2021年08月09日
岩魚釣り師の漁場監視
土用隠れ。
何をやってもダメなものはダメであるが、疼く心を持て余し、彷徨する釣り師たちが増加するのもこの季節である。
そんなわけで、監視に出掛ける岩魚釣り師がここにいる。
入渓地点。
首都圏からやってきた釣り師のグループを発見。
一同の遊漁証を確認。
こう見えても僕は監視員の端くれである。
わざわざこんな所まで他人様のアラ探しをしに来ているわけではない。
規約が遵守されていれば何よりである。
ただ、時期が時期である。
緊急事態宣言発令中の地域から県境を越えた釣行はいかがなものか。
その点に限っては、口頭で厳重に注意を促す。
二ホンジカの死骸を発見。



白骨化しているが、雌雄二体の成獣と思われる。
この溪筋では大型哺乳類の死骸を見かけることは珍しくないけれど、入渓される釣り師諸氏におかれては、このような死骸にならないようにくれぐれもご注意願いたい。
死して屍拾う者無しとは言うものの、僕は第一発見者になるのがイヤなのである。
僕は地質学者ではないけれど、以前から秘かに注目しているのがこの岩塊である。

仮にであるが、これが斬撃によるものだとしたらどうであるか。
何かとんでもないのがこの溪に出没しているとしたらどうであるか。
さて。
監視の傍ら、少しぐらいはサオを出してもいいのではないだろうか。
水温は16℃。
絶望的である。
一匹目の釣果は幼児虐待である。

二匹目の釣果はこれであるが、後にも先にもこれだけである。

行き着くところは夥しい疲労と骨身に染みる貧果。
そんな季節。
夜討ち朝駆けも時と場合。
今暫く、心穏やかにお家で過ごしてはいかがだろうか。

さてさて、君も熱中症であるか。

この日の戦利品。戦ったわけでなないけれど。


何をやってもダメなものはダメであるが、疼く心を持て余し、彷徨する釣り師たちが増加するのもこの季節である。
そんなわけで、監視に出掛ける岩魚釣り師がここにいる。
入渓地点。
首都圏からやってきた釣り師のグループを発見。
一同の遊漁証を確認。
こう見えても僕は監視員の端くれである。
わざわざこんな所まで他人様のアラ探しをしに来ているわけではない。
規約が遵守されていれば何よりである。
ただ、時期が時期である。
緊急事態宣言発令中の地域から県境を越えた釣行はいかがなものか。
その点に限っては、口頭で厳重に注意を促す。
二ホンジカの死骸を発見。
白骨化しているが、雌雄二体の成獣と思われる。
この溪筋では大型哺乳類の死骸を見かけることは珍しくないけれど、入渓される釣り師諸氏におかれては、このような死骸にならないようにくれぐれもご注意願いたい。
死して屍拾う者無しとは言うものの、僕は第一発見者になるのがイヤなのである。
僕は地質学者ではないけれど、以前から秘かに注目しているのがこの岩塊である。
仮にであるが、これが斬撃によるものだとしたらどうであるか。
何かとんでもないのがこの溪に出没しているとしたらどうであるか。
さて。
監視の傍ら、少しぐらいはサオを出してもいいのではないだろうか。
水温は16℃。
絶望的である。
一匹目の釣果は幼児虐待である。
二匹目の釣果はこれであるが、後にも先にもこれだけである。
行き着くところは夥しい疲労と骨身に染みる貧果。
そんな季節。
夜討ち朝駆けも時と場合。
今暫く、心穏やかにお家で過ごしてはいかがだろうか。
さてさて、君も熱中症であるか。
この日の戦利品。戦ったわけでなないけれど。
2021年07月26日
人知れず源流岩魚を釣りまくる
テン場を設えたら岩魚を釣るぐらいしかやることがない。
降り立った渓谷はそのような場所である。

賛否両論は別として。
釣り場は誰の物でもないというのは建前であって、ここに限っては僕の物であるというのはここだけの話である。
何か手違いがあればその場で死ぬかもしれないけれど、諸事抜かり無く、わざわざ苦労してやってきたのは渓谷を独り占めするためである。
そのために僕はここに来た。
そのような場所柄であるから、釣り姿を人様に見られるようでは源流釣り師の恥である。


