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2022年05月29日

つけ場のハヤで甘露煮を仕立てる

縁あってハヤのお裾分けを賜ることになった。

僕が少年時代に足元に群れていたハヤやオイカワなどの小魚たちを、身近な川で素朴に釣ってみたいと思いながら、そのような水辺の心当たりが無くなってしまったことを寂しく思っていたところである。



聞けば、今でも彼らは逞しく生き残ってはいるけれど、往年に比べると大きく減少したことに変わりはないそうである。


僕はやったことはないけれど、つけ場漁という伝統漁法が信州にある。

この時期に川底に砂利を敷いておくと、卵を産むためにハヤがうじゃうじゃと集まってくる。
そこを狙って投網を打ち、一網打尽にするそうである。

けれど、口で言うほど簡単ではなく、砂利の敷き方が気に入らなければハヤは集まってくれなかったり、網を打つタイミングがずれると一匹残らず逃げられたりと、そうそう楽な話でもないらしいのである。


実を言うと、アブラビレの無い魚を喜んで頂戴したのはわけがあって、以前から川魚を使って手製の甘露煮を作ってみたかったのである。

それなら、小ぶりな渓魚を揃えればよいではないかということになるが、抵抗感、罪悪感、世間体、その他諸々。
こう見えても毛鉤釣り師のはしくれであると言えば心中お察しいただけることと思う。

そのようなわけで、紆余曲折を経た岩魚釣り師が、ようやく小魚の甘露煮に初挑戦する運びに漕ぎ着けたところなのである。

そうは言っても、生まれてこのかた煮魚ひとつ作ったことがない岩魚釣り師ゆえ、出来上がるまでは半信半疑。


煮崩れを防ぐために素焼きをしなければならないそうである。




粗大ゴミの如き燻製器が活躍するのはいつ以来だろうか。




風乾の後、圧力鍋で15分。




ささやかな念願が叶った瞬間。




欲を言えば。
秋口にカジカを釣って、焼き干しで一杯やることができたら思い残すことはない。・・・かも知れない。
  


Posted by SFM at 21:13Comments(0)釣り師の日常

2022年05月26日

この日の岩魚はよく引いた

気温、水温ともに許容範囲。
難があるとすれば、僕にとっては心地が良い溪の爽やかさを渓魚たちは少々不快に感じるらしい。

瞬間的に弾くような出方。
予想通りと言えば予想通りであるが、釣り師としてはやはり掛けにくい。
けれど、水面下での活性は相当に高まっているらしいことが見て取れる。

などと、わざわざ小難しい屁理屈を並べたりせずに、心穏やかに淡々と釣っていた方が精神衛生上は好ましいに違いない。

そのようなわけで、地道にコツコツとありふれた釣果を積み重ねる。











淡々と釣っていながら、体長に似つかわしくない引きの強さ。

よくよく見ればけっこうな魚体。
背肉の付き方に暫し目を瞠らされる。


釣り終えてみれば、思い出すのは掛け損ねた魚たちや、掛けておきながら逃げられちゃった魚たちばかり。
淡々と釣るなどと言っておきながら、心穏やかならぬ正直者の本心はせいぜいそんなところである。




帰り際。
微かにハルゼミの鳴き声。
確かに聞いたよ。



  


