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2024年06月02日

釣れなくなったら店仕舞い

安定しない天候。
その間隙に溪に降り立つ。










良くもなく、悪くもない活性。
要するに、大して釣れるわけではないけれど、そう釣れないわけでもないどっちつかずの日柄である。















さて、そうこうしているうちに、ひんやりとした風が吹き込むこと暫し。
溪に変化が表れる。








水中の気配が庶民の財布の紐のように頑なになり、稚魚や幼魚ばかりが釣れてくる。

いくら釣ってもキリがない。











釣った数なんて、いちいち数えているわけじゃないけれど、10匹以上これが続くと少し考えちゃう。

毛鉤には手間を掛けないタチにしても、何だか勿体なく思えてくる。


仕方がない。
お開きである。

現代社会における異次元の少子化対策はおそらく無駄だろうけれど、水中では人間が手を加えなくても次世代を担う渓魚たちが育っているのである。
その点に関しては、何よりであるがね。



さて。
次の画像は、先日にワケあって居合わせた特殊伐採の作業状況である。




これぐらいになると、極めて高い技術であり、素人が真似をしてはいけない領域である。

そうは言っても、ウソにもハチにも天然魚を釣ろうってんである。

せめて、根性ぐらいは見習うのが釣り師というものではないだろうか。









合掌。
  


2024年05月26日

ハルゼミが鳴く 岩魚は時々上を向く

このところ、巷では「つばさの党が」注目を集めているようであるが、そのようなことは捨て置き、心穏やかに淡々と岩魚を釣っていた方が得策であると僕は思う。


日を追って残雪が縮む。




火を熾しつつ、地合いを計る。




この日の足取りは何故か軽い。
ハルゼミが鳴き始めたこの季節である。
時間が勿体ない。





















来週の予報は雨らしい。
この際である、もう少し釣っておくか。










これぐらいが年相応の適度な運動と言ったところだろうか。

溪筋では介護制度が適用されるわけではない。
まあ、敢えて多くは語らないけどネ。


所詮、人目を避けて谷底を跋扈するしか能が無い岩魚釣り師である。井の中の蛙という諺があるけれど、湯舟に浸かるぐらいは大目に見ていただけるのではないだろうか。




釣り師が浮かべる笑顔というものは多種多様。
総じて、お世辞にも上品とは言えないものであるヨ。
・・・・・。



合掌。
  


2024年05月10日

季節感がおかしくなっちまった

前日の気温は30度越えにも拘わらず、この日の溪は上着を羽織りたくなる涼しさ。

加えて、上流から吹き下ろす風は渓魚を水底に貼りつける。

元々、渓魚たちに歓迎される立場でないことはわかっているけれど、寡黙に釣りをしなければならない局面というものが人生には何度もある。

そうは言っても、ここまで来てしまった手前、釣れませんでしたでは済まされないのが釣り師の立場。











上を見ていない渓魚を掛けるのは骨が折れる。









まあいい。
元来、釣り師というものは寡黙なのである。







どれ、帰る前に火でも焚いてやるか。



  


2024年05月04日

釣り師たちの活性は高いけれど

GW後半。
早朝、B場ちゃんと入渓点でサオを継いでいると、下流から遡上してきたルアー師と鉢合わせる。



ルアー師曰く。
「後から付いて行ってもいいですか?」

この際である。僕はルアーフィッシングに疎いから、ルアー師の技術をつぶさに観察しておけば、何か釣り方のヒントが得られるのではないだろうか。

「それなら一緒にやろうや。」

実を言うと、僕は渓魚を掛けるところを見ず知らずの釣り師に見られるのはイヤなのである。





そのようなわけで、代わる代わる攻めてはみるものの、予想に反して水中の活性は低い。








大きな魚が動いていないから、このような小岩魚が出歩けるのであると僕は思う。
水中に限らず、人間社会でもそうではないだろうか。








ルアー師は瀬尻や流れの筋ではなく、深みや白泡を直撃する。
おそらく捕食以前に何かの神経を刺激されて、ついつい、釣られちゃうのではないだろうか。

そうそう粘るわけでもなく、3回か4回ぐらい打って出なければ次に行くのも僕のペースに近い。
時折岩魚を掛けているけれど、それでもやはり日柄としては渋いらしい。




昼近くになっても活性が高まらない。
甘い期待は外れた。
いないわけじゃないんだから、これぐらいがもっと揃ってほしかった。









さて、終盤。
ルアー師が滝下の深い釜から尺を超える大岩魚を釣り上げる。



苦労した甲斐があったネ。



因みに、B場ちゃんの釣果はゼロである。



たまにはこんな日があってもいいじゃないか。
いつも沢山釣っているんだから。




  


2024年04月29日

初老の釣り師たちが釣りに行く

新緑の頃。

還暦を間近に控えた三人の釣り師が覚束ない足取りで入渓する。

高齢化に抗えず、次々と脱落していった釣友たちを横目に、どうにか溪に降り立つことが出来たのがこの面子なのである。





溪の水面に山桜の花びらが浮かぶ。

岩魚たちの魚体は回復に向かっているようだけれど、そこはかとなく水中から感じられる違和感。

我々は歓迎されていないようであるが。

まあいい。















型はさておき、B場ちゃんの釣果は底固い。







ASHIちゃんはこの日、ハーディーのスマグラーにエーベルの限定カラーを携えて登場したわけであるが。



そんなASHIちゃんがB場ちゃんの指導を受ける。
要するに、先輩と後輩の立場が逆転する。



サオがしなってよかったネ。



これぐらいの型が揃ってくれると釣り甲斐が出て来るのであるが。













大半はこのような小岩魚。
辛抱強く掛け続けなくてはならないのである。









ヒキガエルの繁殖期。




この時期で既に水温は11℃。

今年も季節が早い。
恐らく活性のピークはほんの一瞬。


落ちたら痛いヨ。





帰りに温泉に寄ろう。









  