肝心なことはキャスティングの距離感。
着き場から適切に距離を取れば釣りたいだけ釣れて、近付けば殆ど釣れなくなる。


さらに。
いつまでも同じ場所で粘っていても無駄である。
駄目なものは駄目である。
この釣りに限って言えば、見切りが肝心であり、未練は禁物である。
人間関係においても、同じ相手と長く付き合っているとボロが出るから、そうなる前にさっさと別れて別の相手と付き合う。
要するにそういう事ではないだろうか。
テン場での食生活はご覧のとおりである。


すき焼きに使われている輸入牛肉は3割引であるからネギより安いのである。
盛大な火遊びはタダである。

今回の活性には少しばかりクセがあって、これぐらいの魚体を一匹得るためには、3匹以上の木っ端岩魚を釣らなければならない。

貴重な良型。

わざわざ測ったわけではないけれど、控えめなところで尺ぐらいはあると思いたい。
さて。
来るのも難儀なら帰りの道中もけっこう骨が折れる。骨折したわけではないけれど。

お世辞にも楽な釣りとは言い難い。
こんな苦労をしなければならないのは僕一人で十分である。
満身創痍で湯船に沈む。

風呂場の外はヒグラシの声。
降り立った渓谷はそのような場所である。
賛否両論は別として。
釣り場は誰の物でもないというのは建前であって、ここに限っては僕の物であるというのはここだけの話である。
何か手違いがあればその場で死ぬかもしれないけれど、諸事抜かり無く、わざわざ苦労してやってきたのは渓谷を独り占めするためである。
そのために僕はここに来た。
そのような場所柄であるから、釣り姿を人様に見られるようでは源流釣り師の恥である。
肝心なことはキャスティングの距離感。
着き場から適切に距離を取れば釣りたいだけ釣れて、近付けば殆ど釣れなくなる。
さらに。
いつまでも同じ場所で粘っていても無駄である。
駄目なものは駄目である。
この釣りに限って言えば、見切りが肝心であり、未練は禁物である。
人間関係においても、同じ相手と長く付き合っているとボロが出るから、そうなる前にさっさと別れて別の相手と付き合う。
要するにそういう事ではないだろうか。
テン場での食生活はご覧のとおりである。
すき焼きに使われている輸入牛肉は3割引であるからネギより安いのである。
盛大な火遊びはタダである。
今回の活性には少しばかりクセがあって、これぐらいの魚体を一匹得るためには、3匹以上の木っ端岩魚を釣らなければならない。
貴重な良型。
わざわざ測ったわけではないけれど、控えめなところで尺ぐらいはあると思いたい。
さて。
来るのも難儀なら帰りの道中もけっこう骨が折れる。骨折したわけではないけれど。
お世辞にも楽な釣りとは言い難い。
こんな苦労をしなければならないのは僕一人で十分である。
満身創痍で湯船に沈む。
風呂場の外はヒグラシの声。
2021年07月11日
岩魚を数える計算式
変異株。
線状降水帯。
梅雨が明けた暁には連日の酷暑。
我が祖国には、果敢に立ち向かったり、穏便にやり過ごしたりしなければならない事案が山積みである。
全国津々浦々に到るまで忙しく、且つしんどいのである。
ご他聞に洩れず、岩魚釣り師も忙しい。
上述の天災並びに人災はもとより、実家の野暮用、隣近所の役回り、その他諸々。
要するに、トーマス・バッハなどに構っているヒマは無いのである。
どうにか漕ぎつけた僅かばかりの釣行のチャンス。
雨上がり直後の流れは、ご覧のとおりけっこうな濁り具合である。

そこで、致し方なく手持ちの毛鉤をぐちゃぐちゃにして、流れに絡めて沈めてやると、どういうわけか三投目か四投目ぐらいで釣れてくる。
1匹目。

2匹目。

3匹目まではいいけれど。

4匹目からは、いちいち数えるのが面倒になって、どうでもよくなってきちゃうのは毎度のことである。

聞く所によると、オーストラリアではカンガルーなどを数えるのは3頭までで、4頭以上になると、「一杯いるよ。」ということになるらしいのである。
岩魚釣り師も「一杯釣れたよ。」で済ませたいところである。
一杯釣れればの話であるが。
まあいい。
さて。
氷河期以来、人の手を介さずに繁殖を繰り返してきた結果がこれである。

