ナチュログ管理画面 フライフィッシング  フライフィッシング 北陸・甲信越 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報

2022年07月20日

泣く子も黙る源流釣行

野を越え山を越え、一体何をするのかと言えばただの釣りである。

源流域では釣りに費やす時間より歩き続ける時間の方が長い。
そこまでしなければ釣れないのかと言われると返す言葉がない。

本末転倒な釣りであるが、源流志向の釣り師が納得できる最終形態のうちの一つでもあると思う。




釣りへの期待に悶え苦しむ道中は長くて辛い。
それがテン場に着いた瞬間に肉体的苦痛からの開放感と既に釣果が約束されている安心感で身も心も軽くなる。
釣りに来ておきながら、釣りなんかどうでもよくなっちゃう。








釣り自体は難しく考える必要は全くない。
釣果を決定する権限は釣り師の側にある。
釣りたいだけ釣ればいいのであって、帳尻を合わせることはいつでも出来る。

ただ、物事には例外が付き物で、稀に渓魚も人を選ぶようである。









僕のモットーは「死して屍拾う者無し」であるが、相手次第では「旅は道連れ世は情け」にも柔軟に対応しちゃうのである。
今回の釣り旅は僕にしては珍しく相方がいて、咥え煙草のB場ちゃんである。



この男については多くを語る必要はない。
下戸であるがね。









単独行では考えなくてもいいけれど、源流行の相方は慎重に選任しなければならない。
テン場での夜も含めると相当に長い時間を共に過ごすことになるわけである。
下戸でありながらほんの撫でる程度に芋焼酎に付き合わせてしまったけれど、そこを補って余りある信頼関係を構築する能力をこの男は携えている。
しかも、相手はこの僕である。
なかなか出来ることじゃないと思うよ。




この際だから、僕としてはどこまでが副流煙でどこからが焚き火の煙なのかはっきりさせておきたいところだけれど、まあいい。
煙草ぐらい、心おきなく喫うがいい。







さて。
この地で空白の歴史を紡ぎ続けてきた唯一の釣り師が僕である。
そんなわけで、万物の声とでも言うのだろうか、時折その類の何かが聞こえてくることがあって、過去にこの地で繰り広げられた大職漁時代の実態が見えてきちゃったのである。

古の職漁師諸氏におかれては、伝統毛鉤による卓越した釣技を駆使し、竿一本で渓谷を制覇したように思われがちであるが、彼等は本職である。
漁獲がなければ話にならない。

渓魚がとびきり高値で売れた時代である。
置き鉤、夜突き、追い込み、その他諸々、漁獲のためにはあらゆる手段を尽くしたに違いないと僕は思う。

漁場の確保や独占は利権に直結する死活問題である。
縄張り意識は現代の釣り師と比べ物になるわけがなく、誰も見ていない山中でのことであるから、ちょっとしたせめぎ合いが殺し合いに発展したとしても不思議ではない。

実名を挙げることは差し控えるけれど、わざと川の中を歩いて他人の漁獲を低く押さえ込むなど日常茶飯事であったに違いない。

職漁師のすなどりに卑怯なんて言葉は無い。
結果のみが重要なのである。

各地には、後世に名を残し、没後も崇められている高名な職漁師が少なくないようであるが、実のところは山賊と紙一重であったのではないかというのが僕の個人的な所見である。

一般的に、自己中心的な人間というものは正論を言われると怒るものである。
加えて、厳格な上下関係を作りがちであるから、次世代が負の側面を語り継ぐことは許されなかったに違いない。

ごく稀にではあるが、近年においても自然保護を逆手に取った反社会的勢力に類似する存在を輩出する土壌であった可能性も排除できないのではないだろうか。











いずれにせよ、幾多の紆余曲折を経て職漁師たちは絶滅した。

夏草や兵どもが夢の跡。
全くだ。松尾芭蕉を褒めてやる。

この渓が変わってしまうことはないだろうけれど、源流釣り師の現役寿命は短い。

次世代には歴史の語り手は現れそうにない。
今さら現れても僕が困る。
我儘を言うようだけれど、こんな所までやってきて人様に釣り姿を見られるのはイヤである。






この渓で一番自由な存在。
この地で僕が自問自答を続けてきた主題である。
我ここに至る・・・・・・。

などと、いちいち能書きを並べ立てているような暇があったら黙々と釣っていた方がよろしい。
この釣りは忙しい。
ほんの数秒が一匹の渓魚に変わる。
時間が勿体ない。



まあ、毎度のことながら、五体満足で生還することが出来て何よりであるが。