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2020年08月31日

よせばいいのに岩魚釣り

「いくら何でも渋過ぎる。」
先に入渓していたB場ちゃんの言。




機銃掃射のように叩き上がる根気。
彼は労力を惜しまない男なのであるが。
この陽気ばっかりは。




やってみると、底石の裏に張り付いて、梃子でも動かないとでも言いたそうな気概が見て取れる。
なるほどネ。

この日も必要以上に蒸し暑いけれど、それだけではなくて、連日の猛暑の影響が蓄積された結果ではないだろうか。

僕たちが日々喘いでいるように、水面下でも虫の息のようである。



交通事故に遭ったような不運な岩魚たち。






釣り師も気の毒であるが、岩魚も気の毒である。




暑くても火を焚かずにいられない損な性分。





ここは早々に店仕舞い。

夕マズメまでやり過ごせばいいかもしれないけれど、それは厭である。




こんな時のためのワサビ畑。



大人の道草。







  


2020年08月24日

クマと釣り師の譲り合い

入渓早々。
見つけちゃったのがこれである。



新しいネ。
まだ近くにいるに違いない。


遅い梅雨明けに加えて過酷な暑さ。
このところ、クマの機嫌が良い筈がないことは凡その察しがつく。

世間ではクマが出没する度にいちいち大騒ぎをしているようであるが、そもそもクマのいるところに出向いているのである。
住宅地に犬や猫がいるように、山中にいるのはクマやイノシシである。
出るなと言う方が無理である。



さて、本題。
こんな時はクマの気配を探りつつ、微量の覇気を放ちながら釣ればよろしい。

けれど、釣れてくるのはどれも年端もいかぬ木っ端岩魚。







そうは言っても、時期が時期。
あまり我儘を言うとクマに怒られそうである。



昼前。









お世辞にも型揃いとは言い難いけれど。
結果はともあれ努力はしたということで。
要するにそういうことなのである。



午後は天気が崩れることになっている。





少し早めに店仕舞い。



せっかくの貸切露天風呂。
出来ることなら。
混浴などを致すのはさぞかしと思うところであるが、クマとの境目が曖昧な岩魚釣り師には無理である。




本投稿は野生動物との接触を推奨するものではありません。
入山ならびに入渓にあたっては自己責任でご判断頂きますようお願い申し上げます。

  


2020年08月16日

猛暑続きは岩魚も辛い

16.5℃。
岩魚釣り師にとっては絶望的な水温。

さらに溪筋を抜ける温風。
やれやれ。
人里の猛暑が思いやられる。

木漏れ日さえも避けて日陰を渡り歩く岩魚釣り師の人生そのもの。





一足早く入渓していたB場ちゃん発見。
黙って見ているとサオをしならせている。
しかも咥え煙草。



予想に反して多少は出るようである。



やってみると水深のある白泡の下、それも頑なに張り付いている。







なるべくなら毛鉤を長く見せるように流し切りたいところではあるが、そうすると追っては来るけれど肝心なところで帰っちゃう。


そこで、発想を変えて泡立つ波を強く叩いて反射的に食わせるのであるが、食ったように見えて食ってなかったり、掛かりが浅くて外れたり、やりにくいったらありゃしない。








まあいい。
泣き尺2本。





贅沢を言えばキリがない。



さて。
この後に彼が掛けるのは立派な尺上であるが、ネットで掬っておきながら写真を撮る準備をしているうちに逃げられちゃうのである。




原因は咥え煙草と言いたいところであるが。
まあまあ。
仏心ということにしておこう。
近いうちに釣り直そうや。




藪を刈りながら帰ろう。





終戦の日が暮れる。



  