七寸程度の木っ端岩魚ながら、痩せても枯れても天然岩魚である。
などと、わざわざ取り上げたのはワケがあって、秋口に産卵活動に初参加するのがこのあたりからということになっている。
仮に、この岩魚が翌年に10匹程度の稚魚の増殖に寄与するとして、その子孫がネズミ講式に増殖するとしたらどうなるだろうか。
一年後には10匹。
二年後には100匹。
三年後には1000匹。
理屈か屁理屈かは別として。
今、この時。この木っ端岩魚を死なせてしまうと、数年後に大繁殖する予定の莫大な水産資源を失うことになるらしいのである。
この計算式に基づいて、5年後あたりの数値を目安に、開発関係者や密漁者を相手に多額の補償金の支払いを持ち掛けたらしい某おっさんは既にこの世の人では無くなって久しい。
けれど、いまだにごく一部の信者からは、川の守護神の如く奉られているフシも無いわけではなさそうであるが、見えないところで動くカネの匂いには殊更に敏感だったに違いないと、つい思っちゃうのは僕の私見である。


線状降水帯。
梅雨が明けた暁には連日の酷暑。
我が祖国には、果敢に立ち向かったり、穏便にやり過ごしたりしなければならない事案が山積みである。
全国津々浦々に到るまで忙しく、且つしんどいのである。
ご他聞に洩れず、岩魚釣り師も忙しい。
上述の天災並びに人災はもとより、実家の野暮用、隣近所の役回り、その他諸々。
要するに、トーマス・バッハなどに構っているヒマは無いのである。
どうにか漕ぎつけた僅かばかりの釣行のチャンス。
雨上がり直後の流れは、ご覧のとおりけっこうな濁り具合である。
そこで、致し方なく手持ちの毛鉤をぐちゃぐちゃにして、流れに絡めて沈めてやると、どういうわけか三投目か四投目ぐらいで釣れてくる。
1匹目。
2匹目。
3匹目まではいいけれど。
4匹目からは、いちいち数えるのが面倒になって、どうでもよくなってきちゃうのは毎度のことである。
聞く所によると、オーストラリアではカンガルーなどを数えるのは3頭までで、4頭以上になると、「一杯いるよ。」ということになるらしいのである。
岩魚釣り師も「一杯釣れたよ。」で済ませたいところである。
一杯釣れればの話であるが。
まあいい。
さて。
氷河期以来、人の手を介さずに繁殖を繰り返してきた結果がこれである。
七寸程度の木っ端岩魚ながら、痩せても枯れても天然岩魚である。
などと、わざわざ取り上げたのはワケがあって、秋口に産卵活動に初参加するのがこのあたりからということになっている。
仮に、この岩魚が翌年に10匹程度の稚魚の増殖に寄与するとして、その子孫がネズミ講式に増殖するとしたらどうなるだろうか。
一年後には10匹。
二年後には100匹。
三年後には1000匹。
理屈か屁理屈かは別として。
今、この時。この木っ端岩魚を死なせてしまうと、数年後に大繁殖する予定の莫大な水産資源を失うことになるらしいのである。
この計算式に基づいて、5年後あたりの数値を目安に、開発関係者や密漁者を相手に多額の補償金の支払いを持ち掛けたらしい某おっさんは既にこの世の人では無くなって久しい。
けれど、いまだにごく一部の信者からは、川の守護神の如く奉られているフシも無いわけではなさそうであるが、見えないところで動くカネの匂いには殊更に敏感だったに違いないと、つい思っちゃうのは僕の私見である。
2021年06月27日
梅雨の間隙 渓谷の岩魚
どっちつかずの天気予報を釣行の直前まで精査。
釣行ありきで前のめりに物事を進めてしまうと取り返しがつかないことになりがちであるから常に冷静な判断をしなければならない。
などということを釣り師が言わなければならないのが現代社会である。
悶々と過ごすのも悩ましいけれど、釣り場で雨に降られるのもイヤなのである。
溪を渡渉する釣り師などが言えた義理ではないけれど、イヤなものはイヤなのである。
渓谷は晴天。

