2020年09月20日
岩魚釣り師のカジカ釣り
あり合わせの手道具を提げてぶらりと出掛ける。
少年時代に親しんだ雑魚釣り。
今、そんな釣りをやってみたいと思いながら、そうもいかないのが現実である。
釣り券、疑似餌、餌、その他諸々。
求められるのは計画性であるが、計画通りにコトが運べば誰も苦労しないのである。
何より、小鮒釣りしかの川というものが無い。
外来魚の類を釣りしかの川では、僕としてはどうにもいただけない。
そこで、かねてから目をつけていたのがカジカである。
この時代、まだ残っているのだろうか。
長年にわたり気に掛けていたところ、少しながら生息している川があるらしいことがわかってきた。
そこで問題になるのが、釣り師同士の情報を額面通りに受け取ってもいいのかということであるが、そのあたりに関しては日頃の信頼関係によるところが大きい。
紆余曲折を経て。
この日。
初めて岩魚釣り師が里川のカジカ釣りに挑む。
実際のところ、カジカはいるのだろうか。
はっきり言って不安である。
いた。
KONちゃんに釣れた。

いた。
僕にも釣れた。

これは嬉しい。
いてくれて実に嬉しい。
餌に使う川虫を採っているときに網に入った指先ほどの木っ端カジカ。

細々ながら、世代交代がされているに違いない。
久しぶりに持ち出したウェーダーの底は剥がれてしまったけれど。
ほんの僅かなカジカではあるけれど。
岩魚釣り師の心は十分に満たされた。


少年時代に親しんだ雑魚釣り。
今、そんな釣りをやってみたいと思いながら、そうもいかないのが現実である。
釣り券、疑似餌、餌、その他諸々。
求められるのは計画性であるが、計画通りにコトが運べば誰も苦労しないのである。
何より、小鮒釣りしかの川というものが無い。
外来魚の類を釣りしかの川では、僕としてはどうにもいただけない。
そこで、かねてから目をつけていたのがカジカである。
この時代、まだ残っているのだろうか。
長年にわたり気に掛けていたところ、少しながら生息している川があるらしいことがわかってきた。
そこで問題になるのが、釣り師同士の情報を額面通りに受け取ってもいいのかということであるが、そのあたりに関しては日頃の信頼関係によるところが大きい。
紆余曲折を経て。
この日。
初めて岩魚釣り師が里川のカジカ釣りに挑む。
実際のところ、カジカはいるのだろうか。
はっきり言って不安である。
いた。
KONちゃんに釣れた。
いた。
僕にも釣れた。
これは嬉しい。
いてくれて実に嬉しい。
餌に使う川虫を採っているときに網に入った指先ほどの木っ端カジカ。
細々ながら、世代交代がされているに違いない。
久しぶりに持ち出したウェーダーの底は剥がれてしまったけれど。
ほんの僅かなカジカではあるけれど。
岩魚釣り師の心は十分に満たされた。
2020年06月13日
岩魚釣り師の外道釣り
梅雨入り。
渓魚の活性は高まる半面、釣り師にとっては悩ましい季節。
この日はB場ちゃんの提案でお気楽に防波堤で豆アジのサビキ釣り。
段取りから何から一切合切ひっくるめてB場ちゃんにお任せ状態。
現代社会ではこれを丸投げと言う。
加えて、僕の足元は能天気なサンダル履き。
ところが。
予報では止むはずの雨が一向に止む気配が無い。

