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2023年08月13日

台風が来る前に釣っちまえ。

広島の日、長崎の日が過ぎ、間もなく敗戦の日を迎える。
終わりの見えない猛暑に加え、台風を二つも相手にしなければならない。

我が祖国は連日の如く被災し続けているわけで、軍事費拡大やマイナ保険証などに精を出しているヒマなどないのである。

迎え盆の前日。因みに迎え盆はkaz13氏の誕生日、しかも還暦らしい。
下界の熱気が谷底にまで流れ込んで来そうで、釣り師としては心中穏やかではない。

全く釣れないこともないと思うけれど、過度な期待はせず、どこか投げやりな姿勢で入渓せざるを得ない。


付き場は徹底して無反応。
そこで、わざと釣れそうにないところにプレゼンテーションをすると何故か岩魚が釣れてくる。








これまで経験したことのない逆張りの釣りである。

スレ掛かりも含め、偶然の産物を拾い歩く心境。










予想に反して泣き尺。







ネチネチと釣果を重ねるB場ちゃん。
この日のクセを早々と読み取ったに違いない。








あまり細かい事を言うのはどうかと思うけれど、もう少し背筋を伸ばして取り込めないものだろうか。



まあ、単純に絵面の問題であるが、折角の良型である。





釣り終えてみれば釣果はきれいに二等分。
口で言うのは簡単だけれど、それができる相方はこの男ぐらいではないだろうか。


沢筋から離れる刹那。
息苦しい暑さの予感。




辛い夏はまだ続く。


  


2023年08月07日

スレでもいいから掛けてやる

沢靴越しに伝わってくる生温い水温。
はっきり言って気色が悪い。

渓魚たちにとっては命に係わる危険な暑さである。

水面下においても不要不急の外出は極力控えるべきであるが、時折毛鉤に掛かるのは堪え切れずにのこのこと出歩く岩魚たちである。











大半は口の外側やヒレなど、要するにスレ掛かりである。
釈然としないけれど、食わないものは仕方がない。








出掛けに師匠が持たせてくれた温泉卵。




これが釣れ始めると釣っても釣ってもキリがない。
お開きである。






疲れるとわかっていて来るのは億劫だけれど、暑いとわかっていて帰るのはもっと億劫である。






立ち寄った温泉宿は留守である。
勝手に上がり込んで露天風呂を独り占め。



  


2023年07月31日

真夏の岩魚は釣りにくい

過去に経験したことのない連日の暑さ。
先が見えない命懸けの戦いであるが、日々熱中症で搬送されたり死亡している顔ぶれを見るにつけ、いつの時代でも真先に犠牲になるのは富裕層ではなく、僕も含めた社会的弱者である。

そもそもコトの発端は産業革命である。
7000万年をかけて緩やかに進化してきた人類の暮らしを、たった200年で変えちまったわけである。
生成AIはもとより、時代の進化はさらに加速するだろうけれど、人間そのものが進化するわけではない。
いずれにせよ、僕は時代の恩恵を享受する側ではなく、ツケを払わされる側に違いない。


そんなわけで。
猛暑から追われ、沢筋まで避難してきたわけであるが、道中の林道で伸びていた蛇を小枝と間違えて単車で轢いちゃったことについては釣り師として不徳の致すところである。


さて。
岩魚たちが付きやすい一等地はがら空きである。
どっちつかずの小場所、波や白泡に紛れ込んでおり、毛鉤がすぐに沈んで見えなくなるような瀬頭を打たなければならない。










要するに、ついつい反射食いしちゃった不運な岩魚を拾い歩くセコい釣りである。
因みに、このような釣り方が得意なのはB場ちゃんである。
罪深い釣友の面影が朦朧とする意識の片隅を掠めていく。








釣れてくるのはどれも中途半端な魚体で釣り応えに欠けるけれど、水面下では将来を担う分厚い中間層が控えているわけである。
ここは長い目で見るべき局面であると、自分に対してささやかな言い訳をする。






火を熾しつつ、サッポロ一番みそラーメン。




やっぱり疲れた。
ここが引き際。




帰って寝るか。







  


2023年07月24日

猛暑の日にも岩魚釣り

鬱陶しい梅雨が明けてはみたものの、これから命懸けで立ち向わざるを得ない連日の猛暑を思うにつけ、うつ病にでもなっちゃいそうである。

釣果はさておき、陽当りの悪い谷底へ逃げ込みたくなるのが岩魚釣り師の性分である。

誰にも会うことのない林道を単車に乗って転げ落ちていく道中の堕落感。
そのあたりが日頃のストレスや、釣る前から既に見えている貧果を相殺するのではないだろうか。


適正水温と言い難いことは重々わかっちゃいるけれど、それを釣れない理由にするのは僕としてはイヤである。

そうは言っても、熱中症気味の岩魚たちは頑なに水底に張り付いていて、これを引き剥がすのは容易ではない。

致し方なく毛鉤を白泡に絡ませつつ、水面に向けて覇王色の覇気を放つ。














釣っている側がこんなことを言うのもどうかと思うけれど、何だか疲れちゃった。








今日はこれぐらいで勘弁しておいてやるか。






明るいうちに一風呂浴びて一杯やろう。





  


