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2022年08月11日

真夏の渓 釣り師の背中はモノを言う

八月や 六日 九日 十五日
敗戦の日が近い。

不戦の誓いを守るが如く渓魚たちは沈黙する。
国破れ 日輪焦土を灼きつける。

連日の容赦ない酷暑。
我が祖国では津々浦々で釣り師たちが路頭に迷う季節である。


この日、遠く鈴鹿の地から客人を迎える。
Kaz13さんである。
https://kaz13amago.naturum.ne.jp/



聞けば、日々釣り三昧に明け暮れており、しかも不漁知らず。
一回の釣行で渓魚を何十匹も釣りまくるという壮絶な隠居生活を実施中。

そのような御仁をだね。僕のような男が釣り場の案内をすることになっちゃったわけである。
しかもこの時期であるよ。
責任重大である。
もっと良い時期に来ればいいのに。


まあ、釣りまくるなどという大それたことは無理としても、型に拘わらず、渓魚の顔を拝むことができるだけでも御の字ではないだろうか。
さらに、比較的安全で肉体的苦痛を伴わない渓となると選択の余地は限られる。

どの道、渓魚を釣るには脚を使うことに変わりないがね。
時期も時期だし、型に拘らずに気楽にやりましょうなどと努めて控えめに言ってはみるものの、客人には泣き尺の二本や三本ぐらいは掛けてもらわないと僕が困る。


そこにB場ちゃんが加わる。



三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、この男が出してくる知恵は常に有益であり、日頃から大いに助けられてはいるけれど、その一方で絶え間なく発生させているのは副流煙である。

時には僕も煙草を喫うことがあるけれど、人の副流煙はイヤなものである。
まあ、人間蚊取り線香と思えばよろしい。



この時期に渓魚を掛けるのは決して楽な仕事ではない。
などと思いながら黙って見ていると、各人とも飽きない程度に毛鉤を食わせているようである。










まあ、腹に一物を抱えていそうなこの面子。
どう転んでも釣果ゼロということは無いにしても、日頃から釣れる習慣を身に付けておかないとこうはいかない。
逆に、釣れない釣りに慣れてしまうと、釣れなくて当たり前になっちゃうようである。






世間では自分の顔に責任を持てということになっているようであるが、釣り師にとって顔などはどうでもよろしい。
背中に責任を持つべきである。
後ろ姿には釣り師としての人間性が顕れる。



そのようなわけで、僕は人様が釣っているところを黙って観察するけれど、自身の釣り姿を見られるのはイヤなのである。
下流から追いつかれて背後を取られるようでは源流釣り師の恥だとさえ思う。


さて。
僕の釣果はどうか。

人様には釣果を尋ねても、自身の釣果は知られたくないのが釣り師というものである。


煙草を喫い過ぎちゃった。
胸が焼けるネ。



一風呂浴びて帰ろう。