B場ちゃんとKONちゃんの釣りを見物。
要するに車内から出たくないだけである。
釣れてくるのはフグばかり。

アメフラシ男のKONちゃんに漸く釣れた豆アジ。

咥え煙草で豆アジを釣るB場ちゃん。

そこで、僕も取り掛かってみたのであるが、釣れてきたのはご多分に洩れずフグばかりである。

貴重な釣果。

貴重な外道。


フグ三昧の一日。
コマセのオキアミが尽きたところで終了。

雨は止まなかった。

渓魚の活性は高まる半面、釣り師にとっては悩ましい季節。
この日はB場ちゃんの提案でお気楽に防波堤で豆アジのサビキ釣り。
段取りから何から一切合切ひっくるめてB場ちゃんにお任せ状態。
現代社会ではこれを丸投げと言う。
加えて、僕の足元は能天気なサンダル履き。
ところが。
予報では止むはずの雨が一向に止む気配が無い。
B場ちゃんとKONちゃんの釣りを見物。
要するに車内から出たくないだけである。
釣れてくるのはフグばかり。
アメフラシ男のKONちゃんに漸く釣れた豆アジ。
咥え煙草で豆アジを釣るB場ちゃん。
そこで、僕も取り掛かってみたのであるが、釣れてきたのはご多分に洩れずフグばかりである。
貴重な釣果。
貴重な外道。
フグ三昧の一日。
コマセのオキアミが尽きたところで終了。
雨は止まなかった。
2020年05月04日
慌てる釣り師は貰いが少ない
除雪作業中の重機である。

「オペさん、おはよう。
ちょいと通してくれるかい。」
昨年秋の大型台風。
漁場への影響はどうだっただろうか。
所々に崩落の形跡。
けっこうな倒木が流されてどこか気の抜けた風情である。

さて。
肝心の渓魚たちのご機嫌はあまりよろしくない。


雪代で魚体を磨くのに忙しく、僕などに構っているヒマはなさそうである。
ヒレは口ほどにものを言う。
お昼ご飯のカップ麵。

このところ、小売店での価格がどれも上がっているようで困っちゃうのであるが、この商品だけは大盛りにも拘わらず据え置き価格なのである。
製造元は東洋水産株式会社である。
こんな時。
多少なりともあぶく銭があれば、東洋水産の物言わぬ株主になってもいいと思うのであるが、残念ながらあぶく銭というものが僕には無い。
まあいい。
その類のことはウォーレン・バフェットやピーター・リンチなどにやらせておけばよろしい。
井伏鱒二は鱒を釣り、岩魚釣り師は岩魚を釣っていればいいのである。
初物。

新型コロナウィルスとは無縁であるが、僅かながらも放射性物質の影響を受けていない保証は無い。
出会ったのは等身大のイノシシ二頭。

「オペさん、おはよう。
ちょいと通してくれるかい。」
昨年秋の大型台風。
漁場への影響はどうだっただろうか。
所々に崩落の形跡。
けっこうな倒木が流されてどこか気の抜けた風情である。
さて。
肝心の渓魚たちのご機嫌はあまりよろしくない。
雪代で魚体を磨くのに忙しく、僕などに構っているヒマはなさそうである。
ヒレは口ほどにものを言う。
お昼ご飯のカップ麵。
このところ、小売店での価格がどれも上がっているようで困っちゃうのであるが、この商品だけは大盛りにも拘わらず据え置き価格なのである。
製造元は東洋水産株式会社である。
こんな時。
多少なりともあぶく銭があれば、東洋水産の物言わぬ株主になってもいいと思うのであるが、残念ながらあぶく銭というものが僕には無い。
まあいい。
その類のことはウォーレン・バフェットやピーター・リンチなどにやらせておけばよろしい。
井伏鱒二は鱒を釣り、岩魚釣り師は岩魚を釣っていればいいのである。
初物。
新型コロナウィルスとは無縁であるが、僅かながらも放射性物質の影響を受けていない保証は無い。
出会ったのは等身大のイノシシ二頭。
2020年04月26日
クチボソは岩魚を釣るより難しい
地方での出現が目立ち始めたこのところの感染者集団。
田舎暮らしも穏やかではいられないのが実情のようである。
さて。
いちいち言われなくても、人には会いたくないのが岩魚釣り師というものである。
忘れられた野池。

