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2023年05月05日

釣れない理由なんていくらでもある

GW後半。
実家で法事を終えた翌日。
岩魚釣り師は柔らかな新緑の溪に降り立つ。



爽やかな晴天、ほぼ無風。
気温、水温、水量。どれをとっても文句のつけようがない。
こんな良い日はそうそうないよ。

ウェットウェーディングが頗る心地良い。

要するに、釣る前から釣果は既に僕の手中にあると確信するような好条件。

ところが、釣り始めてみると全く駄目で、かなり入念にやってはみたけれど、この日の釣果は4匹である。










意外なことではあるけれど、水中には釣り師の経験では計れない様々な要因があるのだろう。
そこは僕の腕が悪いということにしておけばいい。



などと思いつつ、帰り支度を始めたところ、上流から下ってきたのは、ほぼ完全装備に近い沢屋のような出で立ちのルアー屋である。



これまでの疑問が即座に解ける。



この日の膳は全て頂き物。



  


2023年05月02日

釣り師には避けて通れない貧果がある

GW前半。
毎年のように通い慣れた沢筋ではあるけれど、中間に降り立つルートをB場ちゃんが苦心して探り当てた結果、折角だから僕にも案内してくれることになるのは自然の成り行きである。



加えて、今回は人の後を黙って付いて歩いていればいいという、僕にとっては極めて無責任な釣行なのである。


雨上がりを待っての入渓。
ポケットに手を突っ込んで歩く様は相変わらずである。



増水、濁り、濃霧。
渡渉できないほどではないけれど、どうにも釣れる気がして来ない。




僕の釣果は二匹である。






B場ちゃんの釣果はゼロである。




容赦なく打ちのめされることぐらい覚悟してはいたけれど、釣り場に降り立ったということで気が済むのは釣り師の悲しい性分と言わざるを得ない。




そんな儚い一日が終わる。


  


2023年04月25日

冴えない釣り師の冴えない釣果

里の桜は早々と散り、山桜も早々と咲く。

因みにであるが、姥桜というものはどのような咲き方をするのであろうか。
あれやこれやの現代社会。
全国津々浦々では様々な状況において、その類の花が咲いていることと思われるが僕はその分野には滅法疎い。
敢えて多くは語るまい。


姥桜はさておき、肝心なことは山桜が咲いた沢筋である。




季節がどうにかなっちゃったような夏日から一転して肌寒い風が吹く。

前日にここを釣り上がったB場ちゃんからのメールによると、どうにか二桁に乗せてはみたものの、型に恵まれず、労多くして功少なしとでも言いたげな様子が見て取れる。

つ抜けておいてこの言い草である。
いずれ、この男には釣り師としての謙虚な心構えというものを説いてやらねばならない。

などと思いつつ、初心に帰って釣り始めてみるものの。






僕の釣果がつ抜けに達しなかったのはお察しのとおりである。








良型が出ている時はこのサイズの渓魚たちは出たくても出られないに違いない。
そんな日柄なのである。







晴れてはいても風が冷たい。
盛大に火を熾して寒さ凌ぐ。




お昼ご飯は税込み288円である。




釣行の食料はなるべくコンビニを避け、スーパーで買うようにして釣行費用を節約しなければならない。

因みに煙草は一箱540円である。




GWが明けたあたり、大きな波が来そうな予感。











  


2023年04月09日

岩魚を釣るのも楽じゃない

統一地方選挙投票日の前日。
速やかなる期日前投票を済ませた岩魚釣り師は渓に降り立つ。
物事には節操というものが肝心であるが、有権者は然るべき筋にどのような審判を下すのであろうか。

小雨が降る肌寒い日柄。
上流から吹き下ろす風が冷たい。

渓魚が底に貼りつく典型的な展開である。
けれど、それを理由に釣れませんでしたでは済まされないのが釣り師の辛い立場である。


致し方なく、あれこれと手を尽くしつつ、地道に小魚を拾い歩く。









B場ちゃんは自称晴れ男であるが、この日の天候。
物事に例外は付き物である。



この男、このような時に限って僕の目の前で尺岩魚を釣り上げる癖がある。






まあいい。
釣りというものは日頃の地道な努力が報われるようである。

僕はどっちつかずの釣果を重ねる。








小雨がみぞれに変わる。

火を熾してはみるものの、指先の感覚が凍れ、身体が言うことを聞かなくなって漸く踏ん切りがつく。



早く湯舟に浸かりたい。


死ぬほど寒かったけれど、やっぱり今年の盛期は短そうであるね。





  


