2018年02月22日
釣り師が遭難した時のための釣行計画書
前に遭難した時の捜索費用の保険について書いたので、今回は釣行計画書について。
このところ、山岳登山の分野では、登山計画書の作成は常識になっている。
まだまだ内容が不十分なものや、未提出も多いそうではあるが。
さて、渓流釣り師はどうであるか。
「うちのダンナが釣りに行ったまま帰って来ないんです。探してください。」
「はいはい。どちらまで行かれたんでしょうか?」
「さぁ、どこか知りませんけどね。その辺の川じゃないですかね。」
さてさて、どう探したらいいのだろうか。
「旦那サン、その辺で不倫でもされておられるんじゃないですかね。そのうち帰ってきますよ。」
などと、お答え申し上げたくなっちゃうのが人情ではないだろうか。

察するところ、遭難した渓流釣り師というものは、なかなか見つけにくいと思うのである。
溪で釣りを終えて、「誰にも会わなくて良かった。」と思うのが釣り師の心情。
わざわざ満員御礼の溪を選んで出掛ける釣り師がいるだろうか。
始終、人が行き交う登山道を、朗らかに挨拶を交わしつつ歩く健全な登山者とは根本的に違う。
僕の場合は、ごく簡単なものを書いて、家に置いてから出掛ける。
難度の高い溪の場合は、信頼できる(溪に精通し、口の堅い)人にも預かっていただく。
ご迷惑は重々承知ではあるけれど。

さしあたって、あまり難しく考えなくても、河川名や釣りをする区間のスケッチなど、簡単なメモ書き程度でも良いのではないかと思う。
万一の時に、これがあると無いとでは、初期捜索の効率がずいぶん違うのではないかと想像する。
僕は遭難した経験が無いから、あまり偉そうなことは言えないけれど。
そうは言っても、溪の地理的なことは、なるべく書面に残したくないのが釣り師の本音ではないだろうか。
あまり考えたくないけれど、万一遭難して捜索が実施されることになると、大勢の警察官や救助隊員が入溪することになり、大切な釣り場が公に知られることになってしまう。
要するに、せっかくの隠し沢が台無しになる。
将来的な損失は計り知れない。
まずは御身大切に。
とりわけ釣り師の遭難事故に、世間様は冷ややかであると思えるのは僕だけだろうか。
表向きは別として。
このところ、山岳登山の分野では、登山計画書の作成は常識になっている。
まだまだ内容が不十分なものや、未提出も多いそうではあるが。
さて、渓流釣り師はどうであるか。
「うちのダンナが釣りに行ったまま帰って来ないんです。探してください。」
「はいはい。どちらまで行かれたんでしょうか?」
「さぁ、どこか知りませんけどね。その辺の川じゃないですかね。」
さてさて、どう探したらいいのだろうか。
「旦那サン、その辺で不倫でもされておられるんじゃないですかね。そのうち帰ってきますよ。」
などと、お答え申し上げたくなっちゃうのが人情ではないだろうか。
察するところ、遭難した渓流釣り師というものは、なかなか見つけにくいと思うのである。
溪で釣りを終えて、「誰にも会わなくて良かった。」と思うのが釣り師の心情。
わざわざ満員御礼の溪を選んで出掛ける釣り師がいるだろうか。
始終、人が行き交う登山道を、朗らかに挨拶を交わしつつ歩く健全な登山者とは根本的に違う。
僕の場合は、ごく簡単なものを書いて、家に置いてから出掛ける。
難度の高い溪の場合は、信頼できる(溪に精通し、口の堅い)人にも預かっていただく。
ご迷惑は重々承知ではあるけれど。
さしあたって、あまり難しく考えなくても、河川名や釣りをする区間のスケッチなど、簡単なメモ書き程度でも良いのではないかと思う。
万一の時に、これがあると無いとでは、初期捜索の効率がずいぶん違うのではないかと想像する。
僕は遭難した経験が無いから、あまり偉そうなことは言えないけれど。
そうは言っても、溪の地理的なことは、なるべく書面に残したくないのが釣り師の本音ではないだろうか。
あまり考えたくないけれど、万一遭難して捜索が実施されることになると、大勢の警察官や救助隊員が入溪することになり、大切な釣り場が公に知られることになってしまう。
要するに、せっかくの隠し沢が台無しになる。
将来的な損失は計り知れない。
まずは御身大切に。
とりわけ釣り師の遭難事故に、世間様は冷ややかであると思えるのは僕だけだろうか。
表向きは別として。