棲んでいるのはただのクチボソであるが、今は天然岩魚より貴重ではないだろうか。

加えて。
やってみるとわかるけれど、これを鉤に掛けるのは渓魚を釣るよりも物理的に難しいと僕は思う。


最後のおまけはザリガニである。

懐かしさが溢れてきちゃう。
岩魚釣り師の老後はクチボソ釣り師だろうか。
生きていればの話であるがね。

田舎暮らしも穏やかではいられないのが実情のようである。
さて。
いちいち言われなくても、人には会いたくないのが岩魚釣り師というものである。
忘れられた野池。
棲んでいるのはただのクチボソであるが、今は天然岩魚より貴重ではないだろうか。
加えて。
やってみるとわかるけれど、これを鉤に掛けるのは渓魚を釣るよりも物理的に難しいと僕は思う。
最後のおまけはザリガニである。
懐かしさが溢れてきちゃう。
岩魚釣り師の老後はクチボソ釣り師だろうか。
生きていればの話であるがね。
2020年04月20日
辛口の釣り師人生 報われない雪中行軍
週末。
地方都市の中心市街地は閑散としているそうである。
一方。
郊外の量販店の駐車場を横目で眺めるにつけ、店内は相応に混んでいるに違いないと察するところである。
敢えて多くは語らないけれど、このところ県外ナンバーの車が増えたように思えるのは僕の気のせいだろうか。
さて。
各地では渓魚が水面を割り、良型がサオをしならせているようである。
我が漁場はどうであろうか。
ご覧のとおり真冬である。

無人状態であるから違反遊漁者もゼロである。
僕は物陰に隠れて取り締まりを行う警察官ではない。
違反者のいない漁場は何よりである。

さて。
試し釣りである。
僕は毛鉤釣り師であるが、敢えてそこを曲げてまで、わざわざミミズを用意して来たのである。
それにも拘わらず、ウンでもなきゃスンでもない。
この領域に限っては感染のリスクは限りなくゼロであるが、肝心の釣果もゼロである。
まあいい。
言い訳は一切無し。
問題は昨今のミミズの相場である。
税別440円。

100gあたりの単価は一体いくらになるのだろう。
僕が食べるワケじゃないけれど、これほどの高級食材があるだろうか。
僕のお昼ご飯はこのカップ麺であるが、4つ買ってもお釣りが来る。
クラクラしてきちゃう。

帰路。
けっこう目につく県外ナンバー。
大方は具合の良さそうな長距離走行向きの車。
物流に関わっているわけでもなさそうである。
越県行為と言えばいいのだろうか。
少しばかりお行儀が悪いネ。

地方都市の中心市街地は閑散としているそうである。
一方。
郊外の量販店の駐車場を横目で眺めるにつけ、店内は相応に混んでいるに違いないと察するところである。
敢えて多くは語らないけれど、このところ県外ナンバーの車が増えたように思えるのは僕の気のせいだろうか。
さて。
各地では渓魚が水面を割り、良型がサオをしならせているようである。
我が漁場はどうであろうか。
ご覧のとおり真冬である。
無人状態であるから違反遊漁者もゼロである。
僕は物陰に隠れて取り締まりを行う警察官ではない。
違反者のいない漁場は何よりである。
さて。
試し釣りである。
僕は毛鉤釣り師であるが、敢えてそこを曲げてまで、わざわざミミズを用意して来たのである。
それにも拘わらず、ウンでもなきゃスンでもない。
この領域に限っては感染のリスクは限りなくゼロであるが、肝心の釣果もゼロである。
まあいい。
言い訳は一切無し。
問題は昨今のミミズの相場である。
税別440円。
100gあたりの単価は一体いくらになるのだろう。
僕が食べるワケじゃないけれど、これほどの高級食材があるだろうか。
僕のお昼ご飯はこのカップ麺であるが、4つ買ってもお釣りが来る。
クラクラしてきちゃう。
帰路。
けっこう目につく県外ナンバー。
大方は具合の良さそうな長距離走行向きの車。
物流に関わっているわけでもなさそうである。
越県行為と言えばいいのだろうか。
少しばかりお行儀が悪いネ。
2020年01月11日
岩魚釣り師が海に出た
海釣りは若い頃にサビキで豆アジを釣って以来、かれこれ四半世紀以上ご無沙汰である。
この冬。
故あって。
岩魚釣り師は海に出なければならない。
さて。
海に出るのはいいけれど、一体どうやって出たらいいのだろうか。
そんな僕を見かねて海に連れて行ってくれたのはB場ちゃんである。
こんな時は余計な口出しは禁物である。
人任せで無責任な釣りではあるけれど。
たまにはネ。
道中、彼に聞くところによると。
海には潮というものがある。
上げ潮、下げ潮、それぞれにチャンスがある。
潮の天井や底では釣果を得るのは難しいようである。
そのあたりの指標は緩やかなカーブを描く曲線で示され、一目瞭然のアプリなども出回っているそうである。
要するに、のべつまくなしに釣っていればいいってもんじゃないらしいのである。
知らなかった。
山国の岩魚釣り師は世情に疎いとは言え、何から何までおんぶに抱っこ。
この体たらく、源流王の覇気など見る影もない。
明け方。