2020年08月09日

夏岩魚 激流を制するのは静水

喉元過ぎれば何とやら。
地獄の如き源流行。

しかも日帰り。


相方のB場ちゃん。
敢えて過酷な領域に挑む中高年。




ここから先は僕の庭先。
まあ、気楽に行こう。








五体満足でこれを終えたら温泉に入ろう。
12時間後の話であるがね。


着いたヨ。





この釣りは目が回るほど忙しい。
求められるのは素早い手返し。







毛鉤が浮かなくなってきても、フロータントを施す暇の方がが惜しいぐらい。
一本の毛鉤は十匹以上の岩魚に化ける。












一匹あたりの岩魚にかける時間を限りなくゼロに近付けても、物理的にゼロになるわけではない。

もどかしいけれど、時間軸の中で釣果は無限ではない。



立ち去り難いのは山々であるが、人に逆らっても時計の針に逆らうわけにはいかない。


人それぞれ、思うところはあるだろうけれど、引き際というものは潔くありたいと常々思うところである。










まあまあ、心を残しておくぐらいはいいのではないだろうか。





激流を制するのは静水。




鈴鹿の王、ごちそうさま。
  


2020年08月03日

岩魚釣り 休みたくても休めない

梅雨明けの瞬間、やってきた猛暑。
溶けちゃいそうな週末。
寒冷地仕様の岩魚釣り師は炎熱攻撃に弱い。

命懸けの源流行を終えたのは先週。
今週ぐらいはどこにも出掛けずに過ごしたいところではあるが、そうもいかない釣り師の事情。

我が家の娘たちは僕が家にいると迷惑らしいのである。

自宅で過ごすこともままならない岩魚釣り師には渓ぐらいしか行く所が無い。
無い袖は振れない。

通い慣れた渓とは言っても、そうそう安請け合い出来るところではない。
さらに言うとクマの巣でもあるが、娘たちにとってはそのようなことはどうでもいいらしいのである。

やれやれ。


生暖かい風の吹き下ろし。

やりにくい付き場。



皮一枚の浅掛かり。








掛かってきたのは口の外側。




スレ掛かり。




見切られたり掛け損ねたりを連発したのはお察しのとおり。


岩魚釣り師は消耗し、衰弱する。




嗚呼。
心底疲れた。




  


2020年07月29日

渓谷に炸裂する覇気 ヒレピン中のヒレピン

辛い行程を終え、テン場を設えたら釣りである。


鈴鹿の王の釣り。






初めての溪にも拘らず、岩魚を掛けるべきところでは確実に掛ける。
例外は無い。





試しに後追いをやってみると、ペンペン草も残さない徹底振りがよくわかる。



釣った岩魚をいちいち数えていても、そのうちに何だかワケがわからなくなってくるからあまり深く考えずに淡々と釣っていた方がよろしい。
控えめなところで、釣り終えてから消耗した毛鉤の本数にゼロを足せばそう外れることもなさそうである。




この魚体にはここまでやって来なければ出会うことが出来ない。








ヒレピンはヒレピンでも役者が違う。

汗まみれ、垢まみれの代償は安くは無いと思いたい。

僕は滅多に自画自賛などしない男ではあるが。
この一点に関してだけはお許し願いたいところである。



余裕を見せつける鈴鹿の王



翌日の帰路もけっこうな地獄なのであるが、知る由も無さそうな熟睡振り。
鈴鹿の王の威厳が顕れる。

まあいい。
せっかくの昼寝である。


さて。
ここに来てしまったら野営が不可欠である。
そうは言っても、僕のテン場を人様にお見せするのはいかがなものか。

はっきり言って乞食の巣である。
高規格キャンプ場やグランピング施設の利用者が見たら物も言わずに逃げ出すに違いない。

けれど酒類だけは十分な蓄えがある。

鈴鹿の王が苦労して担ぎ上げた生鮮食料品。





ありがたいことに、テン場で空腹を覚えた経験が僕には無い。



帰路。

これらを越えなければ帰ることが出来ない。






生還。



ここまで来れば死ぬ可能性はほぼゼロと言ってよろしい。


数日間、身体のあちこちに支障が出るかもしれないけれど、それはそれ。


3日振りの温泉と冷えたビールが待っている。

  


2020年07月27日

地獄の道中 源流への道

kaz13さんが遠路訪ねて来たのは昨年の秋。
鈴鹿の王である。

https://kaz13amago.naturum.ne.jp/

釣りまくり、飲みまくった釣り旅。

彼の帰り際はこの一言。

「もっとスゲェところは無ぇのか?」

「あることはあるが、本当にいいのか?
海の皇帝(チャーマスさん)は辞退したぞ。」

「うるせぇ、行こう!」

たったこれだけで命懸けの源流行が実現しちゃったのである。

要するに、その時歴史が動いちゃったらしいのである。

後は野となれ山となれ。


ここが地獄の一丁目。
俯瞰するkaz13さん。




どれどれ、始めようか。





さて。
源流域では他人を頼ることは出来ない。

日頃からスマホなどに依存しているようであればやめておいた方がよろしい。

そもそも、命の次に大切な漁場を某巨大IT企業如きに特定されるようでは釣り師失格である。

この領域に限ったことではないけれど、源流域というところは長年に亘り、練達の職漁師たちが熾烈なせめぎ合いを繰り広げてきたわけで、漁場というより戦場である。

踏み跡や杣道はわざとわかりにくい経路が選ばれ、騙し道が切られていることなど日常茶飯事である。

ちょっとした不注意が元で遭難したり死んだりする。
美しい渓相でありながら幾多の屍の山でもある。

源流遡行に卑怯なんて言葉は無い。
避けきれなかった釣り師が悪い。
としか言いようがない。

釣り師の人生はカゲロウより儚いのである。

おそらく僕が最後の源流王ということになるだろうけれど、はっきり言えば昨今の源流は人材不足なのである。

大源流時代は過去のことである。
次世代のうねりは期待できない。
引退したいのは山々であるが、王としての資質を備えた後継者に恵まれないのである。

次期源流王、どなたかやって頂くわけにはいきませんかネ。


そんな負の側面を一切合財、包み隠さず伝えたにも関わらず、このkaz13さんという釣り師は、過酷な領域に敢えて挑むのである。




さあ。
着いたヨ。




鈴鹿の王におかれては、釣りへの期待が最高潮に高まっておられるに違いない。




吉と出るか凶と出るか。




  


