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2021年09月29日

子作りに励む渓魚たち

禁漁前。
吉と出るか凶と出るかはさておいて、ついつい足掻いちゃう釣り師の業。
悲しくなるネ。



岩魚を釣る前に落ち葉を釣らなければならない。
落葉樹の森とはそういうものである。







君のパパとママは何をしているのかね?

子作りに精を出しています。

よしよし、わかった。

因みにであるが、子作りとは具体的にどのようなことを致すのだろうか。


まあいい。焚火でも熾して暫し待とう。




ところで、来月からまた煙草が値上げされるそうである。




僕にとっても辛いことだけれど、B場ちゃんはモクモクの実の能力者であるから、相当に堪えるに違いない。
既に何カートンも買い占めていることと思われる。


さてさて、地合いが変わり、魚が散る頃合い。





流心の底に定位しているヤツは両面テープで貼り付けたようである。
何をやっても無駄である。

そこで、毛鉤を反転流に絡ませて白泡の下に隠れている魚を掛ける。

などと、そのようなことを言うと偉そうに聞こえるけれど、実際には毛鉤を上げてみたら釣れていただけである。

誰も口に出して言わないけれど、フライフィッシングなんてそんなものだと僕は思うよ。









予想に反して、つい釣れちゃったのがこれである。



尺上かもしれないけれど、そうではないかもしれない。

わざわざ測らなかったのはワケがある。

多少なりとも型に恵まれればと思ってはいたけれど、尺上を釣ろうとまでは思っていなかったからである。

起きてしまったことは仕方がないけれど、この類のことは多少なりとも曖昧にしておいた方がいいのではないだろうか。

これを以って店仕舞いである。

日没までは少し間があるけれど、このような時は、もうサオを振らない方がいいと僕は思う。


小滝を眺めながらナメ床を歩く。





今年の釣りはこれでお仕舞い。

秋の日は短い。





いずれ、キノコでも採りに行ってみようか。

  


2021年09月25日

木っ端岩魚たちは自然繁殖の証

禁漁前。
悶々と思い悩んだ挙句の入渓。



何をどうやっても流れの本筋からは出て来ない。

致し方なく、付き場との距離を詰めて、泡の立つポケットを執念深く叩き続ける釣りである。
実を言うと、僕にとっては精神的苦痛を伴う。

因みに、この類の釣りを好むのはB場ちゃんである。







苦心して掛けてはみるものの保育園のような有様である。
僕は子供が嫌いなわけではないけれど保育士ではない。

そうそう尺上が釣れるとは思っていないけれど、こう小魚ばかりでも参っちゃうのである。

今は釣れてくれなくても構わないから、再来年あたりに釣れてほしいと思うところであるが、明るい未来を担う次世代の渓魚たちは逞しい。

その時になって僕が釣り場に立てる保証はない。









因みに、このところはヒキガエルと遭遇する確率が高いけれど、ツキノワグマとはご無沙汰である。




脱渓地点の尾根。

人目につかない急斜面の残置ロープはB場ちゃんの仕業に違いない。




釣果には恵まれなかったけれど、釣友というものは得難い。

稲刈りは終わっただろうか。



  


2021年09月20日

岩魚釣り師は貧果に耐える

溪筋はまだ薄暗いながら、山肌に差す朝日には秋晴れの予感。




入渓点で僕を出迎えてくれたのはヒキガエルである。



おはよう。


溪の状況を入念に分析。

砂地に残された足跡は生々しいけれど、石が濡れていないところから前日のものであると断定。

よせばいいのにとわかっちゃいても、期待が高まるのは毎度のことである。


ところが。
水量、水温、風向きなどには全く問題はないのだけれど、岩魚たちの機嫌だけが麗しくないから困っちゃうのである。


長い空白の時間が過ぎる。


忘れた頃に大場所から似つかわしくない木っ端岩魚。








釣れない時ほどペースが速くなり、集中力が削がれる。


釣りに見返りを求めるのもどうかと思うけれど、場所が場所だけに、遡行に伴う肉体的苦痛の代償として愉悦を得たいのが人情というものではないだろうか。







そんなことを思いながら脱渓前にささやかな釣果。










苦しまぎれに潜り込んだ枝沢。

手足を藪に絡められながらのキャストは肩が凝るけれど、本流から差した岩魚で心を慰める。









さて、禁漁になったら何をして過ごそうか。




などと、師の手製の肴で思いに耽る。




何年経っても同じ事の繰り返し。



  


2021年09月12日

釣りへの期待が絶望に変わる

予想外の増水に途方に暮れる釣り師が二人。



天候によるものではなく、ダムの放水によるものである。
犯人は東京電力リニューアブルパワー株式会社である。

因みに、このところ低迷を続けていた東京電力ホールディングス株式会社の株価は、先週後半に大きな動きが見られたようである。
市場関係者によると、自民党総裁選の某候補者による、当面は原発容認の発言に影響されたことになっているそうである。


落ちたら死ぬヨ。




そういうわけであるから、肝心の釣果はお察しのとおり散々である。

そんな一日。





これぐらいの魚体は釣り師に罪悪感を残す。






これでチャラ。
心理的には相殺である。







B場ちゃんの竿がしなったのは後にも先にも一度だけである。





この男は以前に、数を釣るよりも、困難な状況を克服して漸く一匹を釣った方が嬉しいと発言しているのである。
聞いちゃったかと言われれば確かに聞いちゃっているのである。
彼は自身の発言に責任を持つ男である。
最高に嬉しいと思わなければならない。
今こそがその時である。


まあいい。
焚火ぐらいは熾してあげるヨ。




渡らなければ帰れない。
歩いて渡れなければ泳いで渡ればよろしい。




釣友の一人にKONちゃんという男がいるが、このところは釣り場に立つ機会がないようである。
今頃は細い眼をさらに細くして孫と戯れているに違いない。
彼のような男にもこの流れを渡らせてあげたいと願う僕は心底優しい釣り師である。


まあまあ。
岩魚はあまり釣れなかったけれど、無券遊漁者が釣れたじゃないか。




温泉に寄って帰ろうや。