釣り支度をするB場ちゃんとKONちゃん。

この二人は誹謗中傷の応酬がよく似合う。
見ている僕は心が和む。
さて。
釣れてくれれば相手は誰でも構わない。
日頃から、謙虚さを身上とする岩魚釣り師としては、贅沢を言う心算などは毛頭無いのであるよ。
下げ潮の局面ではフグである。

上げ潮の局面ではタコである。

後にも先にも僕の釣果はこれだけである。
敢えて多くは語るまい。
貧果に喘ぐ真冬の日本海は心底堪える。
寒さに耐え、根気よく釣りを続けるB場ちゃん。

車内に逃げ込むKONちゃん。

釣り師の本性が見て取れる。
問題はこの後である。
思いがけず、生まれて初めてタコの活き締めをやらざるを得なくなっちゃったのである。
後は野となれ山となれとしか言いようがない。

タコには気の毒であるが、大量の塩を使ってぬめりを落とす。

この段階ではまだ生きている。
ここで生タコの薄造りといきたいところであるが、僕のウデでは心許ない。

さらに気の毒ではあるが、煮えたぎった熱湯で一風呂浴びて頂かなければならない。

これにて一件落着。

この冬。
故あって。
岩魚釣り師は海に出なければならない。
さて。
海に出るのはいいけれど、一体どうやって出たらいいのだろうか。
そんな僕を見かねて海に連れて行ってくれたのはB場ちゃんである。
こんな時は余計な口出しは禁物である。
人任せで無責任な釣りではあるけれど。
たまにはネ。
道中、彼に聞くところによると。
海には潮というものがある。
上げ潮、下げ潮、それぞれにチャンスがある。
潮の天井や底では釣果を得るのは難しいようである。
そのあたりの指標は緩やかなカーブを描く曲線で示され、一目瞭然のアプリなども出回っているそうである。
要するに、のべつまくなしに釣っていればいいってもんじゃないらしいのである。
知らなかった。
山国の岩魚釣り師は世情に疎いとは言え、何から何までおんぶに抱っこ。
この体たらく、源流王の覇気など見る影もない。
明け方。
釣り支度をするB場ちゃんとKONちゃん。
この二人は誹謗中傷の応酬がよく似合う。
見ている僕は心が和む。
さて。
釣れてくれれば相手は誰でも構わない。
日頃から、謙虚さを身上とする岩魚釣り師としては、贅沢を言う心算などは毛頭無いのであるよ。
下げ潮の局面ではフグである。
上げ潮の局面ではタコである。
後にも先にも僕の釣果はこれだけである。
敢えて多くは語るまい。
貧果に喘ぐ真冬の日本海は心底堪える。
寒さに耐え、根気よく釣りを続けるB場ちゃん。
車内に逃げ込むKONちゃん。
釣り師の本性が見て取れる。
問題はこの後である。
思いがけず、生まれて初めてタコの活き締めをやらざるを得なくなっちゃったのである。
後は野となれ山となれとしか言いようがない。
タコには気の毒であるが、大量の塩を使ってぬめりを落とす。
この段階ではまだ生きている。
ここで生タコの薄造りといきたいところであるが、僕のウデでは心許ない。
さらに気の毒ではあるが、煮えたぎった熱湯で一風呂浴びて頂かなければならない。
これにて一件落着。
2019年05月07日
ミミズで岩魚を釣る毛鉤釣り師
初夏の陽気。
活気に満ち溢れた群衆心理は各地で混雑や交通渋滞を発生させているようであるが、その不自由さは加担した当事者諸氏に起因すると考えるのが物事の筋というものである。
釣り場での溜息も案外そのあたりが核心ではないだろうか。
敢えて多くは語るまい。
一方、僕たちが出向いた渓筋には幸い人影が無い。
ご覧のとおりの雪深さ。
ここはまだ早春。


