2018年04月09日
毛鉤釣り師が餌で釣る
ここは外来魚の密放流からも見落とされた、ひっそりとした小さな池。
わざわざB場ちゃんに頼んで連れてきてもらったのである。

今回のお題はクチボソ。
僕がこれを釣るのは何十年振りだろうか。
いい年をした男が二人、幼少の頃を思い出して、練り餌などを捏ねまわしつつ、足元に群れる小魚を釣るのである。
物心がついて、アブラビレに惹かれるようになってからは、ずいぶん長く遠ざかっていたけれど、こう見えても僕は餌釣りだって出来るのである。
この素朴な道具立てをご覧頂きたい。

先日、押入れを弄って引っ張り出したのである。
さらに、足りないものを買い足しに釣具店に出掛けたのだけれど、こんなウキはもう売っていなかったのであるよ。
トウガラシウキや板オモリなどをしげしげと眺めていると、懐かしいやら何やらで、泣けてくる御仁もおいでになるのではではないだろうか。
このところ、フライフィッシングの道具は入手しにくくなったようだけれど、小魚釣りの道具などはさらに希少に思えてくる。
釣り場環境について言えば、渓流域よりむしろこちらのほうが重症かもしれない。
そもそも、「小鮒釣りしかの川」が、そうそう無いのである。
ちなみに、「かの山」では、野ウサギのみならず、有害鳥獣の被害に頭を痛めているのが実情のようである。
やってみると、この釣りは奥が深い。
むしろ、フライフィッシングで岩魚を釣るより難しいかもしれないよ。
高度なゲームフィッシングの感性が求められる。

物の本で読んだ、タナゴ師が掌に一束を並べて悦に入る心情が、今わかった。
幼少の頃、小魚を釣らせたら釣り盛りの大人に引けをとらなかったあいつが、既に見聞色の覇気を備えていたことが、今わかった。
B場ちゃんは早々とつ抜けをこなす。
流石と言っていい。
僕はだいぶ遅れてつ抜けができたのだけれど、つい悪い手癖が出ちゃう。
これである。

どれどれ。
ほらネ。

さて。
釣り方に工夫をする余地はけっこうあるけれど、そのあたりはまたの機会に。
キリのいいところで納竿。
宇木の枝垂れ桜を訪ねてみたりして。

温泉に入って。
さて、お仕舞いはこうでなきゃいけない。

わざわざB場ちゃんに頼んで連れてきてもらったのである。
今回のお題はクチボソ。
僕がこれを釣るのは何十年振りだろうか。
いい年をした男が二人、幼少の頃を思い出して、練り餌などを捏ねまわしつつ、足元に群れる小魚を釣るのである。
物心がついて、アブラビレに惹かれるようになってからは、ずいぶん長く遠ざかっていたけれど、こう見えても僕は餌釣りだって出来るのである。
この素朴な道具立てをご覧頂きたい。
先日、押入れを弄って引っ張り出したのである。
さらに、足りないものを買い足しに釣具店に出掛けたのだけれど、こんなウキはもう売っていなかったのであるよ。
トウガラシウキや板オモリなどをしげしげと眺めていると、懐かしいやら何やらで、泣けてくる御仁もおいでになるのではではないだろうか。
このところ、フライフィッシングの道具は入手しにくくなったようだけれど、小魚釣りの道具などはさらに希少に思えてくる。
釣り場環境について言えば、渓流域よりむしろこちらのほうが重症かもしれない。
そもそも、「小鮒釣りしかの川」が、そうそう無いのである。
ちなみに、「かの山」では、野ウサギのみならず、有害鳥獣の被害に頭を痛めているのが実情のようである。
やってみると、この釣りは奥が深い。
むしろ、フライフィッシングで岩魚を釣るより難しいかもしれないよ。
高度なゲームフィッシングの感性が求められる。
物の本で読んだ、タナゴ師が掌に一束を並べて悦に入る心情が、今わかった。
幼少の頃、小魚を釣らせたら釣り盛りの大人に引けをとらなかったあいつが、既に見聞色の覇気を備えていたことが、今わかった。
B場ちゃんは早々とつ抜けをこなす。
流石と言っていい。
僕はだいぶ遅れてつ抜けができたのだけれど、つい悪い手癖が出ちゃう。
これである。
どれどれ。
ほらネ。
さて。
釣り方に工夫をする余地はけっこうあるけれど、そのあたりはまたの機会に。
キリのいいところで納竿。
宇木の枝垂れ桜を訪ねてみたりして。
温泉に入って。
さて、お仕舞いはこうでなきゃいけない。