2022年05月18日

つゆ知らず 掛かっていたのは尺岩魚

岩魚は適度に散っていて、流芯の深みに付いている。

沢筋の陽気は涼しく、風向きが変わる。

岩魚が浮いてくることは期待できそうにない。

そこで、流芯の白泡や波を直撃するのだけれど、流れに乗せた毛鉤はすぐに沈み、どこを流れていることやら。
キャストした本人にも見当がつかない。

それでも、ごく稀にではあるが、上げてみると鉤先に岩魚が付いていることがある。

そのような偶然の産物に縋り、延々と同じ事を繰り返すだけなのである。

要するに、岩魚の側が勝手に毛鉤に食いつけばよいではないかという、極めて他力本願で無責任な釣りなのである。

マッチ・ザ・ハッチもナチュラル・ドリフトもお構いなし。

そんな局面。

フライフィッシングなんてそんなものだヨ。などということは口が裂けても言わない方がよろしい。


偶然の産物たち。












困ったことに、この尺上も偶然の産物である。



悪い冗談に思えなくもないけれど、偶然は偶然であり、悪気があってやったわけではない。
こればっかりは面目無いとしか言いようがない。


因みに、この尺上を女優に例えたらどうなるだろうか。
まあ、そのあたりは奈良県在住のゆみ王さんという非凡なる御仁が、いずれご一考下さることと思う。


などと、年甲斐も無く火遊びに耽る昼下がり。




さて。
察するところ、全身黒ずくめが通過したのはつい今しがたに違いない。



彼等はけっこうどこにでもいて、日中は藪に潜み、通過する釣り師を穏便にやり過ごしているらしいのである。
鉢合わせしないだけで、山中に仕切りは無い。
この地に限らず、本州のほぼ全域に分布しているわけであるから、釣り師にとっては身近な存在なのである。
ほんの手を伸ばせば届くほどの身近な藪の中に黒い塊が蹲っていながら、ただ釣り師が気付かないだけなのである。
彼等が出没しないと言い切れる溪は無い。

何事も、互いに理解を深め合うことが平和への道であると僕は思う。



ハルゼミが鳴き始めるのは時間の問題。




いずれ溪は弾ける。







  


2022年05月12日

介護フィッシングに向けて

この季節の渓魚は、前日から気温が下がると著しく活性が下がり、底に張り付きがちになる。

初めて来た釣り師はこの川には魚がいないと決め付けたくなるだろうけれど、釣りには日柄というものがあるから、第一印象だけで釣り場を判断しない方が得策だと僕は思う。

そのような日柄であるから、本来はサオを出すべきでないことはわかっているけれど、この日の目的は釣りそのものではなく、入溪ルートの整備である。

近年、急速に身体機能が衰えた釣友たち。
かつては、いずれもそれなりの業師揃いではあっただろうけれど、このところは経年劣化に磨きがかかり、見ているこっちが心配になっちゃう。
今期を逃すと、彼らがサオをしならせる機会はこの先に巡って来るだろうか。

そこで、いくらかマシなB場ちゃんと僕が一抹の責任を感じるに至り、老体に鞭を打ち、入渓ルートの藪を刈り、足元の倒木を取り除き、ロープが必要な急斜面を点検したわけである。




その上で、彼らの安全安心な釣行計画を作成するための試し釣りなのである。
まるで釣り場のケアマネージャーである。

要するに、我が釣友たちが釣り場に立つには介護が必要なのである。

そうは言っても、逆の立場になるのは時間の問題。
そこはお互いさまなのである。

情けは人の為ならず。


試し釣りの結果はどうか。

余程のことがなければドライフライで通すB場ちゃんではあるが、この低活性である。

日頃の信条を曲げて、浮木を付けてニンフを沈めざるを得ないのは数えるほどの木っ端岩魚を掛けるためである。
「・・・背に腹は代えられない。」
聞いたヨ。確かに。





致し方なく僕も毛鉤を沈める。

数少ないアタリを取った結果はやはり僅かな木っ端岩魚ばかりである。






恐らく、このサイズの魚たちは良型が動いている時には出たくても出られないに違いない。

けれど、彼らがいてくれるから渓の未来に希望が持てるのである。



馬を水辺に連れていくことは出来ても無理に水を飲ませることは出来ないというのは英国の格言である。

デイサービスに通うことを嫌がる高齢者も多いそうである。

無理強いするわけにはいかないけれど、我が釣友たちは釣行に意欲を示すだろうか。



山桜が咲いたよ。




残雪が消える頃は新緑の初夏。








  


