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2021年08月22日

日本国民の97・6人のうち1人は感染を経験している

8月21日現在。

僕が暮らす長野県の新型コロナウィルス感染者の累計は6976人である。
県の人口は2049683人ということになっているそうであるから、単純な割り算であるが、293・8人に1人が感染を経験したことになっちゃうのである。

この計算でやると群馬県では154人に1人。
三重県では201人に1人。
さらに。
東京都が45.6人に1人。
神奈川県が73・8人に1人。
埼玉県が84・7人に1人。
千葉県が85・5人に1人。
大阪府が60・9人に1人。
北海道が99・4人に1人。
沖縄県が39・8人に1人。

要するに、感染経験者はけっこう身近な存在なのである。


その時々の地合いで新規感染者の増減はあるだろうけれど、今後も感染経験者は上乗せされる一方である。
減ることは無い。
それが物事の理というものである。


いずれ、石を投げれば感染経験者に当たる日が来るかもしれないけれど。

踊らされた側が感染しても、笛を吹いた側は誰も責任を取らないのである。



  


Posted by SFM at 20:53Comments(2)釣り師の日常

2021年08月16日

蜂なんか食ってやった

過去に例の無い盆の長雨。

否応なしに人流は抑制されているに違いない。



大した計画ではないけれど、取りも直さず釣行は見合わせである。

釣行を中止することは一番簡単なこと。
楽なことだ。
釣行に挑戦することが釣り師の役割だ。
豪雨に打ち勝った証として釣行する。

などと、いい年になって馬を見て鹿と言うようでは釣り師失格以前に人間失格である。



そんな釣りバカではあるけれど、かねてから頼まれていた実家の野暮用がある。

物置に作られた蜂の巣の除去であるが、このところは野暮用ばかりで困っちゃうのである。



さて。
僕は昆虫学者ではないけれど、見立てではコガタスズメバチと思われる。

アシナガバチなど、軒先の巣であれば手っ取り早く水攻めで済ませるところだけれど、場所が場所である。

そこで、致し方なく覇王色の覇気を放って蜂を鎮める。


僕は蜂に刺されるのはイヤであるが、蜂の一刺しを凌ぐ発言が頻繁に見受けられるのが現代社会というものである。

まあいい。







取り出した巣から幼虫をほじくり出す。






あとはフライパンで炒って熱々のうちに塩をまぶすだけでよろしい。






スズメバチの捕獲に関しては強い警戒感を持って、安心安全な捕獲に取り組んでいただければと思うところである。





この度の降雨に被災された地域におかれましては心よりお見舞いを申し上げます。
  


Posted by SFM at 21:20Comments(2)釣り師の日常

2021年04月12日

身体が鈍った岩魚釣り師にも春が来た

近年、父親に全く寄り付かなくなった我が家の次女であるが、先頃僕に頼んできたのは近所の里山歩きの案内である。
日頃の運動不足を憂い、多少なりとも体力をつけたいというのが彼女の言い分である。

まあいい。
釣りに出掛けるほどのまとまった時間はしばらく取れそうになさそうであるし、僕自身、そろそろ身体を慣らしておく必要性を常々感じていたところである。


さて、当日。
二時間半程度の軽い山歩き。

いきなり置いていかれたのは僕の方である。




全身が軋み、息が上がる。

この体たらく、釣り師失格の一歩手前である。

昨年秋の禁漁以来、自堕落に過ごしていたツケは高い。


ちらほらと釣友たちが積み重ね始めた釣果を横目に、僕はリハビリから始めなくてはならない。




さて。
問題はこの花である。
これを大量に採取して、お浸しでやってみたらどうであるか。



などと考えるのは毎年のことながら、今一歩を踏み出せないまま長年が過ぎてしまった。
叶わぬ想いなどではない。
仮に、実行に移した場合の罪悪感を僕は克服できそうにない。
要するにそういうことなのである。





まあいい。
日本海側からやってきた春の使者。




人間社会の移り変わりは速いけれど、季節の流れもけっこう速い。

山菜が出始めるのはすぐである。
溪魚が水面を割るのも時間の問題。

ぼんやり過ごしているとすぐに終わっちゃいそうである。

悠々として急ぎ召されよ。
  


Posted by SFM at 19:28Comments(4)釣り師の日常

2021年04月04日

テンカラ初心者に俺はなる!!には毛鉤を巻かなければならない

沈んでいる魚を掛けるために思い立ったテンカラ釣法。

先立つものはカネではない。
毛鉤である。
それならこんな僕にも調達できそうである。

いや、しなければならない。

どうせ沈めるなら見えにくくても構わないのではないだろうか。



先人たちはキジを撃ったりチャボを飼ったりして材料を調達していたらしいけれど、僕の引き出しには長年にわたり肥やしになっていた古いコックハックルやパートリッジがある。