2023年07月18日

老人会の岩魚釣り

北関東では39度を超える酷暑。
僕が暮らす北信濃の山深い沢筋でも不快な蒸し暑さがまとわりつく。

この日の面子は毎度お馴染みのB場ちゃんに加え、弊ブログ初登場のH田さんとASHIちゃん。

揃いも揃って身体機能が衰えた高齢者ゆえ、颯爽と沢筋に降り立ったとは言い難く、這う這うの体で谷底まで転がり落ちてきたというのが適切である。



敢えて口には出さないけれど、我が釣友たちに限っては、山岳渓流においては要支援2とか要介護3などの介護認定がされて然るべきというのが僕の見立てなのである。
我が身も含めて、様々な事情を抱えた老々介護の如き釣行の一日が始まる。

せめて我々としては、入渓前に安全ミーティングを実施し、危険予知活動を経て、各々ゼロ災に向けた意識を高めた上でこの場に立っているのであるが、そのようなことを誰も知る由も無い。

さて。
今回の釣行にあたり、H田さんを数年振りの釣行におびき出すことに成功したわけであるが、彼が長年にわたり蓄え続けた莫大なサオの中の一本を、どうにかしてしならせようというところが肝なのである。
はっきり言って、フライロッドというものは枕元で愛でるものではなく、渓魚を掛けるための道具であることを残された僅かな時間の中で実践すべく、互いに努力しなければならない。
要するにそういうことで、他人事で済ませるわけにはいかないのである。


そのような甲斐あって、英国製のハーディーのグラスロッドを数年振りにしならせたのは泣き尺岩魚。
見ている方がハラハラしちゃった。




一方、昨年から後輩であるB場ちゃんの手解きを受け、飛躍的に釣果が向上しつつあるASHIちゃん。



RL・ウィンストンのロッドブランクはきれいな緑色であるが、サオというものは飾り物ではなくしならせるためにある。
よそ見していなければもっと釣れたネ。




さて。
連日の暑さにあてられて意識が朦朧としている僕は、彼らが毛鉤を取り替えたり、ライントラブルを直している合間に僅かばかりの岩魚を釣る。










すでに梅雨明けの出方である。
釣れない季節が始まったネ。



今回に限ったことではないけれど、無事に帰ることが何より肝心。
あまり欲張らずに、早めに上がって温泉で汗を長そう。




  


2023年06月18日

ハルゼミの季節

この溪の頭上は樹木のトンネル。
木漏れ日が水面でキラキラする。




過去の成功体験大事なことだと思うがネから抜け出せない僕にとって何より肝心なことは其処彼処で鳴くハルゼミ。

どれどれ。





散々毛鉤の周りを泳ぎ回っておきながら、結局は帰っていく岩魚がやけに目に付く。






まだ暑さに身体が慣れていない我が国の民は、この日も熱中症対策を怠らずに生き抜かざるを得ないようであるが、僕が佇む溪の空気はやけに爽やかである。

けれど、この心地良さは渓魚たちにとって頗る居心地が悪く、僕には不快なこと極まりない湿った空気感の日柄にこそ弾けたくなっちゃうのが彼等の生態系らしいのである。

要するに、カップ麵ではなく、素麺が食べたくなる陽気でなければいけないのである。














そうは言っても、ここまで来てしまったものは今更ながら仕方がない。








まあ。今回はこれぐらいで勘弁してやるか。






いずれ、フタスジモンカゲロウが湧くだろう。



  


2023年06月04日

台風通過翌日の溪で

太平洋側に線状降水帯を発生させた台風2号。
被災された地域におかれては、心よりお見舞いを申し上げると共に、関係各所の速やかな支援を願うところである。

全ての行政がそうだとは言わないけれど、被災地に住んでいると、我が地域の地方自治体は典型的な検討使であり、時間軸を巧みに使い、物事をうやむやにすることにかけてはプロであることがよくわかっちゃうのである。

因みにであるが、国政では暑い夏がさらに暑くなりそうである。
与野党ともに、解散総選挙が既定路線との認識に基づき、そのあたりの準備を抜かりなく始めたようである。

さて、長雨の翌朝の溪。
けっこうな増水。




渡渉には骨が折れるけれど、骨折するわけではなく、要するに死ぬほどのこともなさそうである。

そもそも釣りに出掛けて遭難したり死んだりするようでは釣り師失格である。




大して釣れないまでも、全く釣れないこともないだろうと控えめな読みの裏で、ささ濁りの増水で大釣りした過去の経験にしがみつきたくなるのも釣り師の浅ましさではないだろうか。

