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2017年07月08日

ネマガリダケとへそ曲がり釣師の腐れ縁

ネマガリダケ、正式にはチシマザサと呼ぶと教えられた。
実のところ、僕は好きになれない。
味のことじゃない。味が悪いわけじゃない。
好きになれないのは、年に何度か戦わなくてはならない相手だからだ。
溪屋としては藪漕ぎを避けて通れないのである。
嫌々ながら笹薮に身を投じるのだけれど、忽ち笹のアクだらけになり、手足を絡め捕られ、心が澱む。

これが成長してしまうと源流行をことごとく邪魔することになる。
太古からの自然の一部とはいえ、僕にとっては最悪の抵抗勢力である。


タケノコ採りなど、僕には苦痛以外の何物でもない。
仮に、依頼をされてもきっぱりとお断り申し上げる。
カネの入った包みをちらつかされて、「些少ながらお納めください。」などと持ち掛けられても、「無礼者!」と言いつつ一蹴しなければならない。
そのあと、独りになってから件の包みを思い出して密かに後悔しなければならない。
多分。

ところが、このタケノコが出始めると、憑りつかれたかの如く、朝の暗いうちから血相を変えて笹藪の中に飛び込んでいく善男善女が後を絶たない。

結果的にほぼ毎年のように善男善女のごく一部ではあるが、山中で方向を失い、彷徨い、さらに不運が重なると力尽きて、「物言わぬ人になる」事故が後を絶たないところがこのタケノコの特殊性だろうか。

一度でも経験したことがある方はお判りだろうが、笹薮での五体の不自由さといったらけっこう凄い。

ところがそんな命懸けの苦行にも拘らず、皮を剥いて節や硬そうなところを取り除くと、食べるところは鉛筆の先端ぐらいになってしまう。
反面、捨てるところは山盛りになる。
つまり善男善女諸氏は、ご苦労なことに山中から大量の生ごみを抱えてご帰還なさったのである。

試しに、街道沿いの道の駅や物産館などで、このタケノコの瓶詰めの値札をご覧いただくとよろしい。
きっと貴方は見なかったことにして、素早く瓶を棚に戻さなくてはならない。

北信濃ではこの宝物のような身は、鯖の缶詰と一緒に味噌汁の具になったり、焼かれたり、揚げられたり、煮られたり、なかなか忙しそうである。

この一椀のために、どれだけの洗濯物が山積みになったことだろうか。
どれだけの血と汗が流されたことだろうか。

加えて万一の場合、捜索には少なからず人手と公金が投入されるのである。
事の発端はたかがタケノコごときである。
(聞くところによれば、たかが岩魚でもしばしば似たような事例が起きるそうである。)

これほど費用対効果(今の若い人たちはコスパなどと言うようであるが)の低い食材が他にあるだろうか。

さて、僕自身は理不尽に思いながらも人様には言えない深いワケがあって、衰え始めた身体に鞭を打ちつつ、毎年のように笹薮に入らなければならない。
そこがまた、並の笹薮じゃない。

人生、時には一人で抱え込まなければならないことがある。

この藪漕ぎは欲や道楽ではない。
溪屋としての矜持である。
先達の恩恵を無にしてはならない。
これを怠ったり、人任せにするような根性では溪屋失格である。
岩魚はタダでは釣れないのである。
ほら、これほどに素晴らしい体高の此奴等が「来るなら来てみろ。」などと言う。


その忌々しいタケノコで一杯。
年に一度ぐらいは・・・。