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2018年06月28日

ココヘリ 遭難する可能性の高い釣り師のために

沢筋での遭難者は捜しにくいから、特に釣り師や沢屋、山菜採りは注意しなければならないそうである。

先頃、ある山域の遭対協で事務局をやっているお姉さんから聞いた話であるが。

近年、ココヘリという仕組みが出来て、加入者が遭難して依頼をすると、ヘリコプターが飛んできて、遭難者が持っている発信機の電波を拾って位置を特定して、それを救助組織に伝えてくれるそうである。





釣り具や装備品の定価を思えば、入会金や年会費はそれほど高くないようである。

遭難者が事前に残しておいた遡行ルートの計画書に沿って、ヘリコプターで発信元を探すから、計画書の作成と捜索費用保険の加入は別に必要だそうである。


うまくいけば、初期捜索の効率がとても良くなって、捜索日数が大幅に短縮されるに違いない。

救助する側も状況がわかっていて向かうわけだから、適切な段取りが組めるのではないだろうか。

救助にかかる費用も抑えることができるに違いない。




深い沢筋でも使い物になるのだろうか。
問題はそこである。

いずれ、詳しく調べて検討してみよう。


遭難しないためのことを考えながら、遭難したときのことも多少は考えておかなければならない。

釣り師は、物事をマイナス方向に考えることにおいて、他人様に引けをとるわけにいかないのではないだろうか。

  


Posted by SFM at 20:41Comments(2)釣り師の日常

2018年06月25日

貧果の釣りに釣友を想う

平地の暑さに反して、渓筋では吹き下ろしの涼しい風である。

期待は外れた。
溪に来てからわかった。


苦労しつつ取った数少ない良型。







せわしげに上がる飛沫をせわしげに取ってみるとこれである。




要するに、大半は絵に描いたような木っ端岩魚ばかりなのである。



こんな日は深追いしても無駄である。

実はこの日、久しぶりに相方になってくれることになっていたのは、練達の業師であるN川サンだったのだけれど、彼は前日に車の荷台から飛び降りたときに、足をクキッとやっちゃったそうで、残念ではあるが大事をとって療養することになったようである。

N川サンに限ったことではないのだけれど、大方の釣友たちは、腰から来る足の不具合、痛風、膝の軟骨の摩耗などと、各々何かしらの支障を抱えてしまった。

そろそろ、お互いを慰めつつ、歳相応な、「昔は良かった」的で、哀愁に満ちたアウトドアライフの在り方を、知恵を持ち寄って模索しなければならない時期にきているのではないだろうか。

さらに言うと、健康体として如何に優れていても、人間性に支障を抱えてしまった場合、釣行の相方としては極めて不適格であると常々思うわけであるがね。

そのあたり、おかげさまをもって釣友には恵まれたと、僕は感謝を致すところであるよ。


そんなことを思いつつ、潔く納竿。


N川サンと歩きたかった渓。





昼下がり、早々と貸切り状態の内風呂などに浸かって。





N川サンが夕方届けてくれた鹿刺しと黒糖焼酎。




なんて良い人なんだろう。
  


2018年06月21日

釣り師の屍拾う者無し

自制心を制御できなくなった釣り師というものは、ときに疫病神に変化(へんげ)する。

溪で散った釣り師の業の深さというものは常人の想像を超える。

コレに付ける薬は無い。





何の因果かおおよその察しは着くけれど、この時期になると僕のところには、梅雨明けを見越したように薬が効かないコレが出現して、ねちっこく絡みつくのである。

要するに、事実は小説より奇なのである。

ほら出た。


渓筋で長い時間を過ごす場合、相方はよくよく吟味した方がお互いのためであると僕は思う。



人の世の道理を違えれば、容赦なく斬って捨てるがよろしいか。

釣り師の屍の如きつまらぬモノは、誰も拾ってくれないよ。
いやいや、心配には及ばぬ。
骨の一片も残らないと思いたまえ。
ご安心召されよ。

どれ、成敗致そうか。

南無阿弥陀仏。


  