お目当ての新芽はほんの出始め。
嬉々として摘むほどではないけれど、先を思えばどこか嬉しい。

岩魚たちは達者で暮らしていただろうか。
こんなこともあろうかとミミズを持って来たのである。
こう見えても僕は餌釣りだって出来るのであるよ。



年月が経つと仕事の手順や交際相手の詳細などは忘れるものであるが、釣りの記憶とういうものはどこかに引っ掛かっているものである。
そう言いつつ、老眼鏡が無いとミミズのチョン掛けが出来なくなったことは、毛鉤のアイに糸を通す時と同じであると改めて実感するのである。
魚体やサビの具合から見えてくるのは少し先の未来である。
前日に畑を掘ってミミズを用意してくれたB場ちゃん。

一掴みの新芽がみそ味のカップ麺を覚醒させる。

昼下がりの湯けむり。

旬のコシアブラから一転してフキノトウ。
ふと、季節が逆戻りしたような、少しばかり身勝手な釣り師の錯覚。

連休の締めはささやか過ぎる特権。

活気に満ち溢れた群衆心理は各地で混雑や交通渋滞を発生させているようであるが、その不自由さは加担した当事者諸氏に起因すると考えるのが物事の筋というものである。
釣り場での溜息も案外そのあたりが核心ではないだろうか。
敢えて多くは語るまい。
一方、僕たちが出向いた渓筋には幸い人影が無い。
ご覧のとおりの雪深さ。
ここはまだ早春。
お目当ての新芽はほんの出始め。
嬉々として摘むほどではないけれど、先を思えばどこか嬉しい。
岩魚たちは達者で暮らしていただろうか。
こんなこともあろうかとミミズを持って来たのである。
こう見えても僕は餌釣りだって出来るのであるよ。
年月が経つと仕事の手順や交際相手の詳細などは忘れるものであるが、釣りの記憶とういうものはどこかに引っ掛かっているものである。
そう言いつつ、老眼鏡が無いとミミズのチョン掛けが出来なくなったことは、毛鉤のアイに糸を通す時と同じであると改めて実感するのである。
魚体やサビの具合から見えてくるのは少し先の未来である。
前日に畑を掘ってミミズを用意してくれたB場ちゃん。
一掴みの新芽がみそ味のカップ麺を覚醒させる。
昼下がりの湯けむり。
旬のコシアブラから一転してフキノトウ。
ふと、季節が逆戻りしたような、少しばかり身勝手な釣り師の錯覚。
連休の締めはささやか過ぎる特権。
2018年10月18日
釣り師の休日 魚も休日
禁漁からほぼ半月。
戸隠山をやった翌日。
今さら未練がましいのは重々承知の上であるけれど、この際アブラビレがあろうとなかろうと、誰彼構わずハリに掛けたいこの心情、そこはお察し頂けることと思う。
そこで、長年押し入れの中で惰眠を貪っていた我が身のようなスピニングロッドを叩き起こしつつ、このところ弊ブログのお馴染みになりつつあるB場ちゃんが暮らす人里を流れる川に連れて来てもらったのである。
黙々とキャストを繰り返すB場ちゃん。

