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2017年03月26日

非売品専門蕎麦工房

 「非売品専門蕎麦工房 渓水庵」などと、こういう屋号を書くと、しばしば誤解の種になることがある。
数年前の年賀状に、僕の打った蕎麦の写真を大写しにして発送したら、事情を知らない人から生蕎麦の注文や席の予約が何件も入ってしまった。
たった十数枚の年賀状がDMの効果を発揮してしまったのである。
思わぬところで広告媒体の破壊力を思い知らされる。

「お祝」と書かれた胡蝶蘭が送られて来なくて良かった。

それはそれとして、であるが。
このところ、柄にもなく仕事をし過ぎてしまった
これはよろしくない。
仕事には「ほどほどに」というさじ加減が大切である。
それが、毛鉤釣りを嗜む大人というものだ。

であるから、
今日は家で蕎麦を打って、心を穏やかに過ごすのである。

水回し。
地味な作業であるが、ここが肝心なのである
キャスティングに通じるものがある。。


生地を括る。


延して、たたんで、包丁を入れて蕎麦切りになる。





蕎麦を手繰る時には、卓上に余計なものが無い方がいいと僕は思う。
気の利いた小鉢か漬物程度で十分だ。
幽き蕎麦の香りの邪魔をしてはいけないのである。
蕎麦前の相手には、初物のフキ味噌を任命した。

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Posted by SFM at 16:59Comments(4)釣り師の日常

2017年03月20日

そよ風の誘惑

先週に続いて、今週もN川さんはキャスティングの練習に呼んでくれたのである。
このお誘いを粗末にすると罰が当たる。
僕は(元カノの家の前の公園に)いそいそと出掛けて行かなければならない。

これまでも何度か書いたけれど、芝生の上のキャスティングを怠けていたツケは大きい。
そのツケの返済に力を貸してくれているN川さんと、何かにつけて相談に応じてくれている先生のSさんには足を向けて寝るわけにはいかない。河は眠らないけど・・・である。

今週の課題は高番手と低番手を交互に振っても違和感の無いように、ラインの荷重に惑わされないようにすることである。
これをS先生から命じられているのである。

低番手であってもそよ風の誘惑に惑わされてはならない。
好きな曲ではあるけれど。

それはそれとして、であるが。
今日のN川さんは実に嫌なことをやってくださる。

車からサオを持ち出した後にロッドスタンドを準備した。
そこまではまあいい。
次に取り出したのが五十メートル巻のメジャーなのである。




なんだか帰りたくなってくる。
これを芝生の上に張って、「さあ、どうぞ。」などとおっしゃる。



シュートするN川さん。


メジャーをちらりと横目で見やりながらのキャスティングはあまり気持ちの良いものではない。
世の中には曖昧にしておきたい事柄がある。
そこは、日本人の持つ和の精神ではないだろうか。
ところがN川さん、この日は現状の技術力を数値化して冷静に直視する方法を採ったと思われるが、そこには微塵も悪意は感じられない。
つまり、ありがたいことなのである。

詳しい内容は恥ずかしくて書けないのだけれど、シュートの精度を一から立て直す必要がある。
まだしばらくは、芝生の上の住人でいなければならない。

サオを振っている時間を、釣り場と芝生の上とを比べてみると、なんだか虚しくなる。
人生にはそんな時もある。

この日は暖かい。
陽が高くなると公園の利用者が増えてくる。
走ったり、ボールを投げたり、蹴ったり。



帰ったら百条委員会の中継でも見よう。
一時間ぐらいなら、まあいいか。

あまり、品が良いとは思えないけれど、
嘉魚を川の蛆と呼んだ人がいたそうである。

人というものは、陸の蛆の如きものなり・・・。
そう思わせられる。  


2017年03月14日

フライロッドが覚醒する、元カノの面影は思い出せない。

先日のキャスティングの練習に誘ってくれたのはN川さんである。
僕のキャスティングの崩れを見かねて、声をかけてくれたのだと思われる。
ここは素直に甘えていいのではないだろうか。
友人というものは真にありがたい。

彼の家の近くの広い芝生のある公園に出向いたのであるが、最近は若かった頃のことを思い出すことが多くて全くもってよろしくない。
この公園は、僕が二十歳だった頃の元カノ(今の人達はこんな呼び方をするのだね)の家の目の前なのである。
僕にはやましいことは微塵も無いから、気にする必要などさらさら無いのだけれど、要するにそういうことなのである。
三十年以上も昔のことなど、今更どうでもよろしい。
今、大切なことはキャスティングのループなのである。

彼のループは常に安定している。
仲間内ではピカ一のキャスティングをする。
空白期間があってもほとんど崩れることはない。
N川さん、頼りにしてますヨ。



僕の場合は、時々出てくる正しいループを、偶然の産物にしないように体に覚え込ませることを優先しなければならない。
釣り場ではキャスティングのことなど考えなくても、無意識に息をするかの如く、その場面に対応できるループを繰り出せなくてはならないのである。
分不相応な贅沢ではあるけれど、数釣りと併せてゲーム性も高めたいのである。



