2024年05月26日
ハルゼミが鳴く 岩魚は時々上を向く
このところ、巷では「つばさの党が」注目を集めているようであるが、そのようなことは捨て置き、心穏やかに淡々と岩魚を釣っていた方が得策であると僕は思う。
日を追って残雪が縮む。

火を熾しつつ、地合いを計る。

この日の足取りは何故か軽い。
ハルゼミが鳴き始めたこの季節である。
時間が勿体ない。









来週の予報は雨らしい。
この際である、もう少し釣っておくか。




これぐらいが年相応の適度な運動と言ったところだろうか。
溪筋では介護制度が適用されるわけではない。
まあ、敢えて多くは語らないけどネ。
所詮、人目を避けて谷底を跋扈するしか能が無い岩魚釣り師である。井の中の蛙という諺があるけれど、湯舟に浸かるぐらいは大目に見ていただけるのではないだろうか。

釣り師が浮かべる笑顔というものは多種多様。
総じて、お世辞にも上品とは言えないものであるヨ。
・・・・・。

合掌。
日を追って残雪が縮む。
火を熾しつつ、地合いを計る。
この日の足取りは何故か軽い。
ハルゼミが鳴き始めたこの季節である。
時間が勿体ない。
来週の予報は雨らしい。
この際である、もう少し釣っておくか。
これぐらいが年相応の適度な運動と言ったところだろうか。
溪筋では介護制度が適用されるわけではない。
まあ、敢えて多くは語らないけどネ。
所詮、人目を避けて谷底を跋扈するしか能が無い岩魚釣り師である。井の中の蛙という諺があるけれど、湯舟に浸かるぐらいは大目に見ていただけるのではないだろうか。
釣り師が浮かべる笑顔というものは多種多様。
総じて、お世辞にも上品とは言えないものであるヨ。
・・・・・。
合掌。
2024年05月10日
季節感がおかしくなっちまった
前日の気温は30度越えにも拘わらず、この日の溪は上着を羽織りたくなる涼しさ。
加えて、上流から吹き下ろす風は渓魚を水底に貼りつける。
元々、渓魚たちに歓迎される立場でないことはわかっているけれど、寡黙に釣りをしなければならない局面というものが人生には何度もある。
そうは言っても、ここまで来てしまった手前、釣れませんでしたでは済まされないのが釣り師の立場。




上を見ていない渓魚を掛けるのは骨が折れる。



まあいい。
元来、釣り師というものは寡黙なのである。


どれ、帰る前に火でも焚いてやるか。

加えて、上流から吹き下ろす風は渓魚を水底に貼りつける。
元々、渓魚たちに歓迎される立場でないことはわかっているけれど、寡黙に釣りをしなければならない局面というものが人生には何度もある。
そうは言っても、ここまで来てしまった手前、釣れませんでしたでは済まされないのが釣り師の立場。
上を見ていない渓魚を掛けるのは骨が折れる。
まあいい。
元来、釣り師というものは寡黙なのである。
どれ、帰る前に火でも焚いてやるか。
2024年05月04日
釣り師たちの活性は高いけれど
GW後半。
早朝、B場ちゃんと入渓点でサオを継いでいると、下流から遡上してきたルアー師と鉢合わせる。

ルアー師曰く。
「後から付いて行ってもいいですか?」
この際である。僕はルアーフィッシングに疎いから、ルアー師の技術をつぶさに観察しておけば、何か釣り方のヒントが得られるのではないだろうか。
「それなら一緒にやろうや。」
実を言うと、僕は渓魚を掛けるところを見ず知らずの釣り師に見られるのはイヤなのである。

そのようなわけで、代わる代わる攻めてはみるものの、予想に反して水中の活性は低い。



大きな魚が動いていないから、このような小岩魚が出歩けるのであると僕は思う。
水中に限らず、人間社会でもそうではないだろうか。


ルアー師は瀬尻や流れの筋ではなく、深みや白泡を直撃する。
おそらく捕食以前に何かの神経を刺激されて、ついつい、釣られちゃうのではないだろうか。
そうそう粘るわけでもなく、3回か4回ぐらい打って出なければ次に行くのも僕のペースに近い。
時折岩魚を掛けているけれど、それでもやはり日柄としては渋いらしい。

昼近くになっても活性が高まらない。
甘い期待は外れた。
いないわけじゃないんだから、これぐらいがもっと揃ってほしかった。



さて、終盤。
ルアー師が滝下の深い釜から尺を超える大岩魚を釣り上げる。

苦労した甲斐があったネ。
因みに、B場ちゃんの釣果はゼロである。

たまにはこんな日があってもいいじゃないか。
いつも沢山釣っているんだから。

早朝、B場ちゃんと入渓点でサオを継いでいると、下流から遡上してきたルアー師と鉢合わせる。
ルアー師曰く。
「後から付いて行ってもいいですか?」
この際である。僕はルアーフィッシングに疎いから、ルアー師の技術をつぶさに観察しておけば、何か釣り方のヒントが得られるのではないだろうか。
「それなら一緒にやろうや。」
実を言うと、僕は渓魚を掛けるところを見ず知らずの釣り師に見られるのはイヤなのである。
そのようなわけで、代わる代わる攻めてはみるものの、予想に反して水中の活性は低い。
大きな魚が動いていないから、このような小岩魚が出歩けるのであると僕は思う。
水中に限らず、人間社会でもそうではないだろうか。
ルアー師は瀬尻や流れの筋ではなく、深みや白泡を直撃する。
おそらく捕食以前に何かの神経を刺激されて、ついつい、釣られちゃうのではないだろうか。
そうそう粘るわけでもなく、3回か4回ぐらい打って出なければ次に行くのも僕のペースに近い。
時折岩魚を掛けているけれど、それでもやはり日柄としては渋いらしい。
昼近くになっても活性が高まらない。
甘い期待は外れた。
いないわけじゃないんだから、これぐらいがもっと揃ってほしかった。
さて、終盤。
ルアー師が滝下の深い釜から尺を超える大岩魚を釣り上げる。
苦労した甲斐があったネ。
因みに、B場ちゃんの釣果はゼロである。
たまにはこんな日があってもいいじゃないか。
いつも沢山釣っているんだから。