ハックルパターンの出番が減ったのはわけがある。

手早く巻けて、何匹釣っても駄目にならない毛鉤を追求した結果、そういうことになっちゃったのである。

などと偉そうなことを言っておきながら、ノーハックル・サイドワインダーをまともに巻けた試しがない。
はっきり言って、あれは僕には無理である。

都合良く、自己流の解釈を繰り返した結果、原型の面影は微塵もない。

釣り師には、重宝していながら、恥ずかしくて誰にも見せられない毛鉤の一つや二つぐらいはあってもいいのではないだろうか。



さて。
少し指先が慣れてきたところで。

毛鉤の名称には模した虫や小魚以外にも、地名や人名などがつけられたものがけっこうあるけれど、京都府在住のゆみ王サンというテンカラ釣り師におかれては、愛用の毛鉤に元カノの名前をつけておられるそうである。



どれどれ。
こっそり僕も真似をしてみようか。
C里、M美、Y子。
まあ、今回はこれぐらいにしておこうかね。

実際のところ、まだ使い物になると決まったわけではない。
ならなかったらただのゴミである。

何度か試しているうちに改善するところが出てくるに違いない。


  


Posted by SFM at 17:43Comments(2)釣り師の日常

2021年03月30日

黄砂が舞う 放射性物質が舞う

季節外れの陽気に杏も桜も狂い咲く。

この地の地形は黄砂の影響を受けにくいとは言え、見通しの効かない不透明な大気は正直なところ鬱陶しい。


一方、忘れてはならないのが、風向きが変われば舞ってくる放射性物質である。

あまり言いたくはないけれど、我が漁場で採捕した渓魚を検査するとどうであるか。

ごく微量とは言え、ほぼ確実に放射性物質が検出されることになっている。

一見の釣り師には到達できない設えではあるけれど、放射性物質は空中から散布され続けちゃっているのである。

おい、そこの小僧。
いつ、どこで、誰が、汚染水を、どのように、コントロールしているか俺の前でもう一度言ってみろ。




相も変わらず、我が家に貯まるのは空き瓶ばかり。
汚染水よりは格段にマシではあるが。
どうにかならないものだろうかネ。
  


Posted by SFM at 21:43Comments(2)釣り師の日常

2021年03月22日

毛鉤釣り師がサシで飲る

某河川の解禁日。
乗り遅れた釣り師が二人、某所にて盃を傾ける。




相対するのはサオ狩りのH田サンである。

精力的に狩り集めた米国製の高性能ロッドは相当な本数になっているに違いない。


昨年秋の発言である。

「セージとG・ルーミス以外はサオじゃ無ぇ。」

本人は忘れているだろうけれど、聞いちゃったかと言われれば確かに聞いちゃったのである。
ほんの小声ではあったけれど、呟き一つでタジタジにさせられちゃう。
恐れ入り谷の鬼子母神。

いずれ、彼が現世から消滅する刹那。
枕元に遺された高価な釣り具の山は、一度たりとも活躍の場に恵まれず、新品同様のまま路頭に迷うに違いない。

そのあたり。
多少なりとも釣り具の行く末には心を砕くフシがあるらしい口振り。

まあ、畳の上で往生できればの話であるがね。


などと、そのようなことは敢えて口に出さず。
黙々と。





「セージに限って言えば、何本ぐらい持ってるの?」

両手の指をすべて折りつつ。
暫し沈黙。

十本指じゃ足りないのは間違い無いらしい。
はいはい、わかったわかった。

またまた小声で。
「サオなんて、いちいち数えるもんじゃ無ぇ。」

聞いちゃったヨ。
確かに。



ふと。
目が覚めた夜半。
氷が解けた水ほどおいしいものはない。


  


Posted by SFM at 19:46Comments(2)釣り師の日常

2021年03月10日

逆ギレが怖くて監視ができるか

解禁に心躍る季節。

立場上、渓魚を釣る傍ら、無券をはじめとする違反遊漁者も釣らなければならない。

聞くところによると。
近隣の内水面漁協の監視員各位におかれては、違反者の取り扱いには大層気を遣っておられるそうである。

監視員の高齢化もさることながら。
自身の所業を棚に上げて、逆に食ってかかる違反者がけっこういるらしく、困っちゃうそうである。

まあまあ、そのあたり。
政界、中央省庁、通信業界など、いちいち挙げ始めればキリが無い.

