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2018年10月06日

フライラインのループには人の心が表れる

禁漁になると僕は覇気が抜けたようになる。
そんな時、芝生の上でキャスティングの練習をしていると、よしなし事が心に移りゆくものである。





はっきり言えば雑念であるが、不得手なPCなどに向かいてそこはかとなく書きつくれば以下のとおりである。


「芝生の上には魚はいないよ。」
道行く人などに言われなくても、それぐらい僕にもわかる。
愛想よく受け答えをしてはいるけれど、はっきり言って余計なお世話なのである。

けれど、僕はサオを振らなければならない。


「初心者でもとりあえず魚は釣れます。
キャスティングが未熟でも心配はいりません。
美しい溪魚たちが貴方を待っていますよ。
さあ、始めてみましょう。」

一時期、そのような耳障りのいい甘言に、ついその気になっちゃった善男善女は少なくなかったことと思うが、問題の核心を曖昧にした業界の商業戦略であったとすれば入門者の定着率が低いのは当たり前である。

僕などが偉そうな事を言えた筋合いではないけれど、その程度で美しい溪魚たちや瀬戸際の溪魚たちが釣れていれば、僕はこの年になってまで芝生の上でキャスティングなどをしているわけがない。


ノーマンマクリーンが描いた世界のように、そうそう慈悲深い釣り場というものは、少なくとも僕には心当たりが無い。

これを初心者に続けろと言う方が酷というものである。

友人知人をこの釣りに引き込んだ諸氏におかれては相当に責任が重い。
大切な友人が一通りのキャスティングを出来るように根気良く寄り添い、尽力しなければならない。
まさかとは思うが、人様を誘った張本人が出来ませんでは本末転倒と言わざるを得ない。

などと、そのような事はあまり人様の前では言わない方がよろしい。
物事の核心というものは、おおよそ身も蓋も無いものであるから、言及してしまうと、時に品格を問われることになる。



僕自身、いつになっても求める境地には到達できないのがフライキャスティング。
要するに鏡花水月なのである。
けれど、妥協をした時点で人として終わりである。

永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさいとは言うけれど、そこは表裏一体。
永遠なる不幸の始まりでもあると僕は思うよ。



一時間幸せになりたかったら酒を飲みなさい、と。
これだけは。
まず間違いない。
  


Posted by SFM at 21:09Comments(4)釣り師の日常