こればっかりは日頃の行いの賜としか言いようがない。
この日の相方。

自称晴れ男であるB場ちゃんである。
落ちたら痛いヨ。
この小さいおたまじゃくしが成長した暁には寡黙なヒキガエルになる。

向かい風を凌ぎつつ、釣果を重ねるB場ちゃん。




地道にコツコツが彼の持ち味。
さて。
僕も少しぐらいは釣らなければならない。



測ってみると尺に足りないのは毎度のことである。

そうは言っても、つい測っちゃうのは釣り師の業である。
要するに、いつまで経っても同じ事の繰り返しである。
渓谷で避けて通ることができないのが高巻きである。

僕は高巻きが好きになれないけれど、人がやっているところを眺めるのはけっこう好きなのである。
釣果はさておき。
この時期に一滴の雨にも遭わなかったのは幸いである。
B場ちゃんによると、この日は雨男がいなかったからで、雨男というのはKONちゃんを指すそうである。

シャクナゲを漕ぎ、ブナの森を抜ける。

帰路は長い。


釣行ありきで前のめりに物事を進めてしまうと取り返しがつかないことになりがちであるから常に冷静な判断をしなければならない。
などということを釣り師が言わなければならないのが現代社会である。
悶々と過ごすのも悩ましいけれど、釣り場で雨に降られるのもイヤなのである。
溪を渡渉する釣り師などが言えた義理ではないけれど、イヤなものはイヤなのである。
渓谷は晴天。
こればっかりは日頃の行いの賜としか言いようがない。
この日の相方。
自称晴れ男であるB場ちゃんである。
落ちたら痛いヨ。
この小さいおたまじゃくしが成長した暁には寡黙なヒキガエルになる。
向かい風を凌ぎつつ、釣果を重ねるB場ちゃん。
地道にコツコツが彼の持ち味。
さて。
僕も少しぐらいは釣らなければならない。
測ってみると尺に足りないのは毎度のことである。
そうは言っても、つい測っちゃうのは釣り師の業である。
要するに、いつまで経っても同じ事の繰り返しである。
渓谷で避けて通ることができないのが高巻きである。
僕は高巻きが好きになれないけれど、人がやっているところを眺めるのはけっこう好きなのである。
釣果はさておき。
この時期に一滴の雨にも遭わなかったのは幸いである。
B場ちゃんによると、この日は雨男がいなかったからで、雨男というのはKONちゃんを指すそうである。
シャクナゲを漕ぎ、ブナの森を抜ける。
帰路は長い。
2021年06月21日
梅雨時の岩魚は遠慮を知らない
雨の翌日。
始まったようだネ。

岩魚たちは揃って上を見て、流れてきた毛鉤を素直な心で咥えるように設定されているようである。


他人の吹く笛に踊らされて、ついつい弾けちゃう人間もこうではないだろうか。
長期にわたる自粛生活は何かと大変だろうけれど、この国の国民はそうそうバカではないと思いたい。
そんな心優しい毛鉤釣り師がここにいる。


少し大げさに言うと。
どこでもいいから毛鉤を落とせばいくらでも釣れちゃうのである。
ライズが無いだけで、水中では大変なことが起きているわけである。
恐らく、尾身茂サンなどはたじたじになるに違いない。


岩魚には悪いけれど、出ると言うよりは、涌いてくると言った方がわかりやすいと思う。
涌くなどと言うとボウフラや蛆のようでいけないけれど、要するにそういうことなのである。
はっきり言って忙しい。
なるべく毛鉤を傷めないようにして、長持ちさせるのがコツだと思う。


それはいいとして。
そう悪い型ではないけれど、今一つ抜きん出たのが釣れないのが残念ではある。
まあいい。
あまり贅沢を言うと罰が当たる。
因みに。
B場ちゃんは先週、わざわざ魚影の薄い溪に出向き、立派な尺上を釣っちゃったそうである。
まあいい。
敢えて多くは語るまい。
それでも引きはけっこう強い。
華奢なサオながら、そこを差し引いてもよくしならせてくる。
さて。

