。
「よっしゃ!」
確かに聞こえたのであるよ。

午前中ではあるけれど、目ぼしい川はもう人様に歩かれているに違いない。
まだ条件の整わない、日当たりの悪い沢筋に出向かなくてはならない。
はっきり言って気が重い。

世間では、こぞって桜の開花にはしゃいだりしていることと思うけれど、なまじフライフィッシングなどに手を染めたばかりに、不本意ながら残雪の渓へ押しやられる羽目になった釣り師がここにいるのである。

そう言いつつ、渓を歩き始めるとなんだか少し嬉しい。



何はともあれ、岩魚を釣らなければならないのであるが。





どれもこれも絵に描いたような木っ端岩魚である。
けれど魚に罪は無い。
むしろ、釣り師として不徳の致すところである。
掛けた魚のアラ探しをするようでは釣り師失格である。


温泉に入りたくなってきた。
上がろう。



やれやれ。
そろそろ家に帰ってもいいのではないだろうか。



  


2018年03月26日

体がなまった釣り師たちが喘ぐ雪山

年明けからこのかた、日々自堕落に過ごしてしまった。
このままでは溪歩きに支障が出る。

溪師が歩けなくなったら引退である。

一日の遅れは十日の遅れ。
身も心も一から調整し直さなければならない。

ここは手近な里山だけれどまだ雪深い。

僕の好きな頸城山塊。



高妻山など。



落下して間もない樹氷片を踏み砕いて歩く。



雪庇の際。




高社山の山頂と、この日の相棒。
背景は麗しの志賀高原。



画像を送信しているB場ちゃんである。
KONちゃんに何かを送っているに違いない。

彼は近年、フライフィッシングに片足を踏み入れたところなのだけれど、写真への造詣がことのほか深い。
加えて、人知れず糖分を抑えたチーズケーキ作りに勤しむあたり、なかなかの業師であると思わせられる。

いい年をした男が二人。
雪を相手にもがき、喘ぐ。
濃厚な筋肉痛の予感。

溪の盛期はまだ遠い。
春山の季節が始まる。
  


Posted by SFM at 20:51Comments(0)トレッキング

2018年03月23日

また来ちゃった

中華そばである。

ついつい、この店にまた来ちゃったのである。

仕事には段取りが肝心だと以前書いた。
要するに、この店の開店時間に合わせて、手際よく仕事をこなさなければならない。

さらに、N井さんは役者が一枚上である。
毎回、示し合わせてこの店で落ち合うのだけれど、そのあたりに関しては流石と思わせられる御仁なのである。

実は、あまり大きな声では言えないけれど、外食が苦痛に思える時だってある。
ここだけの話、蕎麦店の暖簾をくぐる楽しみは失われて久しい。



でも、僕たちにはこの中華そばがある。

やっぱり来て良かった。



手近なところに観音様が立っていたから、つい、合掌。
信仰心など微塵も持ち合わせていない釣り師ではあるけれど。





  


Posted by SFM at 20:15Comments(0)釣り師の日常

2018年03月19日

毛鉤釣り師にだって春は来る

この日は初登場のB場ちゃんのお誘い。

小一時間ほどのキャスティングをこなしてからの入溪。

毎度お馴染みのKONちゃんがここに加わるのだけれど、彼は腰痛で遡行が覚束ないから、入渓は無理である。
今、彼に出来ることは芝生の上のキャスティングである。

出向いたのは、わりと近くの川なのだけれど、僕がここに入溪するのは十年振りぐらいになる。



この日、僕は雪が残る川筋で、ほんのりと微かな春を感じたかったのである。



サオを振るB場ちゃんであるが、彼の釣り姿を眺め、我ながら残り少ない釣り人人生に思いを馳せつつ、寡黙に歩く。



そのあたり、まだ少しばかりは気持ちにゆとりがある釣り師と思って頂けませんかね。


そう言いつつ、釣果はゼロである。

ここでのスプラッシュライズはB場ちゃんには取れなかった。
僕にも取れなかった。



ここでは合わせ切れである。



まあいい、釣り師は寛容でなければならない。
温泉と焼酎があるじゃないか。

さて、不躾ながら。
KONちゃんもB場ちゃんも揃って下戸である。
先頃、僕はホタルイカの初物を手製の沖漬けに仕立てたのだけれど、聞けば彼らはこの類のものが嫌いなのだそうである。



まあいい。
下戸には下戸の言い分があることと思う。

春の夜、この小さなイカが接岸して、青白く光る様は身投げに例えられる。
傍らでは、某国の木造船が海の藻屑になっていることと思われる。

僕は慎ましく春の使者を食卓で迎えるのである。

手酌で乾杯。

入溪前のキャスティングなどを思い出しつつ。
二人の下戸に合掌。


  