努力家の釣り姿はこうでなきゃいけない。
こんな時、KONちゃんはくしゃみをしなければならない。
僕も覚束ない手つきで投げちゃ引きを何度も繰り返してみたけれど、掠ったのはこの二枚のウロコだけである。

多分ニゴイではないだろうか。
結局のところ、この日の生体反応はこれだけである。
アブラビレもへったくれもなくて、釣果はゼロなのである。
要するに、下手な鉄砲などいくら打ったところで掠りもしないことを思い知らなければならない。
けれど、喉元を過ぎれば熱さを忘れちゃうのも釣り師の特権であると僕は思う。
このカエルの仔はついさっきまでシマヘビの口の中にいたのだけれど、当のシマヘビが通りかかった僕たちに驚いて逃げる刹那、せっかくありついた御馳走を吐き出しちゃったのである。

巡り合わせとはこういう事でもある。
お昼ご飯は、少し足をのばして件の中華そば。

さっきのシマヘビには申し訳ないけれど、この一杯は釣果を補って余りある。
ときどき、気分を変えたいときは、レンゲに掬ったつゆにほんの一滴、酢をうって啜ってみると良かったりする。
これにて一件落着。
N井サン、ごめんなさい。
戸隠山をやった翌日。
今さら未練がましいのは重々承知の上であるけれど、この際アブラビレがあろうとなかろうと、誰彼構わずハリに掛けたいこの心情、そこはお察し頂けることと思う。
そこで、長年押し入れの中で惰眠を貪っていた我が身のようなスピニングロッドを叩き起こしつつ、このところ弊ブログのお馴染みになりつつあるB場ちゃんが暮らす人里を流れる川に連れて来てもらったのである。
黙々とキャストを繰り返すB場ちゃん。
努力家の釣り姿はこうでなきゃいけない。
こんな時、KONちゃんはくしゃみをしなければならない。
僕も覚束ない手つきで投げちゃ引きを何度も繰り返してみたけれど、掠ったのはこの二枚のウロコだけである。
多分ニゴイではないだろうか。
結局のところ、この日の生体反応はこれだけである。
アブラビレもへったくれもなくて、釣果はゼロなのである。
要するに、下手な鉄砲などいくら打ったところで掠りもしないことを思い知らなければならない。
けれど、喉元を過ぎれば熱さを忘れちゃうのも釣り師の特権であると僕は思う。
このカエルの仔はついさっきまでシマヘビの口の中にいたのだけれど、当のシマヘビが通りかかった僕たちに驚いて逃げる刹那、せっかくありついた御馳走を吐き出しちゃったのである。
巡り合わせとはこういう事でもある。
お昼ご飯は、少し足をのばして件の中華そば。
さっきのシマヘビには申し訳ないけれど、この一杯は釣果を補って余りある。
ときどき、気分を変えたいときは、レンゲに掬ったつゆにほんの一滴、酢をうって啜ってみると良かったりする。
これにて一件落着。
N井サン、ごめんなさい。
2018年04月23日
釣り師の段取り ライトラインのプレゼンテーション
真夏日ではあるけれど、日中の暑さに惑わされてはいけない。
浮足立つ気持ちもわからないではないけれど、山深い溪はそうそう甘くない。
ここは慌てず騒がず、実釣で多用するキャスティングレンジのプレゼンテーションを入念に仕上げる。