このあたりが釣り師の引き際。
宴たけなわではあるけれど。


始まったようだネ。
岩魚たちは揃って上を見て、流れてきた毛鉤を素直な心で咥えるように設定されているようである。
他人の吹く笛に踊らされて、ついつい弾けちゃう人間もこうではないだろうか。
長期にわたる自粛生活は何かと大変だろうけれど、この国の国民はそうそうバカではないと思いたい。
そんな心優しい毛鉤釣り師がここにいる。
少し大げさに言うと。
どこでもいいから毛鉤を落とせばいくらでも釣れちゃうのである。
ライズが無いだけで、水中では大変なことが起きているわけである。
恐らく、尾身茂サンなどはたじたじになるに違いない。
岩魚には悪いけれど、出ると言うよりは、涌いてくると言った方がわかりやすいと思う。
涌くなどと言うとボウフラや蛆のようでいけないけれど、要するにそういうことなのである。
はっきり言って忙しい。
なるべく毛鉤を傷めないようにして、長持ちさせるのがコツだと思う。
それはいいとして。
そう悪い型ではないけれど、今一つ抜きん出たのが釣れないのが残念ではある。
まあいい。
あまり贅沢を言うと罰が当たる。
因みに。
B場ちゃんは先週、わざわざ魚影の薄い溪に出向き、立派な尺上を釣っちゃったそうである。
まあいい。
敢えて多くは語るまい。
それでも引きはけっこう強い。
華奢なサオながら、そこを差し引いてもよくしならせてくる。
さて。
このあたりが釣り師の引き際。
宴たけなわではあるけれど。
2021年06月13日
数の論理 木っ端岩魚の脅威
梅雨入り前。
水面ではハルゼミが食われ始めているに違いない。
僕はここに勝ちに来た。
とでも言いたくなるような覇気を溪に放つ。
そんな一日が始まる。
予定通りの一投目。

後は漲るヒレピンを淡々とこなすだけである。





足跡の主は全身黒づくめである。

つい先刻に通過したようであるが、そのようなことはこの際どうでもよろしい。
予定通りの中弛み。

盛大に火を熾し、地合いを窺う。
フタスジモンカゲロウの初物を発見。
さて、午後の部。
期待に反し、そこら中から涌いて出るのは年端も行かぬ木っ端岩魚ばかりである。


多勢に無勢。
釣っても釣ってもキリがない。
数は力、力は金とはよく言ったもので、この日、少数派の釣り師を圧倒的多数で抑え込もうとするのが夥しい木っ端岩魚たちである。
皮算用が外れた釣り師としては、甚だ不本意ではあるが、次世代の担い手は人の手を介さなくてもうじゃうじゃと育っているようである。
要するに、水面下では明るい未来が待っているわけである。
人間社会もこのようにいかないものだろうか。
新品のタイヤは心強い。
道中は車では入れない悪路である。

因みに、タイヤを交換したのは所有者であり、僕は使用者である。
そろそろ、適度な一降りが欲しいところ。


水面ではハルゼミが食われ始めているに違いない。
僕はここに勝ちに来た。
とでも言いたくなるような覇気を溪に放つ。
そんな一日が始まる。
予定通りの一投目。
後は漲るヒレピンを淡々とこなすだけである。
足跡の主は全身黒づくめである。
つい先刻に通過したようであるが、そのようなことはこの際どうでもよろしい。
予定通りの中弛み。
盛大に火を熾し、地合いを窺う。
フタスジモンカゲロウの初物を発見。
さて、午後の部。
期待に反し、そこら中から涌いて出るのは年端も行かぬ木っ端岩魚ばかりである。
多勢に無勢。
釣っても釣ってもキリがない。
数は力、力は金とはよく言ったもので、この日、少数派の釣り師を圧倒的多数で抑え込もうとするのが夥しい木っ端岩魚たちである。
皮算用が外れた釣り師としては、甚だ不本意ではあるが、次世代の担い手は人の手を介さなくてもうじゃうじゃと育っているようである。
要するに、水面下では明るい未来が待っているわけである。
人間社会もこのようにいかないものだろうか。
新品のタイヤは心強い。
道中は車では入れない悪路である。
因みに、タイヤを交換したのは所有者であり、僕は使用者である。
そろそろ、適度な一降りが欲しいところ。
2021年06月07日
疾きこと風の如し
溪の盛期にも拘らず、釣行を妨げる浮世のしがらみは世に数多存在する。
さらに、それらが重なる局面というものが人生には度々やって来る。
そんな日々。
どうにか捻出した僅かなチャンス。
昼下がりの入溪、しかも日没までには確実に脱溪していることが前提。
日が長くなったとは言え、沢筋は暗くなるのが早い。
安全第一。
釣果は二の次である。
人に逆らっても時計の針に逆らってはならない。
などと、そのように偉そうな台詞を言えた筋合いではないのが釣り師である。
さらに言うと、僕は残業が嫌いなのである。