2018年03月16日

明日できることを、わざわざ今日やる必要は無い

仕事は段取りで決まる。
常にゆとりを持たなければならない。
明日やればいい仕事を、なにも今日やらなくてよろしい。

これが釣りになると、発想をがらりと変えなければならない。
明日のことは誰にもわからない。
知識、経験、技術、体力、人脈など、持てるものを、その時、その瞬間に惜しみなく投入するのである。

さて、本日。
そそくさと手配などの類を済ませ、諸々滞りなく目処がつくよう配慮を致し、出先での用事を手早く片付ける。(ホントかネ。)
人工知能などには真似のできない雑用係一筋の極みがここにある。
などと思うのだけれど、僕の付加価値は低い。

ここで登場するのが温泉である。
仕事中に風呂に入るぐらいしか僕には能が無い。

無い袖は振れない。



平日の昼下がり。
世間の人々は仕事をしているけれど、僕は人知れず温泉に入るのである。
毎度の事ながら、下品な笑みが漏れる。

さてさて、浴場には誰もいない。



小座敷も一人占めである。



要するに貸切り状態。

温泉が好きで良かった。
こんな芸当が人工知能如きにできるだろうか。

さて、初物。
心穏やかに春の使者を迎えるのである。



仕込みは今夜のうちにやっておかなければならない。
釣り師はけっこう忙しいのである。
  


Posted by SFM at 20:47Comments(0)釣り師の日常

2018年03月13日

釣り師をつなぐ蕎麦の集い

今回のお題も宿六先生のご厚意に甘えて手打ち蕎麦である。

少し大袈裟に言うと、北早生、信濃一号、常陸秋そばと、三品種の蕎麦粉の違いを味わうのである。

全盛期を過ぎた釣り師たちが、若き日の思い出とともに蕎麦切りを手繰る、楽しいけれどどこか切ない、そんな愉快な仲間たちの、聞き蕎麦の集いなのである。

要するに、どの蕎麦粉も品質は一級品なのであるが、所詮、打ち手がKONちゃんと僕である。
はっきり言って、打ち手の技術が難点なのである。

手繰りに来てくれた釣り師たちには感謝しなければならない。
時にはこんな僕でも、心を込めた仕事をするのであるが。









評価をするのは人様である。


ここで、作務衣に着替えて蕎麦を打つKONちゃんが登場する。
彼はカタチから入るタイプである。



出で立ちを見れば、相当な熟練者に見えてしまうことと思うが、惑わされてはいけない。
ここで釣り師は、本質を見極める目を養いたいところである。


この日、僕は忙しく立ち回っていたせいか、蕎麦を手繰る釣り師たちの写真を撮り忘れてしまった。
複数の仕事を同時にこなせない見本がここにいる。
日頃から、仕事をサボっているとこういうことになる。

溪の盛期の前にもう一度。

来月帰国するO野サン。
お楽しみに。

N川サン。
この日はお疲れ様でした。

ASHIちゃん。
壮大な胃袋には少々食い足りなかったかな。

T屋サン。
お会いするのは初めてでしたが、僕の兄弟子にあたる御仁。

早春の北信濃の一日。
溪に思いを馳せる釣り師たちの縁。

そんな、人をつなぐ蕎麦を打てるようになれるだろうか。
  


Posted by SFM at 20:58Comments(0)釣り師の日常

2018年03月09日

男のすき焼き

この夜、僕以外の家人たちは外食に出掛けたのである。
いわゆる女子会である。
男が一人、家に残されてしまった。
こんな時、釣り師は寛大でなければならない。

要するに、それならそれで「しめしめ」なのである。
孤独を楽しめなければ、岩魚釣り師としての資質を問われる。

ここはすき焼きでなければならない。
日頃は、なぜか気が引ける献立である。



我が家には、特別会計も離れも無いけれど、こんなときぐらいはすき焼きをやってもいいのではないだろうか。

そうは言いつつも、スーパーのレシートを見ればささやかなものである。
帰りがけに味噌ラーメンなどを食べることを思えば、少しだけれどお釣りが来る。

これほどに安上がりな男が他にいるだろうか。

たまには自分を褒めてもいいじゃないか。
そっと、慎ましく。

そんな夜。
  


Posted by SFM at 20:25Comments(0)釣り師の日常

2018年03月05日

自己責任と無責任・とかくこの世は住みにくい

先頃、知人の奥サンがスーパーの床で滑って転んで骨折をされたそうである。
これはこれで、お気の毒なことである。

治療にかかる費用は店側が負担するそうで、しなければならないことになっているそうである。
それもそれで、気の毒なことでもある。

店にとっては、お客さんが爆弾を隠し持ったテロリストに見えはしないか。

「怪我をしたり、死んだりする可能性のあるお客様の入店を固くお断りいたします。」
などと書いた札を店頭に貼っておいたらどうなるだろうか。

店を出すのも楽じゃない。

なにはともあれお大事に。


聞くところによると。
滑落しそうな登山者を助けようとして、つい手が滑ったりして落としてしまうと、お咎めを受けることになるそうである。
要するに、せっかくの善意が仇になるらしいのである。