これが後から効いてくる。
僕はそう思いたい。
そう言いつつ、後日渓魚を釣るためのキャスティングを終えたら、この日は一人寡黙にクチボソを釣るのである。

我ながらやっていることが支離滅裂である。
支離滅裂ではあるけれど、僕は省庁の役人でもなければ閣僚でもない。
つじつまの合わない事柄を具現化できるのは、毛鉤釣り師だけなのであるよ。
そっと呟いて差し上げても構わないのであるがね。
このサオをご覧頂きたいのだけれど、ダメになったボールペンの柄に、廃材の樹脂の丸棒を削って差し込んだだけなのである。

ゴミとゴミをくっつけただけのサオに、ひらりひらりと釣れてくれるこの小魚を冷遇することは僕にはとてもできない。
さて。
名残惜しいけれど、里山の成長にも目を配らなければならない。
こう見えても僕は忙しいのである。

この、将星カタクリの小さな群生地を知っているのは、僕とイノシシだけではないだろうか。

道すがら、彼らの成長も見落としてはならない。


この芽を摘むにあたっては、いたわりというものが無ければならない。
それが無ければ人間失格である。

温泉の後は山菜の天ぷら。

決め手はカレー味の塩であるが、この配合は素人の領分を超える。
塩とカレー粉を、ただ混ぜればいいってもんじゃないらしいのである。
当然、僕には無理であるから、いそいそとプロを訪ねて、ほんの少しだけでいいから、などと言いながら分けてもらっちゃったのである。
この恩は、いつか躰でお返しをしなければならない。
合掌。
浮足立つ気持ちもわからないではないけれど、山深い溪はそうそう甘くない。
ここは慌てず騒がず、実釣で多用するキャスティングレンジのプレゼンテーションを入念に仕上げる。
これが後から効いてくる。
僕はそう思いたい。
そう言いつつ、後日渓魚を釣るためのキャスティングを終えたら、この日は一人寡黙にクチボソを釣るのである。
我ながらやっていることが支離滅裂である。
支離滅裂ではあるけれど、僕は省庁の役人でもなければ閣僚でもない。
つじつまの合わない事柄を具現化できるのは、毛鉤釣り師だけなのであるよ。
そっと呟いて差し上げても構わないのであるがね。
このサオをご覧頂きたいのだけれど、ダメになったボールペンの柄に、廃材の樹脂の丸棒を削って差し込んだだけなのである。
ゴミとゴミをくっつけただけのサオに、ひらりひらりと釣れてくれるこの小魚を冷遇することは僕にはとてもできない。
さて。
名残惜しいけれど、里山の成長にも目を配らなければならない。
こう見えても僕は忙しいのである。
この、将星カタクリの小さな群生地を知っているのは、僕とイノシシだけではないだろうか。
道すがら、彼らの成長も見落としてはならない。
この芽を摘むにあたっては、いたわりというものが無ければならない。
それが無ければ人間失格である。
温泉の後は山菜の天ぷら。
決め手はカレー味の塩であるが、この配合は素人の領分を超える。
塩とカレー粉を、ただ混ぜればいいってもんじゃないらしいのである。
当然、僕には無理であるから、いそいそとプロを訪ねて、ほんの少しだけでいいから、などと言いながら分けてもらっちゃったのである。
この恩は、いつか躰でお返しをしなければならない。
合掌。
2018年04月09日
毛鉤釣り師が餌で釣る
ここは外来魚の密放流からも見落とされた、ひっそりとした小さな池。
わざわざB場ちゃんに頼んで連れてきてもらったのである。

今回のお題はクチボソ。
僕がこれを釣るのは何十年振りだろうか。
いい年をした男が二人、幼少の頃を思い出して、練り餌などを捏ねまわしつつ、足元に群れる小魚を釣るのである。
物心がついて、アブラビレに惹かれるようになってからは、ずいぶん長く遠ざかっていたけれど、こう見えても僕は餌釣りだって出来るのである。
この素朴な道具立てをご覧頂きたい。