そうは言っても、せいぜい違反者の一人や二人。
速やかにつまみ出せないようでは岩魚釣り師の沽券に拘わる。




幸か不幸かは別として。
僕自身、逆ギレを得意技とする違反者にはまだ出会ったことがない。
いつの日か、めぐり合った暁には、どのような口上を聞かせて頂けるのだろうか。
実は、内心楽しみにしているのである。

もしかしたら。
溪魚を釣るより、違反者を釣る方が面白かったりして。

そのうちに現れないものだろうか。
  


Posted by SFM at 20:43Comments(2)釣り師の日常

2021年03月03日

テンカラ初心者に俺はなる!!のは、そう容易くはなさそうな気がするの巻

テンカラシリーズ第三弾。
今回、登場するアイテムは洗面器である。



誤解をされるといけないのであるが、サオを携えて風呂に入る心算は毛頭無い。


毛鉤に見立てた目印を洗面器に振り込もうという、往年の少年漫画にでも出てきそうな訓練をこの年になって試そうというのである。
冗談に聞こえるかもしれないけれど、要するにそういうことなのである。

これまで釣れなかったステージを釣ろうというのである。
相応の訓練をしなければならない。
けれど、他人様に見られたらこれほど恥ずかしいことはないに違いないと僕は思う。



やってみると、これが意外に難しい。
目印は洗面器に当たると弾かれる。
余程に微妙な加減がうまくいかないと入らないのである。


などと、僕が右往左往している頃。

雪が残る溪に早々と一人で出掛けて行ったのはB場ちゃんである。

僕の予想に反して、送られてきた画像は25cmの立派な山女魚。


(撮影者B場ちゃん。)

水温は4℃。
さらに20番のドライフライで掛けたなどと言われたら返す言葉が僕には無い。


まあいい。
人様の釣果に惑わされてはいけない。
  


Posted by SFM at 20:53Comments(4)釣り師の日常

2021年02月24日

テンカラ初心者に俺はなる!!ための練習の巻

我が国の伝統漁法であるテンカラ。
故あって、これをやってみようというのであるから、いきなり釣り場に出向くのは丸腰で戦場に行くようなものであると僕は思う。

先ず、求められるのは振込みの技ではないかと思うところではあるが、人様の口座にお金を振込んで差し上げたくても先立つものが僕には無い。
無い袖は振れない。
魚の付き場に毛鉤を振り込む、いわゆるキャスティングの練習ぐらいしか僕にはできない。


さて、この度。
初めて振ることになったテンカラのサオはけっこう長い。
イトの長さが決まっている。
当たり前ながら新鮮な感触。



左手はヒマを持て余している。
ラインスピードの調整は困難。
けっこう風の影響を受けそうである。

渓筋には枝葉などの障害物が多い。
うまく躱せるだろうか。

本番では失敗の連続に違いない。
まあいい。
失敗は成功の元であるというセリフが初心者には許されている。


個人的には、着水するときのインパクトを出来る限り軽減したいところである。
仮にであるが、この上なく美味しく作られた料理でも、食卓に叩きつけるようなプレゼンテーションをされたらいかがであろうか。
どんな善人であれ、不信感を抱くに違いない。


もう少し慣れてきたら水のあるところで練習してみようかね。



  


Posted by SFM at 21:02Comments(2)釣り師の日常

2021年02月19日

テンカラ初心者に俺はなる!!予定の巻

今回のお題はテンカラである。
何故か。

水面は無反応でも水中には魚がいないわけではない。

さらに、毛鉤を見に来て帰っちゃったり、尻尾で弾いたり、白泡の下に張り付いたりして、結局のところ釣れなかった魚の何と多いことか。

仮に、それらを釣ることが出来れば将来的に莫大な果実が得られるに違いない。

経験上、水面下の釣りはたまたま釣れちゃったのが正直なところで、今一つ確信が持てないまま長年が過ぎてしまった。


そこで。
その昔、各地に根ざし、釣って釣って釣りまくっていた職漁師たちに代々受け継がれてきたテンカラ釣法。
そのあたりに糸口がありはしないかと思い至り、五十の手習いをやってみようというわけで秘かに準備を始めたところなのである。


サオは貰い物であるから原価はゼロである。



イトに関しては、細くて長いレベルラインを駆使される達人がおられるようであるが、初心者には敷居が高い。
そこで、散々使い倒したWFラインの細いところを切り取って蛇口を作り、ナイロン糸を先細りに繋いでリーダーにする。
要するに、糸屑の寄せ集めであるから原価はゼロである。



肝心の毛鉤はテンカラ鉤を真似てはみたものの自己流である。
これも手持ちの材料をかき集めただけであるから原価はゼロである。



これらの毛鉤が良いか悪いかこの場で言及するのは適切ではない。
判断するのは魚である。

魚が白と言うものを釣り師が黒と言うわけにいかないのは物事の理である。

因みに、政府が右と言うものを左と言うわけにいかないと語ったのは籾井勝人である。


さて、世間では右も左も見境が無さそうな大騒ぎがしばらく続きそうであるから、テンカラ初心者を目指す釣り師は人目を避けてプレゼンテーションの練習などをしなければならない。

待つ身は長いと言うけれど、間もなく雪代の季節。
それが治まると芽吹きが始まる。
  


Posted by SFM at 19:25Comments(4)釣り師の日常