「お助けしたいのは山々ですが、なにぶん諸事情がございまして、ここはひとつ、自力で這い上がっておいでください。
見ていてあげますから。
ほら、がんばって。」
などと、声援を送りつつ、励ますぐらいなら問題は無いらしい。
結果はどうあれ。


この雉は、一声鳴いてしまったばかりに僕に写真を撮られちゃったのである。


写真だけで済んだのは結果論である。
黙っていれば気付かれることも無い。



件のスーパーで半額になっていたむきエビで一杯。
いやいや、一杯だけで済めば苦労などしないのであるが。

  


Posted by SFM at 19:51Comments(2)釣り師の日常

2018年03月01日

釣り師の蕎麦と善光寺商法の不都合?な真実

一夜明けて。
前夜は、素晴らしい料理と源泉掛け流しで癒されつつ、お酒の力も借りて、ほのぼのとした灯りが心中に煌いた釣り師たちであるが。
一晩寝て起きれば、そこには相も変わらない現実が重く横たわっている。

夕日を背負った瀬戸際の釣り師たちには、目に眩しい朝日が射し込むことはない。
物事の理とはそういうものである。

真新しいフライロッドを手に、心を慰める釣り師たち。


このサオに魂が入るのはいつになるのだろうか。
サオを愛でるのもいいけれど、使わなければ魚は釣れないのであるよ。

そんな朝。

右肩下がりに加速がついた釣り師たちの心情を察してか、この天川荘の宿六である先生曰く。
「蕎麦を打ちたいだけ打って、食べたいだけ食べて行きなさい。」

やれ、ありがたい。
ここは素直にお言葉に甘えていいのではないだろうか。

プロの仕事場で、プロの材料と道具を使って、素人が蕎麦を打つのである。

さてさて。




正直なところ、僕は人前で蕎麦を打つことに引け目を感じる。
人には相応の領分があると思うからだ。
僕はプロではない。
だから、蕎麦打ちを手ほどきしてくれた、この宿六先生のところに出入りしている身内の釣り師たちに限って、拙い手並みを許してもらっているのである。

さて、どれぐらいの拙さかと聞かれると、上手く説明出来ないのだけれど、信州信濃の善光寺商法の蕎麦店よりはいくらかマシなんじゃないかということになるだろうか。
誤解をされるといけないのであるが、「善光寺商法」を引き合いに出したのであって、「善光寺界隈」のことではないのである。

そうは言っても、ご聡明な貴方様はピンときたのではあるまいか。
思い当たるフシがおありなのではあるまいか。

余談になるけれど、この寺には本尊があるかどうか疑わしいのである。
七年ごとにとり行われる御開帳の期間中は、全国から参拝者の大群が押し寄せることになっている。
ついでにドローンも落下する。

要するに、宗教的商業主義の極みと思えばよろしい。

ところが公開されるのは模造品である。

恥ずかしながら、長年釣り師をやっているけれど、これほどの疑似餌にお目にかかったことが無い。

実物は本当にあるのだろうか。
誰も見たことが無ければ、見てもいけないことになっているそうである。
まさかとは思うが、無い物をあることにしているのだとすればいかがなものか。

意地が悪いと思われる向きもおいでかとは思うが、僕は「悪魔の証明」を示唆しているわけではない。
蓋を開けて、中身を確認すればいいだけのことである。
あって当たり前、無ければ無いだけのことである。

善光寺商法の根幹は、そのあたりにもあると思えるのは僕だけだろうか。

僕は疑似餌で渓魚を釣る毛鉤釣り師で、ついでに信州人でもあるから、そうそう偉そうなことを言えた筋合いではないけれど、一括りにされるのは謹んでご遠慮申し上げる。

まあいい。
善光寺の本尊など、この際どうでもよろしい。

本題に戻る。

要するに、そんな罪深い釣り師の手打ち蕎麦なのである。

前述のとおり、他人様にはそうそうお出ししたことが無い。
仮に手繰って頂いたとしても、常識のある大人であれば、不味いなどとは口が裂けても言うワケがない。

実際のところ、打ち手としての責任を果たせているのだろうか。
僕は心配性なのである。



一方、KONちゃんであるが、その笑顔には屈託など1ミリも見られない。
然るべきところに安置してもよいのではないだろうか。



南無阿弥陀仏。



ごちそうさまでした。
合掌。



  


Posted by SFM at 20:16Comments(0)釣り師の日常