Posted by SFM at 21:04Comments(0)釣り師の日常

2018年06月18日

梅雨の岩魚は型揃い 貸切り露天風呂の妙味

梅雨入りしても、中晴れのこの日の陽気はとても爽やかで気持ちがいい。
実のところ、岩魚を釣るには、もっと蒸し蒸ししていた方がいいのだけれど。


今年の岩魚の出足はそれほど早くなかったようで、このところどうにか型が揃うようになってきたところである。



水面から鼻先も出さずに毛鉤を水中に引き込んだ岩魚。
波紋も立てないあたり、この品の良さは褒めてやってもいいのではないだろうか。






付き場はほとんど肩と流心。













ランディングネットを使えば少しは写真映えがするかもしれないけれど、僕の場合はネットを持って行くとなぜか釣れない。
だから使いたいけれど使えない。

昼下がり、水面を流されるフタスジモンカゲロウがすっと消えて無くなる。

つ抜けにいくつか上乗せ、これで終了。
僕にしては上出来ではないだろうか。




沢を下る時間を逆算しなければならない。
僕の気持ちは温泉とビールに飛んでいる。


この日は故あって、貸切り露天風呂であるよ。



さて、この風情である。
日頃から混浴、あるいはそれに類することを嗜まれる老若男女の諸氏におかれては、殊更に堪えられないに違いない。
不躾ながら、ついつい、想像しちゃう。
けれど、そのように高度な芸当などは、僕にとって現実的に無理である。
溪魚を釣るよりも、はるかに段取りが難しいのではないだろうか。
可能性はゼロである。



岩魚釣り師が一人寡黙に喜びを味わうのは世の常のようであるね。






なお、今朝の大阪府北部を震源とする地震の被害に遭われた皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。

  


2018年06月13日

無券游魚者あれこれ

近年は減少してきたとはいえ、自然環境の過酷な渓流域にもかかわらず、けっこう逞しく生き抜いているのが無券游魚者である。

一応は僕も某内水面漁協の組合員になっているから、無券游魚者に出会ったときには相応の指導、並びに是正などを促すのである。

無券游魚者各位におかれては、クルマを横付けできるお気軽な釣り場よりも、入溪に手間がかかる人影疎らな沢筋などに根強く生き残っているようであるが、彼等にとって不幸なことに、僕のように専ら人混みを避けた釣り場を渡り歩く希少な組合関係者もいるわけで、「こんなところで出やがった。」などと、ツキノワグマの如く思われるのが僕なのである。



次に挙げるのは、ほんの一例である。
どれもこれも、コクやらアクやらが滲み出たようないい大人ばかりである。

「もう20年以上ここに通っているけど、釣り券なんて言われたのは初めてだ。一度も買ったことねえよ。」
車止めから2時間以上歩いてきて、数人で釣りをしていたおっさんたちである。
「20年以上も無券で釣っておられたんですか。
実に好ましくありませんね。
むしろ、言語道断と言わざるを得ません。」
釣りは中止、ご一行様におかれては速やかに脱溪、2時間の道のりをお帰りいただくことになる。


「朝の暗いうちから来てるのに、券を売ってる店が開いてねえし、買いたくても買えないじゃねえかい。」
「いやいや、お父さんね、他の皆さんは事前に買われたり、年券を持っておられるんですよ。
ちなみにコンビニにも置いてありますよ。」
早朝からのご苦労には頭が下がるけれど、ここでも釣りは中止である。

アタマの先からつま先までシムス社の製品で統一しつつ、フライロッドはRLウィンストン、あらゆる状況に対応できる小物類、おそらくはフライパターンも相当に吟味されているに違いない。
にも拘らず、唯一、釣り券だけは持っていなかったフライフィッシャーが物も言わずに脱溪していく姿はどうであるか。

詳しい説明は野暮であるネ。




三者三様、それぞれに言い分はあるようだけれど、はっきり言えば屁理屈である。

どれほどに深い溪に分け入っても、壁には耳があって障子には目がある。

無券常習者の旦那、そのうち僕が見つけちゃうよ。




万一、溪筋で遭難して救助されると、警察官、救助隊員、消防署員、野次馬など、大勢の関係者に囲まれることになる。

無券だったら恥の上塗りになっちゃうよ。


  


2018年06月10日

木っ端岩魚がまといつく 岩魚を釣るのも楽じゃない

この溪はそれなりに行程が長くて、それなりに良型が揃って、釣りを終えて帰って来るとそれなりにくたびれることになっている。

加えて、溪が開けているからキャスティングのストレスはゼロである。
なにより景色が素晴らしい。


今年はどうであろうか。

さて、この日。
お世辞にもお日柄がよろしいとは言えない。





良型を1匹取るには木っ端岩魚を5匹以上掛けなければならない。

せっかく遠投向きの溪なのに、次々に釣れてくる岩魚のほとんどが20センチ以下である。
はっきり言って煩わしい。








そうは言っても、彼等はこの溪の将来を担う若い岩魚たちである。
人の手を介さなくても世代交代ができる豊かな渓の証であると思わなければならない。
粗末に扱うようでは釣り師失格である。


