2021年09月25日
木っ端岩魚たちは自然繁殖の証
禁漁前。
悶々と思い悩んだ挙句の入渓。

何をどうやっても流れの本筋からは出て来ない。
致し方なく、付き場との距離を詰めて、泡の立つポケットを執念深く叩き続ける釣りである。
実を言うと、僕にとっては精神的苦痛を伴う。
因みに、この類の釣りを好むのはB場ちゃんである。



苦心して掛けてはみるものの保育園のような有様である。
僕は子供が嫌いなわけではないけれど保育士ではない。
そうそう尺上が釣れるとは思っていないけれど、こう小魚ばかりでも参っちゃうのである。
今は釣れてくれなくても構わないから、再来年あたりに釣れてほしいと思うところであるが、明るい未来を担う次世代の渓魚たちは逞しい。
その時になって僕が釣り場に立てる保証はない。



因みに、このところはヒキガエルと遭遇する確率が高いけれど、ツキノワグマとはご無沙汰である。

脱渓地点の尾根。
人目につかない急斜面の残置ロープはB場ちゃんの仕業に違いない。

釣果には恵まれなかったけれど、釣友というものは得難い。
稲刈りは終わっただろうか。

悶々と思い悩んだ挙句の入渓。
何をどうやっても流れの本筋からは出て来ない。
致し方なく、付き場との距離を詰めて、泡の立つポケットを執念深く叩き続ける釣りである。
実を言うと、僕にとっては精神的苦痛を伴う。
因みに、この類の釣りを好むのはB場ちゃんである。
苦心して掛けてはみるものの保育園のような有様である。
僕は子供が嫌いなわけではないけれど保育士ではない。
そうそう尺上が釣れるとは思っていないけれど、こう小魚ばかりでも参っちゃうのである。
今は釣れてくれなくても構わないから、再来年あたりに釣れてほしいと思うところであるが、明るい未来を担う次世代の渓魚たちは逞しい。
その時になって僕が釣り場に立てる保証はない。
因みに、このところはヒキガエルと遭遇する確率が高いけれど、ツキノワグマとはご無沙汰である。
脱渓地点の尾根。
人目につかない急斜面の残置ロープはB場ちゃんの仕業に違いない。
釣果には恵まれなかったけれど、釣友というものは得難い。
稲刈りは終わっただろうか。