一切の無駄を省き、溪を跳ぶ。
付き場を狙い撃ちつつ、疾風の如く釣り抜ける。
瞬歩、月歩、覇気、その他諸々の技が炸裂。
韋駄天でもこうはいかないと思いたい。
メロスなど論外である。



通常の半分の時間で同じ距離を釣り切ろうというのであるから、どこか雑な釣りである。
そこまでして釣らなければならない理由を明確に示すことが僕にはできないけれど、要するにそういうことなのである。
さて。
結果的にではあるが、これは幼児虐待である。
悪気があってやったわけではないけれど、深刻な社会問題である。

釣り師として不徳の致すところである。
時間切れ。強制終了。

ノーマン・マクリーンが描いたフライフィッシングの優雅な面影は幻想である。
現実から目を逸らしてはならない。
終えてみれば、このような急拵えの釣り。
年甲斐も無いのはわかっちゃいても、やはりそこは釣り師の業
良い子の皆さんは真似をしちゃ駄目だヨ。


さらに、それらが重なる局面というものが人生には度々やって来る。
そんな日々。
どうにか捻出した僅かなチャンス。
昼下がりの入溪、しかも日没までには確実に脱溪していることが前提。
日が長くなったとは言え、沢筋は暗くなるのが早い。
安全第一。
釣果は二の次である。
人に逆らっても時計の針に逆らってはならない。
などと、そのように偉そうな台詞を言えた筋合いではないのが釣り師である。
さらに言うと、僕は残業が嫌いなのである。
一切の無駄を省き、溪を跳ぶ。
付き場を狙い撃ちつつ、疾風の如く釣り抜ける。
瞬歩、月歩、覇気、その他諸々の技が炸裂。
韋駄天でもこうはいかないと思いたい。
メロスなど論外である。
通常の半分の時間で同じ距離を釣り切ろうというのであるから、どこか雑な釣りである。
そこまでして釣らなければならない理由を明確に示すことが僕にはできないけれど、要するにそういうことなのである。
さて。
結果的にではあるが、これは幼児虐待である。
悪気があってやったわけではないけれど、深刻な社会問題である。
釣り師として不徳の致すところである。
時間切れ。強制終了。
ノーマン・マクリーンが描いたフライフィッシングの優雅な面影は幻想である。
現実から目を逸らしてはならない。
終えてみれば、このような急拵えの釣り。
年甲斐も無いのはわかっちゃいても、やはりそこは釣り師の業
良い子の皆さんは真似をしちゃ駄目だヨ。
2021年05月24日
下手なニンフも数撃ちゃ・・・釣れるかもしれない
入渓に際してはけっこうな力技を炸裂させつつ、携える釣り具はこの上なく華奢な道具立て。

初夏の爽やかな風は、ほぼ例外なく渓魚たちの神経を逆撫でするらしい。
風向きがコロコロと変わり、掴みどころがない釣りではあるけれど、昨今の社会情勢ほどでもなさそうである。
焚き物を集め、黙々と火遊びなどに耽ってやり過ごす。
時間潰しは避けて通ることができない重要な仕事であるが、職場で培った技が僕にはある。

湿った木を焚くのは少しコツがいるけれど、点いた火はけっこう粘り強い燃え方をする。
湿った男女の関係に火が点くとどうであろうか。
そのような経験が僕には無い。
一瞬、水が緩む。
食いが立ったのはほんの小一時間。
あれ?釣れてる。