この日の僕には珍しく連れがいる。

お馴染みのKONちゃん。
合わせを決めた瞬間。




この直後にBABAちゃんのサオがしなる。
彼は苦労人である。





胸まで冷水に浸かる渡渉の後はけっこうな高巻きをしなければならない。



彼らの口数が少なくなったように思えるのは僕の気のせいだろうか。
長年こんなことを一人で続けてきた僕の姿は、彼らの目にどう映っただろうか。







釣りの後はこうでなきゃいけない。
溪の冷水から上がった遊び人と苦労人が今度は温泉に浸かる。



この二人は下戸だからあとは帰って寝るだけでよろしい。


けれど、僕にはまだやらなければならないことがある



岩魚釣り師の一日は長い。
  


2018年06月07日

安いけどまあまあイケる本格焼酎

焼酎というものは25度以上でなければならない。


今回のお題は、先ごろ量販店で買ってきた紙パックの焼酎乙類である。
半信半疑ながら、税込1000円で少しばかりお釣りがくる値段に、ついついなびいちゃったのである。

韓国産の焼酎甲類より安いかもしれないよ。



そうは言ってもこの焼酎、許容範囲なのだろうか。
もしもハズレだったら、安物買いの銭失いである。
しばらくの間、我慢して飲み続けなければならないことになる。

さて。



嗚呼、杞憂に終わった。
費用対効果を考えれば、この麦焼酎はまあ上出来と言っていいよ。
とりあえずは良かった。

実は、昨年の春に懇意にして下さっていた酒問屋さんが閉店した。
それまでは目利きの確かなプロに勧められるまま、お値打ち価格で流通業者のような買い方をしていたのであるが、いちいち小売店に出掛けて買うようになってこのかた、何かと気苦労が絶えない。


弊ブログをご覧下さる読者の皆さまにおかれては、下戸の諸氏とは一線を画す腕利きの面々がお揃いのことと思う。
酒器を片手に、この心配性な釣り師をそっと一笑していただきたいところ。

乾杯。

  


Posted by SFM at 20:27Comments(0)釣り師の日常

2018年06月04日

穴場にまつわるなんとやら

所謂、名人級の人と話していると、思いがけないような情報を聞けることがある。
技術的な事だったり、山中での知恵だったり、話題は様々だけれど、こういうものはカネで買えないところが素晴らしい。
とりわけ貴重なのは、長年温存してきた穴場の情報である。



いくら名人でも、つい、「あそこは山桜が満開の頃に・・・。」
などと、うっかり穴場の存在を匂わせてしまうことがある。
もっとも聞く側にも、それを嗅ぎとる注意力が必要になるのだけれど。
とにかく、名人の話をただぼんやりと聞いていてはいけないのである。

そのときに、すかさず話しに食い付いてしまってはいけない。
相手は名人である。
人一倍の警戒心をもって生き抜いてきたはずである。
老獪な大岩魚のようになっているはずである。
話をはぐらかす技も名人級に違いない。
細心の注意を払わなければならない。

そこは気長に待つのである。
その間にこちらが忘れてしまっては元も子もないのであるが。

そこで、入念に時期を窺いつつ、翌年あたりの山桜がまだ咲く前に、「そうそう、去年話していた山桜の川は・・・今年もそろそろ花が・・・。」
などと平静を装いつつ、さらりと切り出す。
すると名人は、「俺、そんな話ししたかな?」
などと言いつつ、首を傾げながらも、覚悟を決めたように、渋々と穴場の説明をしてくれるのである。





名人の隠し沢だから、時には僕でも出来過ぎなくらいの大釣りになることもある。

しかし、そこで浮かれてはいけない。
他の釣り師たちの前で、下品な笑みさえも醸し出してはいけないのである。
これほどに自己管理能力が求められる分野が他にあるだろうか。
得ることは大変であるけれど、失うことはごく容易い。
沈黙は金である。
口の堅きこと蛤の如く、涼しげに素知らぬ顔でやり過ごさなければならない。


前置きが長くなってしまった。

さて、重い十字架を背負いつつ入渓したこの日。



僕としては、瀬尻に出ている良型を、一投目で気持ち良く掛けるような釣りがしたかったのだけれど、この日は陽の当らない中途半端な深みに付いている岩魚を、ねちっこくおびき出す釣りになっちゃったのである。


後刻、名人を訪ねてそのような報告をしたのであるが。
「贅沢を言うな。」
・・・あいすいやせん、以後気をつけやす。


まあ、それなりに型揃いではある。









このお腹をご覧頂きたい。
春ゼミを何匹も食っていると思って間違いない。




この上なく爽やかな陽気に岩魚の食いが止まる。



ここでサオをたたんで温泉である。


さて、名人の仕立てたワラビの松前漬けで。