本音を言うと、釣果はさておき、ハルゼミが食われ初めるこの時期を逃したくないのである。










犯人は木々の枝を揺らす風。

これが吹くと渓魚たちが怯えて底に貼りつくという説を改めて実感する。

要するに、釣りにくいと言いたいのであるが、わざわざ入渓しておいて一匹も釣れませんでしたでは済まされないのが釣り師の責任というものである。









逆境の中で魚を掛けるのはしんどい。








冷たい風は止まない。








体が冷えちまった。
早く湯舟に浸かりたい。






後から聞く所によると、別の溪に出向いたB場ちゃんとA原ちゃんは、九寸越を何本か釣ったらしい。



  


2023年05月31日

尺岩魚を釣る男

毎年のことながら初入渓の時期には僅かな残雪。



ハルゼミが鳴き、最盛期とはいかないまでも、それなりに期待が持てそうな日柄。




ところが釣り始めてみると、煩わしいことに次々と小岩魚たちの猛攻を受ける。











はっきり言ってキリがない。

そうは言っても、現在我が国では少子高齢化が深刻化している中において、この溪の水面下では異次元の少子化対策が効果を発揮し、次世代を担う様々な若い力が漲っているらしいのである。


さて、問題はこの男。
件のB場ちゃんである。



入渓までの道中で起きた単車のトラブルが解決したにも拘わらず、この日はどこかメンタル面に安定感を欠く。

そのように覚束ない釣りをしておきながら、忘れた頃に掛けるのが良型ばかりである。






結局は尺上。



いずれ、この男には釣り師としての慎みというものを説いてやらねばならない。



さて、多少なりとも型が揃ってはきたけれど。












結果的に僕には尺岩魚が釣れなかったわけである。

まあいい、そこも含めて釣りというものはそういうものである。


何はともあれ無事でなにより。



また一緒にやろうや。





  


2023年05月23日

泣き尺一本 尺二本

山つつじが散り始めた沢筋。
時折ハルゼミの鳴き声が混じる。

僕にとっては足で稼ぐ季節。
瀬尻や流心で一投目に掛けるべきで、三回以上のキャストは時間の無駄である。
雑な釣りと思われるかもしれないけれど、スピード感を伴う手返しが物を言う。




などと、そのように釣れれば越したことはないのであるが、どこか歯切れの悪い出方が苦になって仕方がないのが実際のところである。

釣れないわけではないけれど、要するにそういうことなのである。
















少しばかり掛けにくいけれど、掛けたときの引きはけっこう強い。















泣き尺。




尺上。



もう一本。




釣果というものは様々な状況を経た結果論であり、手放しで一喜一憂してはいけないのが釣り師としての立場というものである。




察するところ、この沢筋では既に活性が下り坂に差し掛かっているに違いない。

今後に向け、切れ目のない対策を速やかに講じなければならない。





  


2023年05月08日

紆余曲折を経て尺岩魚

釣れるべきところで釣れなくて、その理由が見当たらない。

釣り始めからこれが続くと小心者の釣り師にはしんどい。




本来であれば、流心や瀬尻に付いていて、一投目に気持ちよく出ることになっていて、そうでなければいけないのである。

午前の釣りを終え、B場ちゃんの釣果は2匹、僕の釣果はゼロである。




意欲が削がれ、投げやりになり、早く帰りたいとさえ思えてくる。




そんな時に限ってB場ちゃんのサオが大きくしなる。
浅瀬に寄せて取ってみると尺上である。





この男には僕の目の前で尺岩魚を釣り上げる癖が染み付いていると言わざるを得ない。


相変わらず僕の釣果はゼロである。
まあいい、人生にはそんな時もある。
などと厭々ながら遡行していると、これまで釣れなかった理由が一目瞭然になる。

帰り支度をしていた餌師のおっさんを発見。
けっこうな年期を入れたに違いないと察せられる年配の風情。
川虫を捕まえてやっていたそうで、なかなかの釣果である。
聞けば、群馬県から来たそうであるが、わざわざこんな遠くまで出掛けて来なくても、群馬県にはもっと良い釣り場がいくらでもあるのではないだろうか。
そこに関しては率直に進言を申し上げる。

さて、おっさんが手を付けなかった上流はどうであるか。
ほんの小一時間の釣りながら、状況が打って変わる。

釣りってのはこうでなきゃいけない。














最終的に釣れちゃったのがこの尺上。




釣ろうと思って釣ったわけではないだけに、ここは釣り師としての責任を重く受け止めざるを得ない。

コトの顛末はせいぜいそんなところである。


夕方から雨の予報。
降り出す前に帰ろう。