2023年03月23日

釣れちゃいけない早春の岩魚

少なかった降雪量に加え、このところの陽気で雪解けが進む。
解けるべき雪が既にどれだけ残っているのだろうか。
渓への妄想というものは常に自己中心的なのである。

大して釣れるわけではないだろうけれど、満更釣れないこともないだろう。
などと甘く考えて出掛けてはみるものの、完膚なきまでに打ちのめされるのが我が身も含めて釣り師の業であり、この季節の風物詩とは本来そういうものである。

よろよろと降り立った沢筋。
相応の残雪ではあるが、遡行には支障なさそうである。



流木を集め、火を熾してやり過ごす。






水が緩んだ頃合。














釣っておいてこんなことを言うのもどうかと思うけれど、3月中旬である。
このような時期にこのような渓谷で、そうそう簡単にというわけではないけれど釣れちゃうようではいけないのである。

盛期は早くやってくるだろうけれど、後が続かないに違いない。
いずれ、悶絶させられる我が身が目に浮かぶ。
複雑な心境と言わざるを得ない。

人類が載っている薄氷は急速に溶け始めていることになっており、高地を流れる沢筋も気候変動の影響と無縁ではいられないようである。
米国と中国は覇権争いをしている場合ではないというのが和の精神をを重んじる釣り師としての総合的かつ俯瞰的な見解である。

カップ麺に限らず、あらゆる物価の高騰。



食糧、燃料、消耗品、その他諸々。
釣行にかかる経費がかさみ、釣り師の暮らしを圧迫する。


どうにかこうにか這う這うの体で急斜面を登り切った帰路。
息が切れて息が切れて。
死ぬかと思った。



冬の間、自堕落に過ごしていた報いである。
今まで出来たことが出来なくなっていく喪失感を味わうのもこの季節の風物詩。





  


2023年02月24日

僕には一匹も釣れなかった

細々と渓魚が生き残っている沢。
釣果を期待するのは野暮である。



市街地からそう遠くはない。
このようなところに足繁く通うのは、平日に暇を持て余す年金生活者ではないだろうか。
一方、同じ高齢者でも多額の不労所得を得ている向きにおかれては、節税、脱税、社会貢献、その他諸々。
このように日当たりが悪い沢筋にわざわざ出掛けてくる暇などなさそうである。

さて、B場ちゃんの年金暮らしはまだ先のことであるが、解禁直後にはこのように取るに足らない沢筋で小魚を掛けつつ悶々とした釣欲を紛らわしているように見受けられるのであるが、この日は老後の見通しが立たないこの僕を連れて来てくれたのである。




彼の足手まといにならぬよう、金魚の糞にでもなったつもりで雪の上を歩くのであるが、沈めたり漂わせたり、色々とやってみても全く釣れる気がしない。

一方、そんな僕を尻目にこの男は時折サオをしならせる。




結局のところ、僕には一匹も釣れなかった。
格差社会の一端が顕著に現れる。





まあいい。
妥当な結果と言わざるを得ない。



  


2022年09月27日

偶然の産物 禁漁直前の尺岩魚

今期の最終釣行は台風が過ぎた翌日。
上流域では水が引けるのが早い。



相方はB場ちゃんである。
相変わらずの咥え煙草。



ここは今年の春に、高齢者でも釣りが出来るようにと、二人で藪を刈ったりロープを設置するなど、ルートを整備したところであるが、当の高齢者たちが入渓することは叶わなかった。




