2018年08月16日
時々見かけるエルクヘアカディス依存症
今年のお盆は実家に顔を出したり、親戚の墓に出向いたりした他は殆ど出掛けずに、暑さと人混みを避けて家に引き籠って、外国に単身赴任している先達からのメッセージに釣友たちの近況を返信したり、明るいうちからお酒を飲んだりせず、お昼になるとそうめんを茹でてミョウガを薬味にして食べたり、老眼鏡をかけて新聞や本に目を通したり、毛鉤を巻いて補充したりしてのらりくらりと過ごした。
さて。
山岳渓流では、エルクヘアカディスは泣く子も黙るドライフライである。
好みが分かれるところかと思うけれど、使い勝手の良さと、条件が揃ったときの効き目を思えば渓魚の側にも高いニーズがあるのだと思う。

僕自身、これだけで不自由なく一日を通せることもある。
お勧めはしないけれど、軸の太いセイゴ鉤などに巻いておくと、場を荒らさないように素早く魚を引き抜くときに具合が良い。
あまりきれいに仕上げずに、わざと崩した方が良かったりする。
そう言いつつ、久しぶりに教科書どおりに巻いてみたのだけれど、長年の自己流が染みついて、お世辞にもきれいな仕上がりとは言えない。

僕の周りにも、エルクヘアカディス依存症と言えばいいのだろうか、これのサイズと色を変えて持っていれば、他のパターンは要らないと言い切る釣り師が何人もいる。
横目でそっとフライボックスを覗きこんでみると、確かにエルクヘアカディスしか入っていなくて、厚く巻いたり、薄く巻いたり、ウィング材の上に蛍光色の目印を取り付けたりしたのが大小含めて収まっているのはけっこう几帳面な向きで、同じようなのがいくつか入ってはいても、フライボックスの中がスカスカしているような、行けば何とかなる的な楽観主義者もいる。
過去の成功体験に縋りたくなる毛鉤釣り師の露骨な心情が見てとれる。
フライパターンとしては簡素な部類に入るけれど、現場の経験を込めて足したり引いたり、色々と工夫をしやすいのだと思う。
それはそれとして、僕はこの秋にペールモーニングダン以外は使ってはならない釣りの一日を、厳しくも温情豊かな師に義務付けられている。
念願の雨が降り始めた。
これから自己流のイマージャーを巻くのだけれど、恥ずかしくて人様にお見せすることはとてもできない。

さて。
山岳渓流では、エルクヘアカディスは泣く子も黙るドライフライである。
好みが分かれるところかと思うけれど、使い勝手の良さと、条件が揃ったときの効き目を思えば渓魚の側にも高いニーズがあるのだと思う。
僕自身、これだけで不自由なく一日を通せることもある。
お勧めはしないけれど、軸の太いセイゴ鉤などに巻いておくと、場を荒らさないように素早く魚を引き抜くときに具合が良い。
あまりきれいに仕上げずに、わざと崩した方が良かったりする。
そう言いつつ、久しぶりに教科書どおりに巻いてみたのだけれど、長年の自己流が染みついて、お世辞にもきれいな仕上がりとは言えない。
僕の周りにも、エルクヘアカディス依存症と言えばいいのだろうか、これのサイズと色を変えて持っていれば、他のパターンは要らないと言い切る釣り師が何人もいる。
横目でそっとフライボックスを覗きこんでみると、確かにエルクヘアカディスしか入っていなくて、厚く巻いたり、薄く巻いたり、ウィング材の上に蛍光色の目印を取り付けたりしたのが大小含めて収まっているのはけっこう几帳面な向きで、同じようなのがいくつか入ってはいても、フライボックスの中がスカスカしているような、行けば何とかなる的な楽観主義者もいる。
過去の成功体験に縋りたくなる毛鉤釣り師の露骨な心情が見てとれる。
フライパターンとしては簡素な部類に入るけれど、現場の経験を込めて足したり引いたり、色々と工夫をしやすいのだと思う。
それはそれとして、僕はこの秋にペールモーニングダン以外は使ってはならない釣りの一日を、厳しくも温情豊かな師に義務付けられている。
念願の雨が降り始めた。
これから自己流のイマージャーを巻くのだけれど、恥ずかしくて人様にお見せすることはとてもできない。