2020年07月20日

クマが出れば尺も出る

前日。
一人で入渓したB場ちゃんが出会ったのはツキノワグマの成獣である。

  (撮影者 B場ちゃん)

適切と思われる距離感。
現代社会ではこれをソーシャルディスタンスというらしい。
長時間の対峙。
恐らく両者の覇気は拮抗していたに違いない。

仕掛けたのはB場ちゃん。
痺れを切らし、足元にプレゼンテーションをしたところ、何故か岩魚が出ちゃったそうであるが、手元に寄せながら逃げられるあたり、見物者が全身黒光りだと勝手が違うようである。

そこまで見届けてクマは藪に消えたそうであるが、それから間もなく上流で何かあったらしく、濁りが入って釣りはお仕舞い。

察するところ、貧果が身に沁みる帰路であったに違いない。


さて。
一夜明けて。
代わって僕が敵を討たねばならないのではないだろうか。

などと言うのは大義名分と言いたいところであるが、はっきり言えば屁理屈である。

B場ちゃんに頼まれたわけでもなければクマに恨みがあるわけでもない。

むしろ、邪な釣り師にきついお仕置きを加えるあたり、クマは得難い山中の友なのである。
さらに、彼らの場合は法律に抵触するわけではないから、後ろに手が回ることもない。
要するにそういうことなのである。




さて。
肝心の岩魚のご機嫌はどうであるか。

はっきり言って悪意すら感じる。
こっちがその気になったところで帰っちゃう。
カネ目当てに好きでもない男と付き合う女。
僕にはそんなカネは無いけれど、要するにそういうことなのである。


大人の火遊び。



この火遊びはタダである。



食いが立ったのはほんの一時。










このところ、けっこう引きが強くなってきたネ。



捨て置きならないのがこの尺上。
さて、どうしよう。



その気が無かったとまでは言わないけれど、ここまでやる心算も無かったのであるよ。
そのあたり、信じて頂くわけにはいかないものだろうか。

釣り師として不徳の致すところである。
面目無いとしか言いようがない。


食いが渋る。
開店時間は短い。



ここでお仕舞い。



この日。
クマは出なかった。






  


2020年07月13日

雨の日にわざわざ釣りに行かなくてもいいじゃないか

このところの雨はしばらく止む気配が無さそうである。

悪天候の釣り。

吉と出るか凶と出るか。
はっきり言って丁半博打である。




結論から言うと出たのは凶であるが、そこは結果論である.

入渓しちゃったのだから仕方がない。



岩盤に同化してプレゼンテーションを繰り返すB場ちゃん。




粘り強く、地道にコツコツと貴重な釣果を積み重ねる。






釣り師の背中というものはこうでなきゃいけない。



などと口で言うのは簡単であるが、誰にも出来ることではない。



彼を見習って、僕も少しぐらいは釣らなければならない。

やれやれ、一人だったら気が滅入るネ。








そうは言ってもこの日の地合い。
互いに口には出さないけれど、終わってみれば不完全燃焼。

それも含めて結果論である。




まあいい。
けっこう身体に堪えたけれど、お湯はいつでも湧いている。










  


2020年06月28日

尺岩魚 釣り師の心理が表れる

梅雨の短い晴れ間。

入渓して間もなく、掛けた岩魚を取り込んでいるB場ちゃん発見。




横目で見ていると彼のサオは頻繁にしなっている。

しかも、九寸から泣き尺あたりをきれいに揃えてくる。









この日。
僕としては、一投目から瀬尻や肩で気持ちよく掛けるような釣りがしたかったのだけれど、それほど活性が高いわけじゃなくて、白泡や瀬脇の深みを何度も叩いて底に貼りついた魚を浮かせて食わせる根気のいる釣りである。

B場ちゃんは律儀な苦労人である。
安定した釣果から察するところ、この類の釣りも得意に違いない。


そうそう顔に出さない男であるが、燻らせる煙草の煙には極上の心地良さが見て取れる。



さて。
つい、副流煙に釣られて煙草を喫っちゃった僕としては、どこか小物専門釣り師にでもなったような心境。










まあいい。
満更、貧果というほどでもなさそうである。


渓魚というものはヒレピンに限る。
互いに口には出さないけれど、そのあたりがこの釣りの核心ではないだろうか。



どうにか泣き尺。
これぐらいを越えてくると面相が違ってくる。




さて。
この尺岩魚に関しては、釣れる瞬間まで全く念頭にあったわけではない。



尺上は釣れる時に釣るとしか言いようがない。
けれど、その時の状況で神のみぞ知るなどと言うのはいかがなものか。



ライズの主。



これでもいずれ尺上になるわけであるから、いてくれないと困るのである。



ここでおしまい。
帰路は長い。


この道草は釣り師の特権。