水温は概ね適正な範囲に収まり、秋の荒食いに期待が高まる。


ところが、半日やって釣果は小岩魚一匹である。



B場ちゃんの釣果も一匹である。


つい、煙草の本数が増える。




これでは長い禁漁期を悶々と過ごさなければならない。
多少なりとも状況を変えておく必要がある。

そこで、渓魚の声に真摯に耳を傾け、丁寧なプレゼンテーションに向けて最大限の努力をする。
などと言うのは偽善者の台詞である。

正直者の釣り師としては覇気を使わざるを得ない。



致し方無く放った覇気であるが、効き目は今一つ。
釣り師として不徳の致すところである。

九寸以上、泣き尺未満が一本。


尺超えが一本。



この日に釣れたのはこれだけである。


最後に尺岩魚が釣れたのはいいとしても、偶然の産物かも知れないのである。
もっと確実に数が揃うに越したことはない。

複雑な心境で釣りを終える。


帰路。
さっきまで無かったこの足跡。



若グマと思われるが、通過したのはつい今しがたに違いない。



秋の一日が終わる。




  


2022年09月21日

台風前日 岩魚より落葉の方がよく釣れた

近年の台風は始末が悪い。
蹲って通り過ぎるのをやり過ごせばいいってもんじゃないらしいのである。
以前、直接の被災はせずに済んだけれど、そのあたりの実状は僕にもよくわかる。


さて、過去に経験のない規模の台風が九州に上陸。
遠く離れた沢筋にも暖かく湿った空気が流れ込んでくる。


頻繁に風向きが変わり、ざわざわと木々を揺らす。
渓魚の情緒は不安定。

この台風は大釣りに繋がるわけではなさそうである。








忘れた頃に釣れてくる。






あまり深く考えずに中小の岩魚をポツリポツリと拾い歩く。






この岩魚を掛けるためのキャスト回数は10回以上。







ところ構わず火を熾さずにいられない損な性分。




禁漁も近いことだし、早めのお開き。




藪の中からブルブルという音。
蹲っているのはカモシカだろうか。




蝉の声が消えて秋の虫が鳴く。



  


2022年09月17日

浮かべても沈めても 小魚天国

真夏に上がった水温はなかなか下がってくれない。
出ないわけではないけれど、はっきり言って出方が悪い。

ついでに言うと逆光が眩しい。




仕方なく流芯を叩いて波や白泡に毛鉤を絡ませる。
浮かぶかも知れないし、沈むかも知れない。
所詮は毛鉤。
なるようになればいいのである。

などと、釣りに行くたびに不平不満を垂れ流しているけれど、そう悪気があって言っているわけではなく、持って生まれた性分なのである。
思い通りにならなくても、僕には釣りぐらいしかやることがないのである。


一応は水中の様子を想像してはみるけれど、結局のところ自分自身に都合よく解釈して、釣れたような気がしたらサオを上げてみるという投げやりな釣りである。

そのようないい加減な釣り方でも時には鉤先に魚が付いてくることがある。
そこで釣り師は味を占めちゃうのである。








相変わらず小魚ばかりで釣り応えに欠けるけれど、着実に次世代が育っている証でもある。









このあたりが極めつけである。





時節柄、お腹の中にはけっこうな筋子や白子が蓄えられつつあるに違いない。



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其処彼処で産卵が近いことを感じさせる水面の気配。








帰路。
つい先刻、ここで殺されたのはカケスに違いない。




何だかいつもより熱いね。



  


2022年09月12日

文句を言わずに岩魚を釣る

昼下がり。
そそくさと釣って、手早く切り上げて帰ろうと思いながら来てみたところ、思いの他アタリが少なくて予定が大幅に狂っちゃった。





どれも掌に乗るような木っ端岩魚であるが、大方は口の外側や目玉の脇に掛かってくる。
水底から垂直に毛鉤を突き上げて帰って行くところ見ると、水中でも辛い夏が長く続いているらしい。






そのあたり、僕に責任があるとも思えないけれど、「状況を真摯に受け止め、初心に帰り、丁寧に説明を尽くす。」などと、口先だけでも言っておけばこの国ではどうにでもなっちゃうらしいのであるが、釣り師はそれでは済まされないわけで、地道に足元の泉を掘り下げる努力をしなければならない。


まあ、スレであれ何であれ掛かっちまったものは仕方がない。
寡黙に小岩魚を釣ろうと決心した矢先に何故か釣れちゃった良型。
また予定が狂った。






産卵の準備が順調に整いつつあることがよくわかる。


日が短くなってきた。
足元が明るいうちに帰ろう。
咥え煙草で。




よしよし。