食ったのは全てニンフである。
軽快に気持ちよく掛けたわけではない。
キャスティングのカックンカックン、これの打ち消しに躍起になる釣り師がここにいる。
どこか他人事のような、確信に欠ける釣り。
要するに、渓魚たちにアゴで使われているような心境。

まあいい。
ここにいる限り、変異株の危険性はゼロである。

100パーセント安全安心と言い切っていいのはこのような環境を指すのではないだろうか。
岩魚釣り師からぼったくるものは無い。
無いったら無い。
無い袖は振れない。


初夏の爽やかな風は、ほぼ例外なく渓魚たちの神経を逆撫でするらしい。
風向きがコロコロと変わり、掴みどころがない釣りではあるけれど、昨今の社会情勢ほどでもなさそうである。
焚き物を集め、黙々と火遊びなどに耽ってやり過ごす。
時間潰しは避けて通ることができない重要な仕事であるが、職場で培った技が僕にはある。
湿った木を焚くのは少しコツがいるけれど、点いた火はけっこう粘り強い燃え方をする。
湿った男女の関係に火が点くとどうであろうか。
そのような経験が僕には無い。
一瞬、水が緩む。
食いが立ったのはほんの小一時間。
あれ?釣れてる。
食ったのは全てニンフである。
軽快に気持ちよく掛けたわけではない。
キャスティングのカックンカックン、これの打ち消しに躍起になる釣り師がここにいる。
どこか他人事のような、確信に欠ける釣り。
要するに、渓魚たちにアゴで使われているような心境。
まあいい。
ここにいる限り、変異株の危険性はゼロである。
100パーセント安全安心と言い切っていいのはこのような環境を指すのではないだろうか。
岩魚釣り師からぼったくるものは無い。
無いったら無い。
無い袖は振れない。
2020年10月14日
源流釣り師が釣る外来魚
禁漁期の慰みと言ってはナンだけれど、この日に出向いた釣りモノは外来魚。

現地で聞く所によると、鵜の影響で今年は外来魚が減ったそうで、さらに減水、ニゴイの増加など、逞しき外来魚もそう安泰ではいられないそうである。
ドライの先にニンフを結ぶ。
ドライを食った。

ニンフを食った。

賛否両論は承知の上であるけれど、実を言うと素手で触るのはイヤなのである。
さて。
問題はこのボートに乗った男女である。


何度も同じところを回遊しているのだけれど、決まってプレゼンテーションをする鼻先を通過するのであるから、その気でシュートしたら釣れちゃいそうで、気色悪いったらありゃしない。
僕は源流王であるから、外来魚の釣果などはどうでもいいのだけれど。
物事の善悪は別として。
人生の大半を外来魚の釣りに注ぎ込んでおられる諸氏の腸はさぞかし煮えくり返っているに違いない。
ボートに乗った件の男女にはそのあたりに配慮する神経は無さそうであるが。
その辺り、いかがであろうか。
夕方までやり過ごせば、もっと食いが立つような気もするけれど、僕は早く温泉に入りたい。

頂き物尽くしの膳。

釣りをやってて良かった。
現地で聞く所によると、鵜の影響で今年は外来魚が減ったそうで、さらに減水、ニゴイの増加など、逞しき外来魚もそう安泰ではいられないそうである。
ドライの先にニンフを結ぶ。
ドライを食った。
ニンフを食った。
賛否両論は承知の上であるけれど、実を言うと素手で触るのはイヤなのである。
さて。
問題はこのボートに乗った男女である。
何度も同じところを回遊しているのだけれど、決まってプレゼンテーションをする鼻先を通過するのであるから、その気でシュートしたら釣れちゃいそうで、気色悪いったらありゃしない。
僕は源流王であるから、外来魚の釣果などはどうでもいいのだけれど。
物事の善悪は別として。
人生の大半を外来魚の釣りに注ぎ込んでおられる諸氏の腸はさぞかし煮えくり返っているに違いない。
ボートに乗った件の男女にはそのあたりに配慮する神経は無さそうであるが。
その辺り、いかがであろうか。
夕方までやり過ごせば、もっと食いが立つような気もするけれど、僕は早く温泉に入りたい。
頂き物尽くしの膳。
釣りをやってて良かった。
2020年09月24日
貧果に喘ぐ山岳渓流
禁漁間近。
鈴鹿の王が襲来。
日頃からあれほど釣りまくっているにも拘わらず。
最後に僕の領域で一旗揚げてやろうとでも言いたげな目論見が見て取れる。
https://kaz13amago.naturum.ne.jp/
そこに毎度お馴染みの巧者、B場ちゃんが加わる。
三人寄れば文殊の知恵と言うけれど、何人寄ろうが駄目なものは駄目である。
などと言ってしまえば身も蓋も無いけれど。
各々腹に一物を抱え、下り坂の人生に加速がついた釣行が始まる。
そんな一日。