2024年04月21日

わかっちゃいたけど 食いが浅い

この溪はB場ちゃんが殊更に執着する釣り場である。
けれど残念なことに、この日の彼は仕事らしい。
そのようなわけで、僕は一人で入渓するのである。

一冬越した溪は所々で形が変わり、渓魚の付き場も少しずつ変わる。

この時期にありがちな食いの浅さ。
しかも型はいまいちである。












僕は同じところで粘る釣りは嫌いなのであるが、そうしなければ釣れないのだから仕方がない。












そんな時、ゆらりと出て来た大岩魚が毛鉤を食った。
目測だけれど、控えめにみても余裕の尺上。
結論から言うと合わせ切れである。
キリキリ舞いをしながら沈んで行った大岩魚。
いずれ、B場ちゃんが釣り上げるような予感。
敢えて多くは語るまい。






多少なりとも型が出たのは昼過ぎあたり。













年を追うごとに足腰の衰えを思い知らされる。

けっこう疲れた。









帰りの道中もあることだし、今回はこれぐらいで勘弁しておいてやる。





  


2023年11月05日

岩魚釣り師にはマスは釣れなかった

禁漁から一カ月と少し。
今年も某本流筋では週末ごとにマスが放流されているそうである。



それなら沈めて引いてみようじゃないかと、B場ちゃんと連れ立って出向いて来たわけである。
因みにKONちゃんも誘ったのだけれど、腰の具合が思わしくなく、釣りどころではなさそうである。
孫と戯れているに違いない。


このところ、川に刺さるという言い回しはあまり聞かなくなった。
この男は銜え煙草で川に刺さる。




肝心の釣りはどうか。
大きな鯉がジャボッと跳ねたけれど、放流マスのアタリはゼロである。
はっきり言って掠りもしない。

小さなオイカワが一匹釣れただけである。



7番ロッドが泣きそうであるね。


今度、B場ちゃんに頼んでハゼを釣りに連れて行ってもらおうかね。



  


2023年09月26日

結局釣りに行っちゃった

このところ、いくらか朝夕は涼しくなり、寝苦しさが和らいできたけれど、猛暑の日々を生き抜いた疲れの蓄積が軽減されたわけではなさそうである。

それでも釣りに出掛けて行くのは、禁漁前に釣っておかないと、後悔しそうな危機感の表れとしか言いようがない。

意識は朦朧、足取りはよろよろ。
無理が効く歳ではないのであるが、まあ仕方がない。









多少なりとも活性は回復しつつあるようだけれど、時期が時期。
どうやっても型には恵まれない。









お腹に卵や白子が蓄えられている気配ではあるが、ペアリングを見掛けられなかったのが残念である。
やはり猛暑の影響だろうか。








まあいい。
今年はこれぐらいで勘弁しておいてやる。


気付かぬうちに、開高センセイより長生きしちゃった。
などと思いを馳せる。




日が短くなったけれど、僕はイブニングライズの釣りには不適格である。
さっさと帰って温泉に浸かろうかね。









  


2023年09月18日

秋の荒食いなんて昔の話

禁漁間近にも拘わらず連日の暑さ。
それでも釣りに出掛けて行く釣り師が二人。




KONちゃんにも声を掛けたわけであるが、孫と遊びに出掛けるそうである。
まあいい。
好きにすればよろしい。

水温は高止まり。
一日中歩き続けて釣果は各々一匹ずつ。

恐らく水中の住人たちの夏の疲れの蓄積は最高潮に違いない。




真夏からこの方、初めて入渓した釣り師は、ここは魚がいない溪だと決めつけるに違いない。
寧ろその方が僕たちにとっては好都合である。



今回は渓魚の写真はない。
一匹だけで終わるなんて思わなかったわけで、そのあたりから見通しが甘かったと言わざるを得ない。

煙草を喫い過ぎちゃった。




疲れたネ。



  


2023年08月29日

朦朧とした意識で岩魚を釣る

連日、切れ目なく灼熱に焼かれ続けている我が国の民は息も絶え絶えである。
ハワイでは大規模な火災、福島県では汚染水の海洋放出強行。
要するに滅茶苦茶である。

アウトドアレジャーというものは、他人の掌の上で都合よく転がされていると思わなければならない。

さらに言うと、僕はサンマが好きなのであるが、旨いサンマで一杯やることはもう期待できそうにない。
サンマは幻の魚である。

一方、氷河期を生き抜いた岩魚という魚は僕にとってまだ身近な存在である。
けれど、時期が時期である。
全く釣れないこともないだろうけれど、そう釣れるわけでもないだろうというどっちつかずの釣り師の立場。
はっきり言えば、釣りぐらいしか行く所が無いのである。

道中の林道。
ふてぶてしく居座るサルの群れを発見。
辺りは糞だらけである。
はっきり言って汚らしい。
此奴等に比べれば、ツキノワグマの方がまだ品が良い。
「おい、お前ら。道をあけろ。俺、先急いでんだ。」
サルには覇気がよく効く。

前置きが長くなったけれど。
案の定、釣りにくいったらありゃしない。






試行錯誤とか、トライアンドエラーと言えば聞こえはいいけれど。
要するに、沈めたり、しゃくったり。
確信が持てない七転八倒を繰り広げただけである。






泣き尺である。



もう一本。




やはり尺上は出ないネ。








これが釣れ始めちゃったらキリが無い。
お開きである。



これぐらいで勘弁してやるか。
実をいうと、意識が朦朧とする。


藪に蹲っていた二ホンジカが僕に気付く。
写真を撮る間もなく跳ねて行ってしまった。


帰って一杯やろう。