2022年05月07日

思わぬところに尺岩魚

前回の投稿で、今年の初入渓は当分先になりそうなことを言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに釣りに行っちゃうあたり、釣り師として不徳の致す所であると言わざるを得ない。

ここは比較的近場だけれど、まだやったことがないから、この機会にどうだろうかと持ち掛けてきたのはB場ちゃんである。

実は僕も初めてなのである。

往年の釣り師によると、頻繁にクマが出るとか、帰路に足を踏み外して足の骨を複雑骨折したなど、その類の話が絶えなかったそうであるが、近年では語られることも無く、時代の流れに取り残された感がある。

思慮深いこの男が僕に白羽の矢を立てたということは消去法の結果であり、万一の場合は僕を捨て石として利用してやろうとでも言いたげな思惑がありありと見て取れちゃうから困っちゃうのである。
まあいい。
釣り師というものはそういうものである。
成長したネ。





動く底石、連続するノド、けっこうな高巻き。
加えて、年中頻繁に落石が起きているらしい形跡、そうそう死ぬようなことはないだろうけれど、どちらかと言えば釣り師にとっては悪渓であると思う。

などと、総合的かつ俯瞰的な分析をこの僕にさせておきながら、初めて入渓した川であるにも拘わらず、立て続けに魚を掛け始めるB場ちゃんというこの男、一見したところ謙虚さを醸し、対人関係では常に礼節を携えているように見えて、実はけっこう図太い神経の持ち主ではなかろうかと思わせられる。
しかも咥え煙草である。






どれ。
やってみると、其処彼処の小さなポケットや巻き返しに沈んでいることがわかる。





どこか食いが浅いように思えるけれど、まあ、出てくれるに越したことはない。
付き場との距離を詰めたセコい釣りではあるけれど。






さて。
ほんの小さな鏡に毛鉤を置いたところ、白泡の下から出ちゃったのがこの尺上である。



はっきり言って予定外である。
こればっかりは魔が差したとしか言いようがないのであるが、取るに足らない場所にこのような尺上が付いていることを見抜けなかったことに対しては責任を重く受け止めなければならない。

せっかくであるからB場ちゃんに釣ってもらいたかったのだけれど、釣れちゃったものは仕方が無い。


あまり写真にこだわり過ぎると撮る前に逃げられちゃうよ。
そんな経験、あるでしょ。




適切な時期に入渓すれば相応に釣れる事はよくわかった。




いずれ、遡行ルートを点検して危険箇所を整備しておこうか。







  


2022年05月04日

サオを持たずに川に行く

GW後半。
世間では、徹底した感染対策の下に集客や各種のイベントが開催されることになっているそうであるから、観光地には観光客が集い、屋内外を問わず商業施設はさぞかし賑わっているに違いない。

各地の釣り場も盛期を迎え、それなりに賑わいを見せているだろうけれど、僕は地政学的な根拠に基づき入渓に踏み切れずに日々を過ごさざるを得ない。

それでも初入渓に備えて川の下見ぐらいはやっておきたいところである。

半年振りに引っ張り出したにも拘わらず、単車の機嫌は頗るよろしい。




現地を見るところ結構な水量である。



試しにKONちゃんあたりを連れて来て渡らせてみたらどうであるか。
恐らく流されるに違いない。
などと、流心で右往左往するであろう釣友の姿から季節感がイメージ出来ちゃったのである。
あくまで想像である。
こう見えても僕は鬼ではない。
本人はつゆ知らぬことである。
敢えて面と向かって言う必要は無いけれど、人生には命からがら激流を渡り切らねばならない局面がないとは言えない。

日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ。


さて、手ぶらで帰るのもどこか忍びない。
そんな時には人知れぬワサビ畑。

岩魚釣り師の暮らしは慎ましい。
タダで得たワサビを載せたお茶漬けなどで空腹を紛らわすのである。


  


Posted by SFM at 20:15Comments(2)釣り師の日常