先日、押入れを弄って引っ張り出したのである。
さらに、足りないものを買い足しに釣具店に出掛けたのだけれど、こんなウキはもう売っていなかったのであるよ。
トウガラシウキや板オモリなどをしげしげと眺めていると、懐かしいやら何やらで、泣けてくる御仁もおいでになるのではではないだろうか。
このところ、フライフィッシングの道具は入手しにくくなったようだけれど、小魚釣りの道具などはさらに希少に思えてくる。
釣り場環境について言えば、渓流域よりむしろこちらのほうが重症かもしれない。
そもそも、「小鮒釣りしかの川」が、そうそう無いのである。
ちなみに、「かの山」では、野ウサギのみならず、有害鳥獣の被害に頭を痛めているのが実情のようである。
やってみると、この釣りは奥が深い。
むしろ、フライフィッシングで岩魚を釣るより難しいかもしれないよ。
高度なゲームフィッシングの感性が求められる。

物の本で読んだ、タナゴ師が掌に一束を並べて悦に入る心情が、今わかった。
幼少の頃、小魚を釣らせたら釣り盛りの大人に引けをとらなかったあいつが、既に見聞色の覇気を備えていたことが、今わかった。
B場ちゃんは早々とつ抜けをこなす。
流石と言っていい。
僕はだいぶ遅れてつ抜けができたのだけれど、つい悪い手癖が出ちゃう。
これである。

どれどれ。
ほらネ。

さて。
釣り方に工夫をする余地はけっこうあるけれど、そのあたりはまたの機会に。
キリのいいところで納竿。
宇木の枝垂れ桜を訪ねてみたりして。

温泉に入って。
さて、お仕舞いはこうでなきゃいけない。

わざわざB場ちゃんに頼んで連れてきてもらったのである。
今回のお題はクチボソ。
僕がこれを釣るのは何十年振りだろうか。
いい年をした男が二人、幼少の頃を思い出して、練り餌などを捏ねまわしつつ、足元に群れる小魚を釣るのである。
物心がついて、アブラビレに惹かれるようになってからは、ずいぶん長く遠ざかっていたけれど、こう見えても僕は餌釣りだって出来るのである。
この素朴な道具立てをご覧頂きたい。
先日、押入れを弄って引っ張り出したのである。
さらに、足りないものを買い足しに釣具店に出掛けたのだけれど、こんなウキはもう売っていなかったのであるよ。
トウガラシウキや板オモリなどをしげしげと眺めていると、懐かしいやら何やらで、泣けてくる御仁もおいでになるのではではないだろうか。
このところ、フライフィッシングの道具は入手しにくくなったようだけれど、小魚釣りの道具などはさらに希少に思えてくる。
釣り場環境について言えば、渓流域よりむしろこちらのほうが重症かもしれない。
そもそも、「小鮒釣りしかの川」が、そうそう無いのである。
ちなみに、「かの山」では、野ウサギのみならず、有害鳥獣の被害に頭を痛めているのが実情のようである。
やってみると、この釣りは奥が深い。
むしろ、フライフィッシングで岩魚を釣るより難しいかもしれないよ。
高度なゲームフィッシングの感性が求められる。
物の本で読んだ、タナゴ師が掌に一束を並べて悦に入る心情が、今わかった。
幼少の頃、小魚を釣らせたら釣り盛りの大人に引けをとらなかったあいつが、既に見聞色の覇気を備えていたことが、今わかった。
B場ちゃんは早々とつ抜けをこなす。
流石と言っていい。
僕はだいぶ遅れてつ抜けができたのだけれど、つい悪い手癖が出ちゃう。
これである。
どれどれ。
ほらネ。
さて。
釣り方に工夫をする余地はけっこうあるけれど、そのあたりはまたの機会に。
キリのいいところで納竿。
宇木の枝垂れ桜を訪ねてみたりして。
温泉に入って。
さて、お仕舞いはこうでなきゃいけない。