2018年10月30日
今年は菅平高原 来年は東館山
無駄にしてはバチが当たりそうなこの休日の晴天。
菅平高原に出掛けてきたのは、僕が四阿山や根子岳に登るわけではなく、離れて暮らす老母から久しぶりに山の空気を味わいに連れて行ってほしいと頼まれていたからである。


老母の年を考えると、この類の約束は果たせるときに果たしておかないと、万一の場合に後味の悪い後悔が残るかもしれないのである。
この秋晴れを見逃してはならない。

ゆるゆると歩きながら、老母は昔に登った山々を眺めて当時を思い出しているようである。



さらに、来年の夏は東館山でお花畑だそうである。
まあいい。
志賀高原の案内ぐらい造作も無い。
もしもの時にはあれやこれやという注文に生返事で頷きながら、つい来年の山歩きの予約を承ってしまった。
放蕩息子にとってはどこかこそばゆい。

菅平高原に出掛けてきたのは、僕が四阿山や根子岳に登るわけではなく、離れて暮らす老母から久しぶりに山の空気を味わいに連れて行ってほしいと頼まれていたからである。
老母の年を考えると、この類の約束は果たせるときに果たしておかないと、万一の場合に後味の悪い後悔が残るかもしれないのである。
この秋晴れを見逃してはならない。
ゆるゆると歩きながら、老母は昔に登った山々を眺めて当時を思い出しているようである。
さらに、来年の夏は東館山でお花畑だそうである。
まあいい。
志賀高原の案内ぐらい造作も無い。
もしもの時にはあれやこれやという注文に生返事で頷きながら、つい来年の山歩きの予約を承ってしまった。
放蕩息子にとってはどこかこそばゆい。