さて、昨年秋の大型台風の痕跡はどうであるか。
所々で極端に水深が変わっているあたり、川底の荒れようは相当なものと想像する。
これほどの流木は無かったのであるが。

無表情な時間が渓谷に流れる。

最初にサオをしならせたのはB場ちゃんである。


次にサオをしならせたのもB場ちゃんである。

この時点で鈴鹿の王と僕の釣果はゼロである。
鈴鹿の王が立て続けに良型。


相変わらず僕の釣果はゼロである。
余裕を浮かべ、煙を燻らす両者。
因みにこの二人は初対面である。

副流煙に釣られてしまう僕としては立つ瀬がない。
まあいい。
見えていた岩魚。
漸く一匹。

やれやれ。
ここで都会派フライフィッシャー、Mちゃんが初登場する。
単独行で脱渓点を模索しているうちに我々に追いついちゃったそうである。

まあいい、一緒にやろう。
初対面ながら、我々にかかれば即座にちゃん付けになっちゃうのである。
高巻きは避けて通ることは出来ない。


脱渓前に枝沢で生き残った木っ端岩魚でお茶を濁す。



日が短くなったネ。
そろそろ上がろう。

来た時は三人。
帰りの道中は四人。
また一緒に釣ろうや。
さて。
けっこう汗をかいたネ。
早く温泉に入ろう。
それで貧果はチャラになる。
鈴鹿の王が襲来。
日頃からあれほど釣りまくっているにも拘わらず。
最後に僕の領域で一旗揚げてやろうとでも言いたげな目論見が見て取れる。
https://kaz13amago.naturum.ne.jp/
そこに毎度お馴染みの巧者、B場ちゃんが加わる。
三人寄れば文殊の知恵と言うけれど、何人寄ろうが駄目なものは駄目である。
などと言ってしまえば身も蓋も無いけれど。
各々腹に一物を抱え、下り坂の人生に加速がついた釣行が始まる。
そんな一日。
さて、昨年秋の大型台風の痕跡はどうであるか。
所々で極端に水深が変わっているあたり、川底の荒れようは相当なものと想像する。
これほどの流木は無かったのであるが。
無表情な時間が渓谷に流れる。
最初にサオをしならせたのはB場ちゃんである。
次にサオをしならせたのもB場ちゃんである。
この時点で鈴鹿の王と僕の釣果はゼロである。
鈴鹿の王が立て続けに良型。
相変わらず僕の釣果はゼロである。
余裕を浮かべ、煙を燻らす両者。
因みにこの二人は初対面である。
副流煙に釣られてしまう僕としては立つ瀬がない。
まあいい。
見えていた岩魚。
漸く一匹。
やれやれ。
ここで都会派フライフィッシャー、Mちゃんが初登場する。
単独行で脱渓点を模索しているうちに我々に追いついちゃったそうである。
まあいい、一緒にやろう。
初対面ながら、我々にかかれば即座にちゃん付けになっちゃうのである。
高巻きは避けて通ることは出来ない。
脱渓前に枝沢で生き残った木っ端岩魚でお茶を濁す。
日が短くなったネ。
そろそろ上がろう。
来た時は三人。
帰りの道中は四人。
また一緒に釣ろうや。
さて。
けっこう汗をかいたネ。
早く温泉に入ろう。
それで貧果はチャラになる。