お互いに一通り振った後は、持ち寄ったサオとラインを組み替えて感触を試してみた。



これが実にいけなかった。(ホントはけっこう良かったのだけれど)
扱いにくいと思いながら振り続けていたサオが、ふと気まぐれに一番手重いシューティング・ヘッドを乗せた途端、瞬時に覚醒しちまったのである。
護廷十三隊の卍解に相当する。
これにはたまげた。
お互いに顔を見合わせてしまった。
我が身にはあまり当てはまらないけれど、人間もちょっとしたきっかけが元で、目ざましい活躍をすることもある。
友人諸氏が一口飲んで「これはちょっと・・」などと遠ざけたお酒も、飲み方を工夫したり、肴の見繕い方で、案外捨てたものじゃないどころか、銘酒に変わってしまうこともある。
この日、僕はこのサオに対して芝生の上で自らの不明に恥じなければならない。

いけないことはまだ続く。
N川さんが、「これ、振ってみて。懐かしいでしょ。」と差し出したRPL。
最近、どこかで入手したようだ。
RPLは、僕がフライを始めた頃に慣れ親しんだサオである。
振ってみると、みるみるラインの荷重が乗ってきて、ループが安定するのがはっきりとわかる。
N川さんは横で、「ほらネ、昔のサオが合ってるんだよ。」とニッコリ。

日頃から、道具より腕と自分に言い聞かせつつ、物欲から解脱したつもりであった筈なのだけれど、再び言いようのない煩悩に悩まされる予感を感じるあたり、「まだまだ修行が足りん。」ということになるのだろうか。

この昔のサオ、懐かしいだけでは無く、相性も良かった筈であるが、いつだったか手放してしまった。後悔は後からやってくる。

尚、であるが・・・サオと元カノとは、全く無関係であると申し上げておきたいと思う。

N川さん、この日はありがとうございました。


  


2017年03月10日

一日の遅れは十日の遅れ。キャスティングの憂鬱

解禁になった川もあるけれど、僕はまだキャスティングの練習をしなければならない。
この状態では、僕はまだ釣り場に立つわけにはいかないのである。

いい時期に、いい場所に行けば、それなりに釣れることはわかっているけれど、そこは志の問題であると思う。

渓では、30cmに満たない小魚を釣るために、芝生の上では、こんな高番手のサオを振らなくてはならないのである。



その苦労が低番手のサオを持ったときに報われると思いたい。
フライフッシャーというものは、実に地味な人間であると思う。

幸い、この日は風がほとんど無い。
わざと悪いループを作って、感覚の違いを確かめたりする。

いくらか戻っては来たようだけれど、抜け切るような気持ち良さがまだ足りない。
この先も、自分のキャスティングに満足できないまま、現役を終わるんじゃないかなどと思ったりもする。
このまま、芝生の上の住人になってしまってはいけない。
一度崩したキャスティングを立て直すことは、つくづく容易ではないと思わせられる。



昼近くになってくると、芝生には子供たちが駆け回り始める。
今日はこれぐらいにしておこう。
お腹も空いたし。
  


2017年03月05日

生ハムを仕上げた釣り師は、やっぱり煙に巻かれるものであること

生ハムが仕上がった。
我が家には業務用のスライサーなど無いから、薄くきれいに切れないのが残念ではあるが
自家消費用だから、まあ良しとしよう。



味についてはご想像にお任せしたいと思う。
僕は、自分の仕事に対する評価は厳しいのである。
そうそう自画自賛なんて恥ずかしくてできるもんじゃない。
そう思いませんかネ?

燻製全般に言えることだけれど、この類は総じて歩留まりが悪い。
生ハムを例に挙げると、仮に1kgの豚肉を仕上げてみると、完成品は700gを下回るのである。
数年前に、鹿肉を預かって冷燻にしたときは、6割を切った。(N川さん、ホントですよ。)
鮭とばを作ると3割程度まで目減りしてしまうのである。

ここでも釣り人は煙に巻かれるのである。

実を言うと、このウチのスモーカー中将、原価がゼロなのである。
しかも、その気になれば5kg以上の材料を燻煙できる容量がある。


元々は、友人の職場で不要になった焼付塗装のスチールの箱、それもシャッターがつけられたやつを貰い受けて、内側に自作で金物を加工してみたのであるが、見事にモクモクの実の能力を見せつけてくれるあたり、流石と思わせられるのだけれど、そこで自画自賛してはいけない。
譲ってくれた友人を評価するべきであると考えるのが大人というものであると思う。

燻煙の様子、僕は燻材にりんごの枝を使う。


スモークウッドを使えば楽だけれど、僕は原木を使いたい。
我が家の周囲はりんごの産地であるから、燻材に困ることは無い。
以前、近隣の生産者にちょっとだけでいいから分けて欲しいとお願いしたら、剪定したりんごの枝を軽トラックに山積みにして、2回に分けて届けてくれたことがあった。
僕が生きている間に使いきれるだろうか。
ここでも原価がゼロなのである。
Kさん、その節はありがとうございました。


燻煙を終えたら数日間香りを馴染ませる。
たゆたうような時間をやり過ごさなくてはならないから、ここでも釣り人はあせってはいけないのである。

せっかちな貴女。
短気な貴男。
お勧めします。
やってみなはれ。
  


Posted by SFM at 19:31Comments(2)釣り師の日常